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むかしは汚かった   [むかし噺]


春ではなく師走ではありますが、
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ
改め 正義の散るらむ

落ち着いた心がなく、大道廃れて仁義あり。
世界に分断と紛争があふれ、国政の乱れ、逃げる。
大谷翔平さんの話だけを聞き、蟄居して心を立て直す、よ。




■ ゆうのすけさん 江戸川沿いに富士山あり
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さて、富士山写真。
市川橋から江戸川を遡上します。
里見公園方向へ行く遊歩道の最後のところ、

いちど切れてまた遊歩道は再開しますが。
そのとりあえず一区間終了の二輪車止めの場所まで。
次の遊歩道に移る間のところ。

そこに富士眺望、絶景ポイントがあります。
スカイツリーの右側に富士山を配置できます。
私の散歩コースの一つです。




■ 1996年12月30日 札幌駅南口は鳩の溜まり場
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かつてのアジアの後進国ではなく、札幌駅南口。
27年前は大昔、大丸百貨店もなく、ただ鳩が溜まり場にしている。
随分と汚い時代を生きていたんだなと、思う。

時代は便利になり清潔感が増し、デザインのセンスも良くなった。
私たちは前進し、進歩し、それでも何かを置き忘れてきたような。
街はきれいに越したことはないけれど、さて、自立できているのか。




■ 断捨離が写真に及ぶ
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断捨離に重要なこと。
あの世に持っていけないものは全て捨てること。
そして持っていけるものは残す、それは信仰と愛だね。

写真でプリントアウトしたものは、選別する。
家族、特に子どもに関わる素敵な写真はスキャンし、残す。
ピンボケや変な写真はただ捨て、自分に関してはカッコいいものだけ残す。

スキャンしている間は1.5倍速でラジオを聴きながら、単純作業。
先の、時代を感じられる写真は残した。
この、不思議な面白さを持つ写真も残した。

サンフランシスコからモントレーに南下した途中の移動遊園地。
そこのメリーゴーランドが、異常な速さの高速回転だった。
姉二人は興奮し歓喜、末娘は恐怖でしがみつく、風船が真横に流れる。

安全棒にしがみつく三女も、すでにパートナーとクリスマスを楽しむ。
ドイツ、どこか、曳舟と娘たちも自立し、大活躍で宜しい。
私は妻と、この国の行く末を憂えながら、法事の案内状を作っている。




ファイト!







ファイト!(59)  コメント(7) 

粉もんマイブーム   [むかし噺]



ロシアによる非道のウクライナ侵略から1年、いくつかの特集番組を見た。
その中でも、BS世界のドキュメンタリーは秀逸だった。
Mariupol : The peaples's Story (Top Hat Productions /イギリス 2022年)

このドキュメンタリーは「着弾地点」の映像で、何人かの生き残りの証言。
何をされたのか概ね想像がつき、森喜朗や鈴木宗男の露国利権組のツラを軽蔑。
やっちゃイカンことが、未だに継続加速する「世界」とは何なんだ。


ほかにも、侵攻の72時間を追うドキュメンタリーもあった。
キーウに潜伏する露国の工作員が爆破すべきインフラ拠点に目印をつける。
その目印めがけてミサイルを撃ち込むのだから、一瞬で陥落と読むわな。

それを想定して、弾薬など重要なものは既に分散移動させ、反転攻勢に備えていた。
あっぱれウクライナ、生き延びてくれウクライナ。
そういう有事を想定放棄し、思考停止の憲法9条信者のニッポン、陥没は近い。




■ キシダがアホならハヤシもあるでよ
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電撃訪問計画が漏れ、日銀総裁人事が漏れ、キシダ孤立説。
未だに電撃訪問に執着し、G7議長国のワシゃぁ総理じゃけん、聞く耳もっちょる。
動かざること山の如しは武田に任せよ、何かしろキシダ。

と思っていたらG20外相会談に不参加の日本国外務大臣。
志のないヘタレが、くっそエラそうに、と悪態をつきたくなる。
アジアで大きな顔をして半世紀、我が国の凋落にまだ気づかぬ。




■ 河津桜は河津の街の収益源
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伊東から車で1時間ほど、ゆるめのドライブをして、散歩した。
桜並木を歩きながらこう考えた、日本はもうあかんわ。
中国の年金問題は闇の中、しかし、韓国はあと数年で年金が破綻する。

