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そこに愛はあるんやな [スポーツ]
調子を崩した1週間だった。
快晴になり雨が降り続き、再び快晴。
その繰り返しで気温が乱高下し、日中汗ばんでも夜は肌寒い。
貧血のような状態が続き、倦怠感が襲い、とにかく動けない。
花粉症のような症状が出てきて、目薬を欲するし鼻水だ。
愚かな自民党や静岡県知事への不快感で、毎晩吐き気がするし。
イラついて寝付けない時の吐き気は川勝知事や自民党青年部のせいか。
それとも、女性であることがリスクになってる世相のせいか。
大谷翔平さんのニュースだけを見て、私は貝になりたい。
■ そこに愛はあるんかい
不快感を減らすために、御尊顔を半分にした。
勝手を言う昭和の左派だが、当選させた連中の責任は大きい。
リニアでも、工事費、やがては運賃にまで悪影響を及ぼす抵抗だけ勢力。
「男の子のスポーツマンシップはお母さんに育てられているから」
「サッカーをするために藤枝東に入ったから勉強よりボールを蹴るのが重要」
ジェンダーギャップがバレないのは、地方ニュースでしか流れないから。
こういう人を選ばせた立憲民主党の手腕。
選挙権がないから落とすことはできないが、選んだのは静岡県民。
この顔が出てきただけで不愉快になるのだけど、愛はない。
■ そこに愛はあるんやろ
あえて目を合わさないのは、そこに愛がないからか。
いえいえ、昔の人は言いました。
俗諺(ぞくげん)ではありますが「嫌よ嫌よも好きのうち」と。
この俗諺を悪用する昭和のオヤジたちは積極的に錯覚して、悪さをしました。
ボク? だって紳士だもん、あ、いや、でも、反省はしておく。
さて、ワン公に「本当に嫌?」と問うても、返事はない。
■ そこに愛はあるんやね
ひと様の配偶者評論家になり下がるつもりはない。
ただ、やっぱり大谷翔平さんの奥様には興味津々、雪は降る。
はい、思った通り、物静かな、チビは黙ってろの世界の方ですね。
以前に誰かが「女子アナじゃなくてよかった」と仰り、同感の賛同でした。
自分を演出する事にたけた軽薄な方はやめてほしいので、ボクの翔平に。
お写真で見る限り、ハイ、聡明感があり頭の良いカップルと映りました。
もう、よそのお家をほじくり返すのは下世話なことで、野球に集中。
デコピンも気になるけど、大人しく冷静に、善人であることに注力。
うふふ、善人ぶってたら10/3093の確率で「当たり」だから、善行を積む。
■ そこに愛はあるんやな
三女がMelbourneで滞在先の休暇を利用してCountrysideに出向き、写す。
家族のLineに登場したこの写真に、「怖い」と反響があった。
む、む、想定外の反応に驚いたが、過去の経験や慣れなのか。
馬に蹴られる犬に嚙まれる、それを想像すると怖い。
でも、牛にツノがない限り突進しかないのだし、この距離は怖くない。
あのザラザラの舌で舐められると、さすがに快感はないが。
牛の目が好きだなぁ。
牛の眉間の毛並みが好きだなぁ。
思わず食べちゃいそうだな、そこに、愛はあるんやな。
ファイト!
