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サヨナラ Dr. A   [@amy.com]


長女がドイツに帰った、少しだけど寂しい。
成田空港で見送ったからだろうが、それは頑張れと思うしかない寂しさ。
お互いに、じゃあねと言って別れ、何度か手を振り娘は去っていった。

夏か秋にはベトナムで1か月ほどの調査、研究があるらしい。
それもあって日本滞在期間中、ベトナム語の個人レッスンも続けていた。
ただ、日本には寄らないらしく、来るとすればまた来年だと言う。




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搭乗手続きは長蛇の列だった。
渡航するわけではないが、列に並びながら娘と話をする。
行き先によってワクチン接種に関する確認が煩雑だった。

コロナ禍発生以来、航空会社は社員を派遣に出した。
そのせいでベテランが少なく、研修生みたいな社員が対応する。
娘と話す時間が増えるので、作業が遅くてもかまわなかった。

手続きが終わり、珈琲でも飲むかと言っても、店は限定的だった。
一部の搭乗カウンターに人が密集しただけで、空港内は閑散としている。
日本が元気に復活するのは、いつになるのだろうと思った。




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長女がアパートを引き払ってからの1週間は、共に過ごすことが多かった。
娘の話から学ぶことも多く、日本が本当に甘ちゃんだと思い知らされる。
私も、それは問題発言と、娘に指摘されることが多かった。




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欧州で暮らし続けている娘は、生活自体が「思考」なのだと思う。
日常、私が当たり前のようにしている言動にも、なぜと問う日々。
正しい問いを発しながら、なぜと考えながら生きる時間は、濃密だと思った。

たやすく「成長」などという言葉ではくくれない。
親馬鹿ではあるが、立派になったもんだと思う。
欧州での格闘を心から応援しながら、別れを惜しんだ。




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サステナブルと言い、「人間・社会・地球環境の持続可能な発展」。
流行語のように最近、よく聞く。
地球もそうだが、この国は大丈夫かと、娘と話していて思う3か月間だった。


私には関係がない。
ここでは起きない。
私にはどうでもいいことだ。

無関心と不作為の積み重ねが大変な事態を引き起こす歴史だった。
娘と別れて寂しさにうずくまることがないのは、彼女が思考する人間だったから。
語り、笑い、考える、至福の時間の余韻は寂寥ではない。




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男子三日会わざれば刮目して見るべし
次に会う時、お互いがさらに内容を充実させていることだろう。
娘からの刺激は、微弱ながらも私の意欲を駆り立てたのだから。

三女を、もらい事故のように泣かせた日もあった。
それでも総じて収穫だらけの内容充実の家族ごっこだった。
これならまた次回もと、大いに期待して別れた。




ファイト!








ファイト!(69)  コメント(10) 

オタフクから長女へ   [@amy.com]



鬼の首を取り申し候。
自慢の野党くんたち血気盛んに攻め立てて、予算審議中断。
復興予算を決めてから、ほじくり返しておくれ。




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次女が来て、イタリア遠征の細かいプランを詰めた。
私の代理でいつものことだが、妻が娘と詳細を詰めていた。
妻は仕事があるし義母様の面倒を見るので、行かず、計画に参加。




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ドイツ在住の長女からメールが届いた。

Fw: TR: お好み焼エッセイについて<オタフクソースです
以下のようなメールが来ました。応募住所から察するに、書いたのはたぶん5年近く前。応募したことは覚えているけれど、何を書いたかは全く覚えてません。私のエッセーを広島のラジオ局で読んでくれるようです。番組をCDに入れて放送1ケ月後、送ってくれるみたいなのですが、そちらに送っても大丈夫でしょうか?





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ええ話やん、と思った。
長女は文章で稼ぐのか、CDだけではなかろう、何かくれるやろ。
その謝礼が楽しみのお父さんだよ。

オタフクソース側の申し出は以下の通り。
弊社では、広島のラジオ局(RCC中国放送)にて、『お好み焼のある風景』というお昼の5分間の番組をもっており、毎回、お好み焼のエッセイを1作品、紹介しております。柏村武昭さんという元アナウンサーの方が、朗読されます。放送は広島地区近辺のみで、12月2日(月)お昼11時55分からの5分間を予定させていただいております。


函館生まれのEU育ちである長女、文筆家であろうか。
父の童話は落選し、長女のエッセイは採用されている。
こうなったら、お好み焼きセットでも送ってもらえたらと期待するパパ。



ファイト!






