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小さな宗教戦争   [旅]



イタリアの話

むかしから敬虔なクリスチャン・ディオールだったわけではない。
宗教に関する教育は受けておらず、自分なりの解釈しかない。
私が、幼いながら宗教に関して学んだことは、押し付けられたら逃げよ。

ミラノのドゥオーモ(大聖堂)に入り、かなりビビった。
建物の荘厳華麗さに圧倒され、心の中では踏み絵を踏んでいた。
これと言って宗教を持っていないのだけど、改宗するかなと思った。




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幼いころ、私の家には立派な神棚と、大きな仏壇があった。
祓え給え清め給えと、主だったものはそらんじることが出来る。
般若心経も、早口言葉のようにできてしまう。

門前の小僧みたいなもんで、繰り返し繰り返し家庭に位置付いていた。
元旦が嫌だったのは、神棚の前で家族全員フル・バージョンの合唱。
一連の宗教的行事を通過しなければお年玉もお雑煮もなかった。




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世界が宗教で戦争をしている事は知っていた。
あるいは、憲法20条で信教の自由は保障されている。
信じない自由まで保障されているのだが、拝まされるのが苦痛だった。




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宗教的行事の中で一番好きなのは、クリスマスだった。
本来の意図など知らず、ただ、プレゼントとケーキを信じていた。
15歳の冬、伊東恵子さんにカードを送ったら、筆で太陽と書いてくれた。




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偶像崇拝という言葉も早くから知っていた。
魂の問題とも思っていた。
しかし、この天井の高さ、神を感じてしまう造りだった。




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ステンドグラスは劇的で、心洗われる気がしてならない。
ミラノのドゥオーモ (Duomo di Milano) で、純真なオヤジであった。
1386年に最初の石が置かれ、約500年かけて建造されたと言う。

座席に着いて、ボーっとしているだけで、いい人になりたくなる。
そういう摩訶不思議なステンドグラス効果。
クリスマスの奇跡に、少しだけ期待しているんだ。



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