そこに愛はあるんかい [卒業生]
北風が冷たい。
そう感じるのは生きてる証。
良かった良かった。
ガザ地区の病院で点滴を受ける乳幼児をTVで見た。
白いミイラと呼べるほど痩せ細っており、虚ろな目で横たわる。
全ては栄養失調で、生理食塩水以外の点滴もなく、餓死を待つ。
義姉が拒食症で27㎏まで体重を落とした。
その亡くなる直前と同じだと妻は言い、餓死の恐ろしさを想像する。
義姉はアメリカで荼毘に付され、ガザの乳幼児は布にくるまれたまま。
東京では「雪が降る」と大騒ぎし、電車も計画運休。
ちょこっとだけなんだけど、雪国とは違って雪に弱い。
ニュースでは歩き方まで伝えており、お世話様ですな、と思う。
雪の後の外出注意中に、美術館へ友人の作品を見に行く。
文部科学大臣賞を取ったと言うので、嬉しかった。
腐れ縁だから、勝手に喜ぶのだ。
目が覚めると蒲団の淵に霜が立つ酷寒の朝、とあり彼の詩。
私にも経験があり、道北の公宅で冬の朝、驚いたのだった。
あの寒さの中の彼の野心を感じて、さらに頑張れよと思った。
罰金1万円、自転車を置いてそれかよと、取れるのかな。
1万円で脅してるのか、1万円なら置いて良い営業か。
この罰金は非課税なのか、国庫へは行くのか、気になる。
昭和の頃は、「立小便禁止」がそこら中に貼ってあった。
中には赤い鳥居の絵を描いたりして、それでも金はとらなかった。
今は正義も金で換算するのか、あるいは無断駐輪を動かせば窃盗なのか。
ロクなことをしない国会議員を養うために納税するのではない。
世界に対して恥ずかしい現状を是正することなく、保身と裏金。
トランプじゃないけど、国会を襲撃したくなる、やんないけど。
自民党はどうしようもない状態で、他党はさらにレベルが低い。
手を打つべきことが山積するのに、キシダと来たら。
春から、各輸入品の再値上げでまたオレを苦しめるとは、襲撃ぞ。
40年あまりの時間の中で人口が半減し、2,700余名。
現在の高齢化率は38%と、全国を10%近く上回る町。
そんな町で地元を支える教え子が何人もいるのだが、頭が上がらない。
ふるさと、地元を選び、支える人たちがいる。
政治の目が届かない場所で、直面する喫緊の課題を解決しようとする。
牛を育てるのも、魚を売るのも、老人の介護に携わるのも、仕事。
明るい話題を生み出し、助け合う形を捻出する、自助と互助。
教え子と言うのはエラそうだけど、誇らしい生き方をしている。
キシダには届かない場所で、苦労を買って出ている人たちがいる。
相変わらず気分は晴れないのだが、世の役に立つ行いこそ、善。
善行を積む人たちに、光が届きますように、良いことが起きますように。
近所の犬は振り向いてくれないけれど、明日こそ、希望は捨てない。
ファイト!
『BBC Earth 2024 地中海 再生するいのちの物語』 [TV]
■ 地震活動続く千葉県東方沖で「スロースリップ」
最近、よく揺れると思ったら構造的に問題があるようで、危惧。
横にゆらゆら揺れているので騒がず落ち着いて、様子を見ている。
縦に突き上げてきたら大変だけど、地震大国の日本だ、仕方なし。
この地震はまだ暫く続きそうだから、震度5までは覚悟しよう。
怖いのは停電、他力本願ではなく、打開策の準備を始めるかな。
首都圏がやられたら、キシダに対応は出来まい、と自力本願。
知らん顔をされるのに慣れてきた。
試しにローアングルで写してみた。
目を合わさないのなら、カメラを私の視線より下に置き、挑戦を続ける。
■ 『BBC Earth 2024 地中海 再生する生命(いのち)の物語』
紅海を通過する貨物船が増え、地中海の海、自然が死にかかっている。
そういう警告のドキュメンタリー(50分×)6話を見た。
なかなかの感動もので、どうやって撮影したのだろうと思っていた。
第6話は、とても興味深く勉強になった撮影の方法と裏話である。
オジロワシが速すぎて撮影はレース用のドローンを使った。
どのように写したか、それがわかるのは面白い
第6話はまるで、メイキングビデオである。
シュバシコウ、オジロワシ、フラミンゴ、アカウミガメと。
それぞれに工夫があり、第6話に至るまでの後、種明かし。
シュバシコウ担当は、ドローン。
赤ウミガメ担当は、ロボット。
アザラシは、潜水夫。
200㎏から300㎏あるマグロ。
それが千数百匹集まって同じ方向に回るぐるぐる回る。
洗濯機の中のように大きな渦ができ、それに吸い込まれたら終わりだ。
常識外れの撮影もあり、迫力が生まれる。
ドキュメンタリーとフィクションを織り交ぜる手法。
こんなの見たら、地中海に出向きたくなるではないか。
■ 激震 大谷翔平さん結婚
驚いたけれど、彼の爽やかさをまた、垣間見た。
メディア対応も彼の強い意思が伝わり、あっぱれだった。
マスコミの下品さが通用しない、品格の盾を感じた。
言うべきことを言い、プライベートを守る。
野球に専念する、その環境への配慮をさせる強さ。
大谷さんに、廃校になった小学校の、名を知らぬ花を贈ろう。
ファイト!