しかし誤魔化し上手の日本は、「老人」の自立を促し、色々な削減の秘策が進行中。
人口減少がどれだけ暗澹たる年金の未来なのか、希望的観測は排除すべきなのだが。
今の若者たちの支払いはキミちのためのものではないと、明確にして選挙しないと。




■ カワイイは正義だ
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kuroneko さんからお借りして、言ってみた。
先月、書店で21日発売の月刊誌を見に行った。
面白いことに主力の2誌が、表紙に同じモデルを使う珍事。

モデルは、桜庭ななみさん。
朝ドラで初めて見たとき驚いたのは、ヤンキーだった教え子と瓜二つ。
それ以来、可愛いのだけど少し怖いという先入観があり、修正しようと思う。




■ マイーブーム/こなもん
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南海なんば駅を高速高架下を戻り暫く歩くと、ある。
キャベツ焼きというシンプルな品、値上げが続いて今は200円。
最近、むしょうに粉もんが食べたいマイブーム復活中。


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店の横で、旅のお嬢さんと並んで立ち食い、親がいたら叱られるボク。
甘めのソースを楽しむおやつのようなもので、買い食いは禁止されてたボク。
親がいなくなってしまった反動で、以前、三女と妻の3人で立ち食い。

そういう粉もんが、無性に食べたい! ソウルフードへの帰郷?
腹の立つことが増えてしまったけれど、腹に収めて、喰いに走る。
今月末の宝塚激励遠征のあと、既に、お好み焼き屋さんを予約したボク。




ファイト!






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森喜朗という蜃気楼   [むかし噺]


自分自身に関して、ずいぶん大昔の話になるが。
三世代の家族が一軒家に同居し、そこに秩序を保つ権威が存在した。
家長という、長男や男の威厳が守られていた。

男は黙ってサッポロビールというCMが流れていた。
三船敏郎の寡黙さが、理想的な男子像だった。
家の中では、男らしくしろとか女のくせにという言葉が支配していた。




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数々の威圧に家族は、家長である父親の顔色を窺いながら過ごした日々。
或る日、すぐ近所の自動車工場で火事が起き、爆発もある大きな火事だった。
外に出て、火の広がりが自分の家に向かっていないことを確認した。

家に戻ると顔色を変えて狼狽する祖母と、神棚に向かって拝んでいる父がいた。
男らしさを息子に求める人のその時の姿に、なぜか笑いが出た。
中学生にもなると、家庭や政治、社会制度の矛盾にも気づくようになっていた。

言うことを聞け、聞かないなら金を出さないというのが口癖だった。
そんな言い方で人を隷属させる以外に、方法を知らないのだと思う。
説明をし、言葉を使って子どもを納得させる力がないのは、悲劇だと思う。

いずれにせよ、男らしくとか、女のくせにという束縛や壁が不快だった。
姉も理論派で父を論破したけれど、金の話と威圧によって支配されていた。
時代は開け、個人の権利は重視され、親子にも人権の話題が出せるようになった。




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井の中の蛙大海を知らず、という話をしてくれた人たちが、閉鎖的視野を持つ。
2021年現在、人種と性別の話題を笑い話にしてはいけない。
私たちはみんな人間であり、人種差、性差を不合理に扱えば、即刻アウト。

老害であり、緊張感のカケラもない、お山の大将でしかない森喜朗。
晩節を汚すことなく消えて行けよと教えてくれているのだろう、心得た。
他山の石とさせていただくが、困ったもんだ。




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■『武漢日記-封鎖下60日の魂の記録-』
作者・方方(FangFang)は次のように締めくくる。
ある国の文明度を測る基準は、どれほど科学技術が発達しているか、どれほど芸術が素晴らしいかでもない。ましてやどれほど豪華な会議を開き、どれほど多くの人が世界を豪遊して爆買いするかでもない。ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度をとるかである。


カッコ良く年を重ねた方が世界に知られるのは、少し誇らしい。
しかし、森元総理の発言は隠しておきたかったな、バレちゃったな。
ものすごく恥ずかしい気持ちになっている。

外出を自粛しながら、緊急事態解除後の計画でも立てるかな。
日本国の財源は、確保できているのだろうか。
ワクチン以降、日本が復活することを期待して、待機。



ファイト!





