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有限実行   [むかし噺]



昨日の朝は、大雨の難で泊っていた次女と、一緒に家を出た。
家を出たのは6時前、娘は私が作った特製おにぎりを持参の出勤である。
バター香る鮭としめじの炊き込み御飯で作ったおにぎり。

マンションを出て次女は左へ駅、私は右へ江戸川の土手。
夕刻には、RWCのニュージーランド対イングランドの試合がある。
だから夜は走れないから、カメラを持って朝の散歩に出かけたのだった。




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朝の光景を写そうとカメラを持っての散歩だったが、富士ヤマ!
カメラ持参を喜び、いつものランニングコースより先へ行くことにした。
脚はだいぶ張っているので、超早歩きで、富士山拝見スポットへ向かった。




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途中で泥まみれの道があり難儀はしたが、里見公園近くで富士山も写した。
川は濁っていて、前夜の増水は引いたが、色んなものが流れていた。
結局、ランニングの3倍の時間がかかったけれど、気分は爽快だった。




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教え子とは細々と10人くらい LINE で繋がっている。
最初の卒業生が、先日あった同窓会に寄せて、スライドショーを上げていた。
参加していない私をも、特別参加でスライドに入れていた。

その作業をするにあたって、卒業アルバムを掘り出したそうだ。
そこに挟まれていた、卒業式当日の学級通信も LINE にアップしていた。
基本的に一定期間でアルバムも書類も捨てているので、懐かしく読んだ。




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拙い文章ではあるが、最初の卒業生に贈った文章。
結局はそこから成長することもなく、変わらないのだった。
自分ではブレていないと評価するのだけど、イイこと書いてるって自画自賛。

30年も前の文章は賞味期限が切れている。
しかし、おそらくこれを読むであろう娘たちに、パパが言い続けたことだよと。
次の30年はないので、やがて年賀状も、人間関係も、半減期に入ろうと思う。




ファイト!





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大雨のあとにむかし噺   [むかし噺]



昨日、次女の会社は早々に退勤を命じたようだ。
休日の妻が言うには、次女が水泳の個人授業まで休みに来ると。
どうせなら泊っていけばいいのにと父。

夕方から市ヶ谷方面で、その後、小岩方面でレッスン。
結局、大雨でジーンズもびしょぬれで、泊ると早々に決定。
父さんは仕事が遅いのだけど頑張るのでした。

テンメンジャンを使ったパスタをTVでやっていて、食べたかった。
結局、昼食には中華風の麻婆パスタを作った。
わかめと春雨の中華風酢の物に、スープ代わりのニンジンのポトフを献上。

本日のランチ用に、バター香る鮭としめじの炊き込み御飯も作った。
これはお握りとして、次女と妻が持参。
そこまでがお父さんの仕事。


旅先の足を鍛えるためのランニング、二日で辞めたら三日坊主にもなれない。
昨日は午前から警報が鳴りまくる大雨だったけど、夕方6時前には雨が止んだ。
よって三日坊主目にもちゃんと走ることができ、江戸川の増水ぶりも見た。

千葉県のダメージは大きそうだった。
長野や東北も被害は拡大し、継続している。
洪水や決壊や越水と聞き、垂直避難しかないのだが、これが普通になるのだろうな。




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あちこち探し物ついでに掃除をしていて、発掘写真。
二十数年前の写真、スタンフォード大学の匂いを嗅がせに行った時。
子どもたちは遊ぶだけで良く、匂いを嗅いで帰ってくることが大事だった。

開拓時代からこの国がどう形作られていったのか。
その遺産みたいな大学なのだと思う。
校訓=Die Luft der Freiheit weht(独:自由の風が吹く)

娘たちの後ろ、中央に見えるのがメモリアル・チャーチ。
向かって右半分には主に理科系の学部、左半分には主に文科系の学部を配置。
もちろん私は左半分へと進んで、生協でグッズを買った。

米国にはお世話になったけど、お礼参りの予定以外、行く予定はなし。
臆病者の私は最近、市川橋を渡っても、下町界隈でしか過ごせない。
もう少し基礎体力をつけて冒険だ。



ファイト!