サラミ・スライス戦術 [新聞から]
ちょこっとずつやったら、分からへんやろ。
ちょっとやん、まあええやん。
そのうち厚顔無恥に開き直り、ええやん、ちょっとやん。
サラミ戦術 敵対する勢力群を、まるでサラミを薄くスライスしては食べることで、ついには全部たいらげてしまうようにして、少しずつ滅ぼしていく戦術・戦法である。また外交手法の一種で、議題や措置を出来るだけ細かく少しずつ出して交渉相手から対価獲得や時間稼ぎを行う手法も指す。サラミ・スライス戦略、サラミ・スライシング戦略とも。比喩を使ってその本質を指し示す用語。
トランプに振り回されたアメリカは、ウクライナなんて知らんぷり。
まる2年の時間の中で、侵略者プーチン軍は、人海戦術の屍の上に勝利近し。
ちょっとだけよが征服者となり、栄華を極めるのだろうか。
習近平も先月から愛国教育法を施行し、徹底的に国民の記憶を上書きする。
徹底的に「入脳入心」、共産党礼賛から、神よ習近平。
10年前に制定の「抗日戦争勝利と南京大虐殺の記念日」で毎年再確認する。
(9月3日=抗日戦争勝利記念日、12月13日=南京大虐殺犠牲者国家追悼日)
既に決めたことだと不具合も隠して、おかしなことが上書きされていく。
どうも浮かれた気分になれないのは、あいつらのせいだ。
おかしな国とは付き合いたくないのに尻尾を振る連中、鎖国をしてほしい。
■ 聞こえは良いが
たしかに環境を守ってくれよと、動物病院で山羊さんがメェ~。
裏金とは違って何に使うか明確だと言う、森林環境税。
たしかに、世界に合わせていかなくちゃならない、森を手入れしよう。
でも、今まで放置してきたのは誰だ。
農林水産省っていったい何だ。
そちらで賄えないなら、説明が先でしょ。
森林環境税 2024(令和6)年度から国内に住所のある個人に対して課税される国税であり、市町村において、個人住民税均等割と併せて1人年額1,000円が徴収されます。 その税収の全額が、国によって森林環境譲与税として都道府県・市町村へ譲与されます。
でも、まあ、一人年に1000円か、いいじゃないか。
そういうことか、川勝知事のせいでリニアの工事費、膨らんどる。
余計な無駄をバラ撒きまくって、あっちが足りないから税金って。
いつも思うけど、環境省の役人が天下る窓口づくりでしょ。
邪推はいけないか、でもなぁ、世界は帳尻が合うのだろうか。
腹が立つから勉強するかなオレ、休日だから飲めるんだけどね。
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『お別れホスピタル』 [ドラマ]
腹の立つことが多くて、ズルいけれど社会から離脱したい。
何様か知らないけれど静岡県の川勝知事、ほぼ国策を振り回し。
イチャモンばかりつけてリニア新幹線の工事費高騰、オマエのせいだ。
裏金の連中もそうだけど、誰が投票しておるのかしら。
パリでもソウルでも、普通に10万人規模のデモが起きる脱税的裏金。
中国やロシアなら怖くて騒がないが、私たちは平和裏に黙るしかないのか。
■ 『お別れホスピタル』がキツい