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ドンちゃん縁起   [むかし噺]


私の初任校は、たくさんの牛と少しの人間が住む道北の街の外れにあった。
赴任する時はまだ鉄道も走っていたが、やがて廃線になった。
低気圧の墓場のような場所で、低木は全て風圧で曲がっていた。

まだ土曜日に授業をやっていたし、文部省の指示で必修クラブが誕生した。
週に一回2時間、何かをやるのだけど、教科書もないという暗中模索。
中には瞑想クラブと言って、2時間ただ目をつぶっているものもあった。

先生の数だけ必修クラブがあるのだけど、調整が難航することもある。
どの(嘘みたいな)クラブからも、適性がないとはじかれる子がいる。
いわゆるワルで、教師に嫌がられているのが目に見える。

私は「一日一善クラブ」を作って、街の掃除でもするかと思った。
あいつなら面白いことをやるだろうと、参加する者も居た。
あるいはあぶれ者の、あとで考えれば停学経験者大集合の一日一善クラブだった。




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2学期が始まって、天気も良いから浜の掃除に行こうと、浜に降りた。
男くさい男どもを連れて、浜の掃除をしていた。
本当は、私は全くやる気がなくて、適当に時間を過ごしたかった。

しかし生徒が、カラスに襲撃されている仔犬を見つけたのだった。
先生どうする、と言うから、生態系を崩してはいけない、放置せよと命じた。
野球部の少年が言う、オレ将来、学校の先生になりたいんだけど、見捨てるの?

そういう一撃には弱く、じゃあカラスを追い払えよ、カラスが怖いことは隠した。
生まれたての仔犬たちが段ボール箱で捨てられていて、襲撃から逃げていた。
私は何とかせぇと言うだけだったが、生徒はスポイトや牛乳を調達してきた。

停学になるようなアンポンタンは、マイナスだけど行動力がある。
平均点狙いのイイ子よりは、方向性さえ変われば、行動力を発揮する。
きっとスポイトは化学室を襲撃して持ってきたのだろう、調達力もある。

面白いことに、普段はカッコつける奴らが、仔犬を抱えてスポイトで牛乳を流す。
煙たがられる連中だけど、私よりずっと根が優しい悪ガキだと思った。
既に彼らは50代も半ばを目指し、よきオッサンになっていて、闇に消えた奴はいない。




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1985年10月1日(火)


生き残った一匹を我が家に持ち帰ると、どうするのと妻が言う。
飼ってくれそうな生徒を授業で見つけるから、それまでと妻に頼んだ。
数日後、引き取り手が決まり妻に言うと、いやだ世話してたら離せない、と。

隣りの家の生物の先生にオス・メスの判定をしてもらい、オスだと断言された。
同僚の国語教師は絶対にメスだというが、権威に弱く、オスの名前を付けた。
ドン・ニザエモン、ところが、成長と共に、メスであると判明したのだった。




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1986年1月19日(日)


犬の赤ちゃんが生まれた時には目が開いていないことを経験した。
しばらくの間、目が開かないで、這いながら温もりを求めていた。
人間の赤ちゃんが生まれた時、暫くで目を開けるので驚いたものだ。




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1986年2月23日(日)


犬を飼うと決めたからには、家族として扱うことになった。
ただ、可愛そうな気もしたけれど、去勢することにした。
人間の横暴かもしれないが、動物とうまくやっていくには大事かなと思うの。




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1987年2月1日(日)


ドンちゃんとは道内のあらゆる場所へ、ドライブした。
テントの時は一緒に寝て、旅館やホテルでは車の中で寝かせた。
いわゆるトイレも、ちゃんと場所をわきまえて、教えることができた。

ずっと一緒だったドンちゃんは、たくさんの楽しみを与えてくれた。
函館に移って何年かの後、癲癇で亡くなった。
獣医さんに厳しいって言われた時は泣いてしまった。

私たち夫婦にたくさんの記憶と爪痕を残していった。
彼女は犬としてではなく、人格を持っていたと、私たちは錯覚している。
もしなんて言いだしたらキリはないけれど、ドンちゃんには会いたい。


しょうもない話だけど、どこの家庭にもある昔話だと思う。
思い出すだけで、心を温かくしてくれる家族だった。
拾った犬と、簡単には言えない大きな存在である。




ファイト!