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28年前から35年前   [むかし噺]



1991年10月25日(金)
その日は、函館の市立高校のサッカー部練習後、五稜郭病院へ行ったと思う。
その二日前に次女を生んだ妻を見舞い、娘を見に行くために。
思いのほか小さく生まれた娘を、容器の中に見るだけだが楽しかった。

親って、そうやって見守るだけの仕事だったんだと、自立した子を思う。
今となっては見守るなんて余裕をかましているが、当時は必死だった。
いや、妻が大変だったと、十二分に思い知る現在であり、サービスをするぞ。




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1985年1月16日(水)/結婚して1か月


函館時代の妻を探していて、もっと古い「時」へ行ってしまった。
結婚してまだ1か月、吹雪の試練を受けてのこと。
自宅前で、埋もれてしまった車を掘り出す作業。

マイナス30℃もこの場所で経験したし、「教え子」もできたし。
いちばん最初の赴任地は、本当に開拓者精神だったな。
渡辺淳一が働いていた診療所が高校の敷地内にあって、合宿所にしていた。


出会った時からこの娘、早朝からよく働き、よく働き、よく遊ぶ。
それをモットーにしているのだが、こんな「ど吹雪き」をも楽しむ。
天晴れとしか言いようがなく、二十数年の子育て全力には脱帽する。

世の中の、自分の夜遊びで我が子を餓死させる女、信じられない。
母親というものは、と偉そうなことは言えず、夜遊びくん。
良い女性と巡り合ったもんだ。




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今日も大雨、既に拡大してしまった被災地にも、無情の雨が降る。
ラグビー日本代表が負けたら急に、悪いニュースが噴き出してきた。
代表連中の刺激を受けて、河原の土手を40分、走り始めたのだけどね。



ファイト!






ファイト!(82)  コメント(6) 

祖母的なオレ   [むかし噺]



エディー・・・、エディー何だっけ。
W杯ラグビー、イングランド対アメリカの試合を見ながら妻が言う。
エディー・マーフィーと場違いな答えをするオレ。

やがてエディー・ジョーンズとTVの解説者が言う。
そういえばこの方、前回大会の日本代表監督ではなかったか。
業界ではヘッド・コーチと言うみたいだが。




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子どものころ、祖母が外国ドラマを見て、誰が誰だか分らへんと言っていた。
この外人さん上手に日本語を喋らはるな、と真顔で言う婆ちゃんだった。
ちょっと考えると、今の私と大して変わらない年齢であった。




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祖母は、水戸黄門とか大岡越前とか時代劇が好きだった。
悪もんが、見て分かるからだと言っていた。
それじゃ面白くないだろと、ちょっと不良少年の私は思ったものだ。




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最近ね、ガイジンさんの名前がよく分からない。
ちょっと複雑なドラマに、ついていけなくなっている。
オジサンと自称するジジィ、老域に突入しているのだと思い知る。


夕焼けに曼殊沙華、曇って夕焼けが鈍っていた。
それにしてもW杯ラグビー、それ自体が乱闘なのに、ご乱心。
人種的偏見だけど、米国チームの白人さん、乱射事件の犯人みたいで怖かった。



ファイト!





追記:2kさんへ
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場所はここだよ。
小岩菖蒲園のすぐ上の土手。
京成を挟んで両側の土手に咲いている、驚き。


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偏るお供え   [むかし噺]



私が小学低学年のころ祖父が亡くなり、1月15日だった。
長女が京都で中学英語弁論大会を戦う直後の12月14日、祖母が亡くなる。
13と言う数字が大嫌いなくせに、三女が高2の、1月13日に父が亡くなる。

何となく数字が繋がっていたけど、意に介さず母は8月24日に亡くなった。
祖父母に父母の亡くなる季節は、真冬か真夏で、参列者はきつそう。
現在、拙宅の仏壇にはこの4名が入っており、月命日は三連続する。




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月命日には地味に、マイブームのお供え物。
アスパラガスビスケットと、芋けんぴ、あとを引く美味さ。
私は嫌いで食べないが、父の命日にはオールレーズンのクッキーも投入。

祖父も父も私も頑固者で、上手く人間関係が築けないようであった。
それでも早くに家を出た私は少しはマシだと、月命日には思ったりする。
全ては自己満足のルーティーン、今月はあと母の24日、時は過ぎる。




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雨の日の紫陽花は、本来の力を発揮する。
カタツムリがいれば映えるのだけど、見ることがない。
豊島園では紫陽花と写るならと、カタツムリのレンタルがあるらしい。




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雨の日の外出は嫌だけど、肩のリハビリがありカメラを忍ばせて出向く。
やはりカタツムリはいなかったし、雨が降る。
梅雨らしいと言えばそれまでだが、晴れた日の方が好きだ。



ファイト!