この番組について(NHK) 高齢化が進行し、癌が国民病と化した現在の日本。7割以上の人が病院で最期を迎える。そんな病院の中でも 、末期がんなど重度の医療ケアが必要な人や、在宅の望めない人を受け入れる療養病棟。そこはまさに医療のセーフティーネット。◆その最前線に立つ看護師は、意思表示の難しい患者さんのわずかな変化も見逃さず、そこでの日々が最善であるよう努める。ただ苦痛を取り除くだけでなく、その人らしい「限りある生のかたち」を求めて日々奮闘する。そして、訪れた最期から、その人なりに「生き切った命」を見届ける証人となる。
中学時代の大阪の友人、後藤クンが還暦前に亡くなった。
私が、札幌でまだ仕事をしていた現役時代。
なぜか札幌の家に、彼の友人が電話をしてきた。
あんなぁ、無一(後藤クン)がなぁ、チャック(私)に会いたいて言うてんねん。
突然の電話で驚いていたが、末期癌で、桃谷のホスピスに入院していると言う。
もう残り時間がないと、おフジ(共通の友人)が粘っこい大阪弁で言う。
GWの高額チケットで、緩和ケアを実施している病院へ飛ぶ。
着いた時には既に意識も朦朧とし、苦しむとモルヒネの投与。
看護師さんも、会いたがってましたよと言うけれど、彼と会話は出来なかった。
彼はまだ意識があるうちに、自ら大学病院に献体の申し込みをしたらしい。
到着した翌朝に彼は亡くなったが、大学病院が遺体を受け取りに来たのは夕方。
回復して退院することのない病院で、看護師さんもメンタルやられるだろうな。
そんな中で、後藤クンは冗談ばっかり言ってたらしく、あいつらしい。
言葉も交わせなかったけれど、献体の手を打つのは後藤らしくあり、納得した。
死を迎えるにあたり、彼は自分のカラダを献上する、中学時代と変わらぬ哲学。
おそらく彼の信条が、看護師さんにも十分に伝わっていたのだと思う。
お見送りするときに、一緒に泣いた。
後藤クンのお姉さんは、お葬式もでけへん、と少し怒っていたけれど。
潔い男だった。
そして彼が去った部屋にはすぐに、次の方が。
ドラマを見ながら、やはり最後をどう生きるか、考えちゃうんだよね。
■ 相変わらずの知らんプリン
頑固と言うか、強い意志を感じる。
かなり近づいて、カメラで狙っても、やはり目を合わそうとはしない。
この耳の向きを見れば、かなり意識しているのはわかる。
陥落の日は近いのか。
絶対にカメラ目線にさせて撮影するぞ。
もう、オレの生きる目的だ!
■ 蜜を吸うのかい
飢えた鳥が蜜を吸いまくるのが面白い。
大量に来た鳥が蜜の吸引をしまくる図は、せわしない。
この鳥が雀でないことは知っているけれど、鳥と呼ぶ。
さて、2月が終われば3月だ。
三女はメルボルンへ行き、やがてそのパートナーはタイへ行く。
それぞれ仕事だと言うが、よし、その間、日本はオレが守っておく。
4月になれば長女もシンガポールで仕事、その合間に日本に来るとか。
私も鳥のように、どこかへ飛んでいく気力、それは全くないかな。
今は美味いものを食べることだけを楽しみに、春季キャンプだ。
ファイト!