ファイト!(107)  コメント(9) 

昔いたドンちゃん   [むかし噺]



昨日、hirometai さんのページを見て、驚いた。
ずっと昔、道北の田舎町の浜で拾って育てていたドンちゃんに酷似写真。
杉並区馬橋地区に住むスピッツ、そらちゃんの写真。

その写真をコピーして併記することも出来たが、しない。
ここは、hirometai さんに直球を投げる。
ハードディスクから掘り起こした、30年以上前の写真。



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1987年8月25日の写真。
生まれたばかりの時に浜に捨てられていて、カラスに突っつかれていた。
まだ目も開かない時に、カラスに襲われていたのを助けて育てた。

ミルクをスポイトで与え、子ども扱いして、人間として育てていたと思う。
ホタテの貝柱の干物とかトバ、高級食材を、私と一緒に食べていた。
生徒の親からドンちゃんにと贈られてくるので、動物愛護として。

毎週金曜に2時間、必修クラブがあり、私は一日一善というクラブを持った。
ほとんどは停学になった連中を連れて、街の掃除や浜の掃除をしていた。
そういう作業の最中に、捨てられ、カラスに食べられていた犬を助けた。

助けたうちの生き残り、愛情たっぷりに育てた。
授業で、ドンちゃんがトバや貝柱が好きだと言うと、なぜか届く不思議だった。
現在なら賄賂とか強要とか言われるかもしれないが、動物愛護だった。


昔の写真を見ていて、たくさんの時間が過ぎていたんだと恐ろしくなった。
田舎町の公宅の、小さな風呂に、ドンちゃんと一緒に入っている私が居た。
ヒゲを生やして、勘違いした若造教師がそこに居た。




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妻に疲れが出始めた。
疲れが抜け切れるように、余計なことはしない。
まだフライパンをしっかり持てないけれど、晩ごはんは工夫して作っている。

妻は毎日、仕事の帰りに寄り、義母様と窓越しの会話をしている。
施設のコロナ対応も厳重で、直接の面会はさせてもらえない。
庭に回り窓越しの会話だが、お互いに慣れて行く時間、適応したい。




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昨日から読売新聞の朝刊で、「医療ルネッサンス『認知症と生きる』」が連載開始。
8回のシリーズ第1回だが、話は重たかった。
対応の仕方が悪ければ、何かを引き金に症状が悪化する。

義母様のここ数年の変化、ここ数週間の激変を通過して、思うことが多かった。
コロナも怖いが、認知症はもっと怖いと思った。
自爆装置が必要にならぬよう、認知症回避の手を打って行こうと思った。

今は妻が疲れを出し切るまで、邪魔はしないで、応援だけする。
やがて、落ち着いたら、脳トレも始めるかな。
いや、歩くことが大事なのよと、妻が言い、従おうとする私。




ファイト!





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結婚記念日は舞浜   [むかし噺]



妻が私を見捨てることはなかった。
とんでもない野郎でも、間違いを正し続けてくれた。
いっちょまえに、普通の人の仲間入りが出来ているのも、妻のおかげだ。

人生破滅型だった私を、こちら側に戻してくれた人たち。
育ての親、絶対恩師、そして、いちばん長く付き合ってきた妻。
お金も大切だけど、そういう支えてくれた愛情は、宝物だと思う。


夜中に起きると、妻を見る。
時が経つにつれ、妻を想う気持ちは募り、もっと好きになる。
あと4年で、ボクたちは結婚40周年。




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(兼六園/先月末)


最近、映り込みを撮るのが好き。
池や水たまりでさえ、何か映っていないかと探す。
そういう姿勢が、最近のこだわり。

お年を召して、明鏡止水の境地なのかしら。
年の瀬を迎え、確実に困窮が見え始めた人々がいる。
まだ持ちこたえている自分は幸せなのだと、しみじみ思う。





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(ワットパクナム日本別院/千葉県 成田市/昨日)


読売新聞の日曜版に「よみほっと」という2㌻ものの特集がある。
第1面がカラーで、毎回インパクトのある写真が使われている。
建物や史蹟が写されて、旅のガイドも記されている。

過去にも、何度か紹介された場所を訪ねて、似たような写真を撮っている。
先月末の特集では、成田にあるワットパクナム日本別院が扱われていた。
昼には雨が止むという予報を信じて、写真を撮りに行った。

土曜の昼前だが、多くのタイの方々が集まっていた。
交流の場所のようで、いわゆる民族衣装を着た美しい女性もいた。
だが、私にやさしく話しかけてきたのは、ごっつい体格のオジサンだけ。