ファイト!(68)  コメント(3) 

慰安の時間   [@amy.com]




オレの尻が腐り始めているかも知れない。
病室の固い椅子にずっと座っていたからかも知れない。
活力の低下と思考力の低下は、電脳空間に距離を置いたからか。



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長女と自転車で、ライラックを見に行った。
病室の外に出る、と言う意識を持ちたかった。
私には強い匂いだが、ライラックの香りは好きだ。




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母には縁が少ない花だと思うので、写して持っていくことにする。
明日からまた、大阪だが、今回はノートパソコンを持参する。
疲れすぎないように、遊び心をたくさん持っていく。




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「tommy センセー」と声をかけられた。
そう言えば、自分は高校教師だったんだと思い出した。
花が咲き始めたねと、写真を撮った。




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もちろん狙いはこれ。
ワインを飲んで、ポリフェノールを注入した。
激しくはないが、蕁麻疹が治まらないのが不安である。

明日からは、怖い大阪だ。

今夜は妻にパスタを作る。
キャベツとホタルイカのバター醤油パスタ
最後の晩餐




ファイト!





長女四半世紀   [@amy.com]




昨日は長女の誕生日だった。


豪州からデイブの息子(中1)が来ていて振り回されていた。
だから夜、Skypeでハッピーバースデイを歌った。



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1993年12月 4歳 函館  家族の肖像



誕生日おめでとう。
四半世紀が過ぎたね。25歳。




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1996年7月 6歳半 新潟  家族5人の大阪初遠征



来年は、次女が年女だねって、今日ママと言ってたんだよ。
早いねって、早すぎるねって、あーあって。




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1999年7月 9歳半 札幌  宝塚夫妻の遠征に付き合って記念写



25歳。
オレ、まだ、生まれ変わったばっかりで、学生をしていたね。学士レベルだ。
ママはまだ17歳、おーお、全く別の人生であったわけだよ。




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2010年9月 21歳半 札幌  東京・鹿児島から集結



ある意味で、オレは出遅れてたけど、キミはドクター、濃厚に学問をしているのだと思う。
人生に悔いは無く、やりきった感じではある、オレ。
キミもそうであれば良いと思う。




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2014年9月 24歳半 かもい岳温泉  諦めかけていた家族5人旅



人と同じである必要は全くない。人と無理に違っている必要もない。
いつでもシッカリとした自分、ぶれない自分、三日前とは違う成長した自分を今つくる。
基礎工事がシッカリしていれば、キミはオレの、偉大なる人物だ。
仕上げるための時間がまだ4年ある、ファイトだ。




負けじとオレも、ファイトだ!





成長した講話   [@amy.com]



ひとつ屋根の下
家族と暮らすと成長しない
リチャード・バック           


昨日の放課後、長女が本校に来て、お話をした。
「学力向上モチベーションアップ講話」である。
朝講習の対象者である、学力上位50名ほどが対象だった。

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意外にも、始まりは緊張していて、固いなと思ってしまった。
だが、やがて慣れてくると、迫力と勢いの感じられる講話だった。
こういう話を聞いた若者たちは、必ず、内部で変化が始まるものである。
参加者は良い経験をしたのだと思う。


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・目標設定の仕方について
・モチベーション維持の方法について
・グローバル社会でのサバイバル方法について
・英語学習の方法と語学学習の意味
・留学の種類と効果的方法

よくまとめられた話だった。
質問コーナーでも随時、的確に答えていた。


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娘の講話に次回があるなら、さらに内容も方法も成長していることだと思う。
パワーポイントの工夫、写真の有効利用。
そういうヒントを、形に変えるのは重要なことだと思う。
そして、やがては、「語りかける写真」を撮影する重要さに気づくのだろう。
百聞は一見にしかず、の重さを理解し始めるだろう。

娘の成長を見た。満足である。


長女ちゃんおめでとう   [@amy.com]



長女ちゃん、おたんじょうびおめでとう。
まだまだ成長はこれからだろうが、いずれまたレポートを期待する。
大学に推薦入学を期待する者がいて、鍛えるために長女のレポートを印刷して渡した。
ケニアレポートと豪州レポートであった。

印刷するのにものすごく時間がかかったけれど、読むのにはもっと時間がかかったでしょうよ。
と言うことは、書くにはもっともっと時間がかかったと思う。
蓄積と精査によって、おそらく出版しても良い代物ではないだろうか。
少なくとも、私の生徒は大きく影響を受けたはずである。

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1991年3月3日 1歳3ヶ月あたりの函館

ママによって大事に育てられていた。
無茶苦茶なチチよりはこのママの貢献度がデカイ。



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20年経てば環境も大きく変えたであろう。
楽しみの一番星。




次女のページで、最近もっとも気に入ったひとこと。
今日の一言
 凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。