「の」のはなし [ことば]
ちょっと参ったなぁと思った。
ラジオを聴いていたら、小さいけれど引っ掛かる表現を聞いた。
増山さやか(ニッポン放送アナウンサー)さんが、ついミスをしたのだろう。
それは「2月11日の建国記念日」と、やらかしたのだった。
小さいけれど、ずっと意識してるから引っかかってしまった。
3学期に入ると、高1生に、2月11日は祝日だけど何の日、と尋ねるのだ。
北海道の高校生だから純朴で、手を挙げて「建国記念日」と言ったりする。
格助詞の「の」が、主語、連体修飾、並列、体言代用の役割がある話をする。
小さい、たった一文字で、大違いだよと教える。
旧友で、亡くなるまで毎年寄越す年賀状に「皇紀2674年」とか書いてきた。
別に右翼ではないけれど、こだわりを持った手強い男だった。
彼ふうに言えば、今年は皇紀2684年、となる。
明治生まれの祖母は昔、紀元節と呼んでいたが、今は、建国記念の日が正しい。
日本書紀に記される桓武天皇即位の年を元年に起算する、皇紀。
その考えに従えば建国した日が明確となり、建国記念日となる。
しかしね、天皇が人間宣言をし、GHQに押さえられ、何となくニッポン。
で、得意の何となくだから、紀元節を「建国記念の日」にしたのでした。
小さいんだけどこの「の」は役割が大きいと思うのね。
■ ねぇお友だちになって
駅に行く通り道のお宅に、ヒップラインの素敵な犬がいる。
お見受けするところ柴犬なのだろうか、いつもシカトする。
柴犬の性格はご主人様に忠実だと聞くが、他者に興味なし。
よその犬だから餌付けするわけにもいかず、なぁ。
毎回近づくんだけど、絶対に目を合わそうとせずシカトする。
干物(トバやホタテの貝柱)攻撃で心を掴むのは禁じ手だろうし。
妻と犬を飼いたいねと言っている。
でも、犬の寿命と、自分の年齢を考えれば、犬が可哀そうになるかな。
ちゃんと世話をするということは、看取るわけだし、心が痛むだろうし。
人生を季節に分けて、出来ることと、出来ないことを区別する。
冷静に選択しながら、前に進むしかない。
よその、絶対に目を合わせてくれない犬に、嚙まれていないことを良しとするか。
ファイト!
自民党には生まれ変わってもらいたい [新聞から]
先月終盤から、風邪のような症状で寝込んでしまいました。
熱は38℃少々、めまいと喉の異常、薬を飲んでずっと寝てました。
体重が2㎏減ってしまい、せっかくの正月の蓄えを、なくしちゃった。
少しボンヤリする頭で深く考えてひと苦労。
ちょっと自民党には一度、滅んでもらおうかな。
明日から散歩も復活して、体力を再び付けていく。
■ 夫婦別姓を考えてほしい親心
(2024年2月3日 毎日新聞・朝刊)
選択的夫婦別姓制度の導入に向けて経団連を中心とした経済界が動く。
娘が博士なら、改姓により旧姓時代の論文が認識されない。
女性の働き方とか言うだけで、改姓でキャリアが台無しになるのだぞ。
自民党の保守系議員が、反対するのだ。
「伝統的な家族制度の崩壊につながりかねない」
「子どもへの悪影響が懸念される」
伝統と言って、どれほど古いのか。
1898(明治31)年に「家」を基本とする戸籍制度を定めた。
1947(昭和22)年に「家制度」を廃止したが、夫婦同姓を存続。
かつてはアジアの新興国でも「夫婦同姓」制度が存続した。
しかしジェンダー平等の観点から、次々に夫婦別姓を認め始めた。
現在、世界の中で、日本だけが夫婦同姓で、なにをもっての伝統か。
選択的夫婦別姓、賛成が83.9%と、キシダ支持率より高い調査がある。
1996年の法制審議会以降、選択的夫婦別姓が議論されずに眠る。
パー券売って裏金隠しに多忙を極め、あらゆる議論を逃げるキシダの解党を願う。
■ 目を合わさない柴犬
愛嬌があるように感じるのだけど、人に愛想が良くない。
じっと見ていても、眼中になく、いわゆるシカト、絶対に目を合わさない。
飼い主にジャレて懐く姿はよく見るのだけど、ヒップの可愛いこの犬、ボク嫉妬。
■ 久遠チョコを知って脱帽
1月11日放送のカンブリア宮殿で見た。
障害者をショコラティエに変貌させ急拡大! 久遠の奇跡とは?