タイの高僧の話と、この地の前身はJALの研修施設だったこと。
分かりにくい日本語で、丁寧に話されたので、かなり困ってしまった。
でも良さそうな人だから、青空の日に、妻を連れてこようと思った。





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今日は36回目の結婚記念日、思えば遠くに来たたもんだ。
妻は勢いで、私は思いあがって、世界の二人。
彼女と結婚できたことは、宝くじに当選した強運に匹敵する。

今日はシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルに泊まる。
3時から、2時間は泳ぎ込もうと思っている、ふたりでね。
とことん泳いで、風呂に入って、ディナーを食って、バーで飲んで、うふふ。

東京ディズニーリゾート[レジスタードトレードマーク]オフィシャルホテルだから、プールで泳ぐ人は少ない。
前回と同じく、ほぼ独占的に泳がせてもらうつもり。
妻はケーキを楽しみに、私はバーボンのロックを楽しみに、泳ぐ。




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(成田市 さくらの山公園/昨日)

昨日は、成田方面の撮影スポットを下見に行ってきた。
あいにくの小雨だけど、場所が分かったし、晴れた日に再訪する。
飛行機の去来を見ているのも、妻は楽しんでくれるだろうか。

いずれ晴れた日に誘うつもりだ。
まず今日は、結婚してくれてありがとうと、精いっぱい努力する。
見捨てないでねとお願いし、明日を語る、・・・オレって凄いぜ。



ファイト!





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有限実行   [むかし噺]



昨日の朝は、大雨の難で泊っていた次女と、一緒に家を出た。
家を出たのは6時前、娘は私が作った特製おにぎりを持参の出勤である。
バター香る鮭としめじの炊き込み御飯で作ったおにぎり。

マンションを出て次女は左へ駅、私は右へ江戸川の土手。
夕刻には、RWCのニュージーランド対イングランドの試合がある。
だから夜は走れないから、カメラを持って朝の散歩に出かけたのだった。




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朝の光景を写そうとカメラを持っての散歩だったが、富士ヤマ!
カメラ持参を喜び、いつものランニングコースより先へ行くことにした。
脚はだいぶ張っているので、超早歩きで、富士山拝見スポットへ向かった。




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途中で泥まみれの道があり難儀はしたが、里見公園近くで富士山も写した。
川は濁っていて、前夜の増水は引いたが、色んなものが流れていた。
結局、ランニングの3倍の時間がかかったけれど、気分は爽快だった。




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教え子とは細々と10人くらい LINE で繋がっている。
最初の卒業生が、先日あった同窓会に寄せて、スライドショーを上げていた。
参加していない私をも、特別参加でスライドに入れていた。

その作業をするにあたって、卒業アルバムを掘り出したそうだ。
そこに挟まれていた、卒業式当日の学級通信も LINE にアップしていた。
基本的に一定期間でアルバムも書類も捨てているので、懐かしく読んだ。




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拙い文章ではあるが、最初の卒業生に贈った文章。
結局はそこから成長することもなく、変わらないのだった。
自分ではブレていないと評価するのだけど、イイこと書いてるって自画自賛。

30年も前の文章は賞味期限が切れている。
しかし、おそらくこれを読むであろう娘たちに、パパが言い続けたことだよと。
次の30年はないので、やがて年賀状も、人間関係も、半減期に入ろうと思う。




ファイト!





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大雨のあとにむかし噺   [むかし噺]



昨日、次女の会社は早々に退勤を命じたようだ。
休日の妻が言うには、次女が水泳の個人授業まで休みに来ると。
どうせなら泊っていけばいいのにと父。

夕方から市ヶ谷方面で、その後、小岩方面でレッスン。
結局、大雨でジーンズもびしょぬれで、泊ると早々に決定。
父さんは仕事が遅いのだけど頑張るのでした。

テンメンジャンを使ったパスタをTVでやっていて、食べたかった。
結局、昼食には中華風の麻婆パスタを作った。
わかめと春雨の中華風酢の物に、スープ代わりのニンジンのポトフを献上。

本日のランチ用に、バター香る鮭としめじの炊き込み御飯も作った。
これはお握りとして、次女と妻が持参。
そこまでがお父さんの仕事。


旅先の足を鍛えるためのランニング、二日で辞めたら三日坊主にもなれない。
昨日は午前から警報が鳴りまくる大雨だったけど、夕方6時前には雨が止んだ。
よって三日坊主目にもちゃんと走ることができ、江戸川の増水ぶりも見た。