ファイト!(103)  コメント(7) 

「思い出のバラ」   [むかし噺]




片思いはいつでも一方的なもの。
それが明確に「気持ち悪い」と指摘されるようになった。
そしてストーカーと呼ばれるようになった。




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かつて片思いは、悶々とするものだった。
思いが叶わぬ心の痛み、思い起こせばあざだらけ。
どれだけ世の花から花びらをむしり取ったことか。




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13歳の時のそれが恋だと知ったのは4年後。
『小さな恋のメロディー』を見てからであった。
角のパン屋の前にある赤電話で2時間も話す休日。

当時は、市内なら10円で何時間も電話を掛けられた。
携帯電話のない時代、抑圧される反動は心をけしかける。
スタンダールの『恋愛論』に言う結晶作用と知るのは5年後。




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「もしも君がある目的地に向かって歩みだしながら、途中、足を止め、自分に吠えかかる犬の1匹1匹に石を投げつけていたら、とても目的地には辿りつけない。」 (『作家の日記』 ドストエフスキー)


恋多き少年は単に「愛情乞食」だったのかもしれない。
目的地にたどり着くこともできず、破滅することもなかった。
そしてたくさんの、切なさの記憶は残してきた。




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僕はいま妻のストーカー。
妻、三姉妹という目的地に辿り着いている。
じゅうぶんに幸せなくせ、薔薇に魅了されている。



ファイト!




ファイト!(89)  コメント(8) 

鼻毛も凍ったよな昔   [むかし噺]





数日前は北風が強く、冷たく、寒さが身に染みた。
昨日も、寒くてエアコン(暖房)をつけた。
今日は少し、温かくなるらしいので、風の子になる。




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寒さが身に染みるとか、風が冷たいとか言ってるけれど、川は凍らない。
北海道では川が凍るのも滝が凍るのも見てきたが、東京ではまだ見ない。
昨日、長野ではマイナス20℃を記録したと聞き、少しわくわくした。

そう、外に出て、思いっきり鼻で息を吸い込むんだ。
そうすると鼻毛がペチペチペチと凍って、あのくすぐったさが大好き。
初任校の道北では、ダイヤモンドダストも見たし、マイナス32℃も経験している。

通りすがりの者には、そういう底冷え体験もまた楽し。
しかし、いざ住むとなるとイノチガケ。
5月になるまでストーブが必要な生活は、もうできないよなオレ。





ファイト!






ファイト!(87)  コメント(5) 

雨に煙る思い出は軽いで   [むかし噺]




昨日は突然の「豪雨」でバルコニーがプールになって驚いた。
室外機が沈むと嫌なので、バルコニーに出て排水溝を突っついて水を流した。
せっかくのプール状態だから、バスマジックリンをかけて網戸を洗った。

水も滴るイイ男ぶりで、雨の中を排水溝突っつき掃除に、網戸洗い。
なかなか美しかったけれど、管理人さんに後日相談。
だって、ここの共用費、うちだけが払ってるんだもん、雀の涙ほど。



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1月からのNHK学園オープンスクールの申し込みに行った。
タワーマンションの45階が会場だけど、その受付で申し込み。
人気の講座だから、ここは大急ぎでリーチを掛けた。




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幾つかの講座を掛け持ちしているけれど、最も楽しい。
この方の講座は国立でも受けていて、キモイ追っかけのオヤジだ。
1月からは國學院大學の講座も追っかけてやる(相手は少し嫌がってるかな)。




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展望台から見下ろすのが好きで、雨でも見える、斜めに続く道路。
初めて妻と出会った時、ほぼ終電で、この斜めの道まで送った。
自宅を知られたくなかったのかもしれないけど。

終電近くで送ってきて、別れ際に未練がましく立ち話。
もちろん、新宿へ帰るボクは、終電に乗りそびれてしまう。
チェーン店の居酒屋で一人酒で仮眠して、始発で帰った。

あの惨め感が好きで、斜め道路は、ボクの思い出。
雨に煙る斜め道路、いつしか、オレは住人。
不思議なもんだと心得る。



ファイト!