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しんどいと言うことをいくら言っても仕方はありません。
限界、今日は忘年会、呑む、楽しむ、今夜こそぐっすりと眠る。
昨日の決起集会、4分間のスライドショー、完成度は高かったけれど、・・・受けたのかな。
そういう反応が、大人も子どもも少ないから、よく分からないのだ。

長女のお誕生日パワーをもらって、ファイト


師走でごわす   [@amy.com]




朝講習というか「0時間目」、今週から始めたけれど、キツかった。
授業分を合わせて3問、毎日解くことになるので、しまった、限界を超えていた。
眠いのなんのって発狂寸前。
買い出しにも行けないので、友人から送られた救援物資を重宝している。
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鹿児島の有名デパート山形屋(Yamakata-ya)(gataではない)から




長女の誕生週間あるよ

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1990年1月21日 生後1ヶ月

大阪お婆ちゃんが長女にはずっとつきっきりだった。
こういう時間が絆を作っていくのだろう。

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2000年1月5日 無事2000年問題を通過して


朦朧としながら10数年前の写真を眺める。
色々とあったのだが、前に進んでいる。
この調子で確実に前進を志す。
ファイト


Eric Kayser   [@amy.com]

むすメール
ブログの写真のバゲット、どこかで見たことあると思ったら、パリで食べていたパンでした。写真をズームして、パン屋の名前を確認して、確信に変わりました。  Eric Kayserというパン屋、パリに数店あります。本店が私の住んでいたアパートの近くにあって、家主であるおばあちゃん行きつけのパン屋さんです。私はスーパーの安いバゲットを買っていたけれど、おばあちゃんと一緒にご飯を食べる時はいつもこのパンが出てきていました。


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札幌駅にある札幌大丸地下1階にPain au Traditionnelが登場 [HPより
パンオトラディショネルは伝統的なフレンチスタイルのパンづくりをベースに、毎日の食卓に安心で安全なおいしい天然酵母のパンを提供するベーカリーです。◆そのこだわりは・・天然酵母「ルヴァンリキッド」を使って低温長時間発酵させたハードパンと、北海道の新鮮で良質な牛乳から作るバターやクリームにあります。◆職人がわが子を育てるように毎日継ぎ足しながら育てているこの「ルヴァンリキッド」が私たちの誇りです。◆常に変化する温度や湿度に合わせてコントロールする発酵技術こそがパン職人の真骨頂だと考えています。◆我々が自信をもってお送りするこだわりのパンを是非一度お試しください。
パンオトラディショネルの中心的なパン職人達は、パリでNo.1クロワッサンと称されてから世界各国でショップを展開するEric Kayser(エリック カイザー)氏のブーランジェリー「メゾンカイザー」で修行した経験をもっています。その為、一般に安定した管理が難しい天然酵母を使いこなす技を持っているのです。


この美味いパン、5年後に長女が帰ってきたら食わしてやるかと思っていたら、あろうことか、そっちもんやったんやね。なるほど。パン好き家族だからね、次女・三女が6月の北海道選手権に帰ってきた時には、もちろん一緒に食べるよ。かま栄のチーかま系を載せて食べる。

なんとなくパリに行った気分。


飛躍中の長女が23歳になった   [@amy.com]

このブログを始めたきっかけは、長女が去年の夏、パリ政治学院に留学することが決まり、時差が発生し、いよいよスカイプ参加率も低下するであろうから、それでも家族が札幌、鹿児島、パリとそれぞれの場所で、相変わらず色々なことに挑戦し考え抜いているのだと、お互いをマイペースで確認する為に用意したものでした。そういう家庭内での掲示板。・・・最近、やっと奥さまもページに書き込み始めたので、良い。むかし、出会った頃の奥さまの手紙は、深くて可愛くて面白かったのを思い出します。

長女との時間をどう表現すれば良いのだろうか。我が愛しの美人三姉妹の、いちばん始めに出会った娘だった。予定では「一姫・二太郎・三なすび」だったのだが、結局は美人三姉妹となった。それが実は最高のことだったが、まだ始まりは長女ひとり。

はじめに出会った時、五稜郭病院のガラス越しの小さな箱に娘は入っていた。すでに名前は出来ていたので名前を入れておいてもらった。「あいみ」である。漢字で書けば「Beautiful Love」を意味し、巳年に北海道で生まれたから、アイヌの巳で、あいみ。ガラス越しに初めてのチチがしたことは、手と足の指の数を数え、動いているのを確認し、それだけで満足だった。

年とともに要求はつのるものだが、はじめはシンプルなもので、「賢くて面白くてスポーツが出来れば良い」と願った。それが徐々に、世界に切って出て、日本を救う人間になれ、役に立つ人間になれ、などと細かい注文が発生し始める。しかし娘は、地道な努力で、私の夢の多くをかなえてくれている。