千葉県のダメージは大きそうだった。
長野や東北も被害は拡大し、継続している。
洪水や決壊や越水と聞き、垂直避難しかないのだが、これが普通になるのだろうな。




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あちこち探し物ついでに掃除をしていて、発掘写真。
二十数年前の写真、スタンフォード大学の匂いを嗅がせに行った時。
子どもたちは遊ぶだけで良く、匂いを嗅いで帰ってくることが大事だった。

開拓時代からこの国がどう形作られていったのか。
その遺産みたいな大学なのだと思う。
校訓=Die Luft der Freiheit weht(独:自由の風が吹く)

娘たちの後ろ、中央に見えるのがメモリアル・チャーチ。
向かって右半分には主に理科系の学部、左半分には主に文科系の学部を配置。
もちろん私は左半分へと進んで、生協でグッズを買った。

米国にはお世話になったけど、お礼参りの予定以外、行く予定はなし。
臆病者の私は最近、市川橋を渡っても、下町界隈でしか過ごせない。
もう少し基礎体力をつけて冒険だ。



ファイト!





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28年前から35年前   [むかし噺]



1991年10月25日(金)
その日は、函館の市立高校のサッカー部練習後、五稜郭病院へ行ったと思う。
その二日前に次女を生んだ妻を見舞い、娘を見に行くために。
思いのほか小さく生まれた娘を、容器の中に見るだけだが楽しかった。

親って、そうやって見守るだけの仕事だったんだと、自立した子を思う。
今となっては見守るなんて余裕をかましているが、当時は必死だった。
いや、妻が大変だったと、十二分に思い知る現在であり、サービスをするぞ。




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1985年1月16日(水)/結婚して1か月


函館時代の妻を探していて、もっと古い「時」へ行ってしまった。
結婚してまだ1か月、吹雪の試練を受けてのこと。
自宅前で、埋もれてしまった車を掘り出す作業。

マイナス30℃もこの場所で経験したし、「教え子」もできたし。
いちばん最初の赴任地は、本当に開拓者精神だったな。
渡辺淳一が働いていた診療所が高校の敷地内にあって、合宿所にしていた。


出会った時からこの娘、早朝からよく働き、よく働き、よく遊ぶ。
それをモットーにしているのだが、こんな「ど吹雪き」をも楽しむ。
天晴れとしか言いようがなく、二十数年の子育て全力には脱帽する。

世の中の、自分の夜遊びで我が子を餓死させる女、信じられない。
母親というものは、と偉そうなことは言えず、夜遊びくん。
良い女性と巡り合ったもんだ。




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今日も大雨、既に拡大してしまった被災地にも、無情の雨が降る。
ラグビー日本代表が負けたら急に、悪いニュースが噴き出してきた。
代表連中の刺激を受けて、河原の土手を40分、走り始めたのだけどね。



ファイト!






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祖母的なオレ   [むかし噺]



エディー・・・、エディー何だっけ。
W杯ラグビー、イングランド対アメリカの試合を見ながら妻が言う。
エディー・マーフィーと場違いな答えをするオレ。

やがてエディー・ジョーンズとTVの解説者が言う。
そういえばこの方、前回大会の日本代表監督ではなかったか。
業界ではヘッド・コーチと言うみたいだが。




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子どものころ、祖母が外国ドラマを見て、誰が誰だか分らへんと言っていた。
この外人さん上手に日本語を喋らはるな、と真顔で言う婆ちゃんだった。
ちょっと考えると、今の私と大して変わらない年齢であった。




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祖母は、水戸黄門とか大岡越前とか時代劇が好きだった。
悪もんが、見て分かるからだと言っていた。
それじゃ面白くないだろと、ちょっと不良少年の私は思ったものだ。




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最近ね、ガイジンさんの名前がよく分からない。
ちょっと複雑なドラマに、ついていけなくなっている。
オジサンと自称するジジィ、老域に突入しているのだと思い知る。


夕焼けに曼殊沙華、曇って夕焼けが鈍っていた。
それにしてもW杯ラグビー、それ自体が乱闘なのに、ご乱心。
人種的偏見だけど、米国チームの白人さん、乱射事件の犯人みたいで怖かった。



ファイト!





追記:2kさんへ
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場所はここだよ。
小岩菖蒲園のすぐ上の土手。
京成を挟んで両側の土手に咲いている、驚き。


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