ファイト!(90)  コメント(7) 

鰻屋さん   [むかし噺]




お盆明けに課題を提出する。
葛飾区民大学の課題だけど、A4紙2枚を使って8pの冊子を作る。
川千家の取材をまとめるのだ。




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クッソ暑い35℃の、妻の休日に、ご足労願った。
柴又に出向き、日頃の感謝を込めて、うな重をご馳走します。
すでに、とっくに、決めていたのでした。




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課題の冊子では写真も多用しなければならない。
川千家の社長に取材した際、写真を撮ったけれど、社長の顔ばかりじゃ変。
となれば、後付けではあるけれど、うな重も店内も店員も店構えも、写しに行く。




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早めに帝釈天をお参りし、暑さこらえて編んでます。
表紙も、内容を示す決定的写真を使わねばならず、苦慮した。
ブログとはまた違った風味で仕上げる。





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取材費がどこかから出るわけではなく、うな重(松)4500円、自前。
でもね、妻への日頃の感謝もあるわけで、大丈夫だよオレ。
店員への取材も含めていいものが仕上がりそうで、楽しみ。





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そう。
大阪の高校時代、半世紀近く前の話だよ。
サッカー部のイケメンでアルバイトをした話を、妻に語る。

なんばのね、虹の街ができたころかな。
近鉄に向かうところの地下街入り口のすぐひだり。
江戸川と言う天婦羅と鰻の店。

そこでウエイターとしてアルバイトに入ったの。
初日からお姉さんたちから可愛がられたけど、客対応が悪く、態度?
すぐにオレだけ裏方に回された。

でもね、意外にそれが似合っていて、2年間、夏・冬・春休みと働いた。
皮膚病の鰻をさばかせてもらったり、賄い作ったり、食器洗ったり。
食器洗いが専門だけど、肝つぶしが楽しかった。

肝つぶしで胆汁が飛び、目に入ると痛いけど、割烹着がカッコよく汚れた。
その汚れた割烹着で、いっちょ前に地下街を歩いて、トイレに行ってた。
鰻屋さんには、だから何となく愛着があり、昨日は外から板場を覗いたりした。

鰻を食べまくった時期があって、今は昔。
それでも老いは、夫婦が老舗で、早い時間からノンビリ過ごすのもいいかなって。
昨日は中身の濃い、実に楽しい一日だった。


楽しい真夏の佳日




ファイト!





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嵐の夜に思う   [むかし噺]





台風はそれたと言っても、風が唸り、ちょっと怖かった。
横殴りの雨も襲い、風が唸ると、やっぱり台風は怖いぞと思った。
先の水害に遭った人たちは、更なる恐怖だろう。


近くのプールで個人レッスンがあった次女からメールが来る。
帰りに寄ってパイナップル食べて、泊ってイイかな。
キミの実家だよ、いつでもおいで、つまみも用意するし、飲むのだよ。




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無職で良かったことは、娘たちに時間を合わすことが出来る。
おまけに、サッカーのワールドカップをほぼ全試合見ることが出来た。
来月、函館時代のサッカー部員と、ちょっと本気で語れるのが旨いぜ。





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4年前のサッカーW杯決勝は、河内長野の実家で見た。
あれから4年、実家はスクラップ処分し、母も亡くなった。
決勝の朝、母がコーヒーをいれて、まだやってんのかと笑った。

あの時、母は私と話をしたかったのだろうか。
2014年7月、週末を利用して年休も付けて実家に帰っていた。
日本での中継は、7月14日(月)午前4時からだった。

あの時は、ドイツとアルゼンチンの決勝で、延長にもつれ込んでいた。
アルゼンチンは1日少なく、準決勝を延長PKで上がってきた、不利。
今回もそういう日程的不利はあったけれど、仕方がない。




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珈琲を持って来てくれた母に、状況の説明をした。
細かいことは抜きに、これ今の反則、程度。
インスタントコーヒーだけど、美味かったのは母がいれたから。

そういうことってあるんだよ。
と、台風が通過する夜中に考えるオレ、お父さん。
今年の決勝も、語ってやりたかったけどね。

高校時代、母に試合の日程を教えなかった。
だから、見に来ることもなかった。
ワルぶって突っ張ってんだから、母ちゃんが来ると恥ずかしいって。

後悔はしないけど、寂しいなって、嵐の夜に。




ファイト!






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