もうすぐ2012年12月20日、午前5時である。今日は長女の誕生日。23歳になるのかな。日本で生まれた彼女は実際に、23歳になった。誕生日おめでとう。だが、彼女が今住んでいるジュネーブでは、まだ19日の午後9時なのであった。

暗記した「行くよイチバン(1941)真珠湾」でも、日本では開戦が12月8日(月)になっているけれど、被害者のアメリカにとっては、忘れもしない12月7日(日)となっている。それでも、地上滞在時間のカウントだから、すでに娘に言って良いのだと思う。長女よ、誕生日おめでとう

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1996-5-5 まだ6歳
豪州人の友人を連れ歩きよく旅をし遊びに行ったし家でも遊んだ。ガイジンに対する抵抗は全くない子どもとして育った。すでに、この時点では美人三姉妹の路線を歩んでいる。存在、それ自体が美しい。


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1998-7-15 まだ8歳
お姫様になることを願い、いつもネズミ役の次女にスリッパを拾わせて、自分がシンデレラであることを確認していた。その寸劇は、祖父母にはバカ受けであった。役者になるのかなと、少しだけドキドキした。


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2007-7-17 一年間の高校交換留学から帰り
高2の夏に日本を出て、高3の夏に帰ってきた。現地でもスイミングスクールに入り、レースを転戦した。高3の1月の大会で、水泳の現役を引退。その後、早稲田では体育の授業で水泳を取ることが出来たけれど、、パリ政治でも、今の大学院でも授業がかぶって陸上しか取れていない。そういう流れだと思う。


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2009-8-18 次女の高校総体応援の旅
長女とはよく旅をした。次女の高2では埼玉で、高3では大阪で、三女の中2は帯広、高3は新潟、あるいは次女のインカレ。長女との応援旅行は面白く、イギリス、スペイン、フランス、イタリアとサッカー観戦ツアーは是非、退職後に企画したい。


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2009-8-19 応援の旅 大阪
次女が50mと100mの自由形で、どちらも4位という惜しい結果にはなったけれど、長女と二人で、わくわくドキドキすることができた。大学の勧誘の場面も、長女とそばで見ることが出来て貴重な経験だった。本当に楽しい旅をいつでも経験できた。


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パリ政治学院に行く前だと思う。ムムリクの個展で、フランスの新聞記者も来るというので遊びに行った。通訳のまねごとをし、物怖じすることもなく、交友も視野も広げていった。こういう出会いから、外人記者クラブにも入っていって、あれこれとレクチャーを受けることも出来た。すでに、チチの届かぬ存在となっている。


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2012年12月 ジュネーブ
私たちの結婚記念日に届いたメールに添付されていた。陸上の授業の延長で、Course du Duc と呼ばれるレースに参加したと言うことでした。フランスから国境を越えて行われる18キロ程度のレースで、400年ほど昔にフランスが侵略するのを機先を制して勝利したという史実に基づいて、関連コースを走るとか。DNA から考えれば、走ることに関しても才能はあるでしょう。

来年もそういうレースを楽しみながら、お勉強も激しくやっているようで、試験とレポートと探検生活に追われ、スカイプの参加も1~2ヶ月に一度くらいしか出来ていません。それでも知力、気力、体力の充実がうかがわれるので、もっともっと、もっともっとが、モットーです。

誕生日おめでとう 長女あいみ
Master in Development Studies, Class of 2014 Graduate Institute of International and Development Studies

学位記   [@amy.com]

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飛あゆ=「ふっくらと平鍋で焼き上げたカステラ生地にもちもちの求肥を包み、長良川の鮎を模した伝統的な岐阜銘菓」らしいが、さっぱりしていながら、中の求肥が楽しかった。おそらく岐阜国体では、売れ筋だったのでしょう。


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夕刻の宅急便で届いたモノには「学位記」と書かれていた。私自身のでは「卒業証書」と書かれていたように思うが、早期卒業の場合にはそう書かれるのか、不思議なポジションを感じた。検索をかけたら、併記するところもあり、学校によって違うのだと知る。


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卒業式の案内もあり、9月15日という日付。「秋季学位記授与式・卒業式」だけど、すでに大学院が始まるのでジュネーブに渡っていたので、長女は出ることはできなかった。長女が日本の卒業式に出ることができたのは高校だけで、結局、小中大と卒業式には出ていない。そんな暇はなかったと言うこと。

いわゆる半年繰り上げ卒業を選んだ娘は、彼女なりの戦略があってのことで、前進前進の勢いは素晴らしく誇らしい限りです。どこまで化けていくのか分からないけれど、大いに期待も寄せたいと思います。