チョコレートやクッキーの製造販売で、いまや北海道から九州まで40店舗を構える久遠チョコレート。その急拡大の秘密は、生き生きと働く様々な障害を持つスタッフたち。400人を超える障害者に働く場を生み出し、奇跡の成長を遂げる異色のショコラティエ集団の舞台裏に迫る!
一定数の障碍者を雇うという、ぎりぎりの線ではなく。
しっかりと給料を払い、技術を身につけさせ自信を持たせる。
こういう正しい発想が社会に行きわたるような政治、裏金自民じゃだめだな。
■ 弱者と大声で言う人は避ける
むかし、学生時代にいわゆるボランティアをしていた。
(好きな子が参加するからと)動機は不順で、毎週の日曜に、施設に通った。
通いながら、生活のお手伝いをし、学ぶことが多かった。
活動の中で1冊の本を知り、近江学園の園長さんの『この子らを世の光に』。
冒頭で、「この子らを世の光に」と「この子らに世の光を」の違いを言うのね。
「を」と「に」が逆になれば、この子たちは哀れみを求める可哀そうな子になる。
大学で教育課程を履修する者にとっては、目から鱗でした。
生きていく姿勢は言葉に現れ、思索を深める人間でありたいと思った。
失敗ばかりの人生を生きてきたけど、自民党も生まれ変わってくれ、嘆願だ。
ファイト!
ひと風呂浴びて妄想族 [温泉]
一人きりで人生の迷路に迷い込み、立ち尽くしている時、心の中の空模様は土砂降りである。雲間に空さえ見えず、濡れるに任せることもあるだろう。そんな時、誰かの手でスッと傘が差し出されることがある。見覚えのあるその傘は、きっと昔、誰かに差し出したはずの自分自身の傘である。老いてなお、時間の流れの中でふと気づくあれやこれや、ありがたいと思うこともある。
そでふれあうも タショウのエン
袖振り合うも多生の縁 道を行くとき、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるという意味から、どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に起こるのではなく、すべて深い宿縁によって起こるのであるという意味。
あなたは私を夢中にさせたのよね。
懐かしい映画のような出会いをして、あなたを追いかけて北海道へ。
あなたが夫で、本当に良かった。
妻がそんなことをわざわざ言う。
驚いて、嬉しくて、感激して大きな声を出した。
その声に驚いて目が覚めたけど、何となく幸せな気分だった。
TVのトーク番組で「よその家庭が羨ましかった」ことを語り合っていた。
やがて話は子ども時代の自分の家庭の貧しさの話になっていた。
便乗して自分も考えたが、貧しさの問題ではなかった。
うちの三姉妹の弟に生まれたい、ということを考えた。
次女と三女の間に生まれれば、姉に絶対に濃厚に可愛がってもらえる。
上の真似してれば人生は大丈夫だし、三女が妹なら少しエラそうにできる。
何と言っても、うちの三姉妹と過ごすなら刺激的で充実しただろう。
彼女たちとなら、楽しむことを楽しめる子ども時代を過ごせたかなと思う。
ただ、姉も妹も博士で、劣等感を持ったかもしれないが。
海岸へ日の出を見に行ったら、キャンピングカーが止まっていた。
札幌ナンバーで、2kさんかなと思ってしまった。
屋根にはソーラーパネル、パラボラアンテナ付き、あれこれ手を加えている。
いわゆるリタイアして、「老後」を考える時。
できることなら、ゆっくりと妻との時間を充実させたいと思う。
同じ日の出を見て、同じ風に吹かれ、同じ夕日を眺め、手をつなぐ。
人生の終盤は、温かい気持ちを満たしたい。
大好きな人と過ごす時間は、楽しいことこの上ない。
人生は出来ることなら、ハッピーエンドが好き。
ファイト!
新生オレの出発 [日常]
およそ2か月間の、妻との同棲生活を終えた。
妻のリハビリが完了し、少しずつ社会復帰をすると言う。
再び2拠点生活が始まった。
ちょっと寂しいよと言うと、おバカさんねと妻が笑う。
やっぱり大好きなんだよと言うと、なに言ってんのと妻が笑う。
そういう他人が見たら、くだらないような瞬間も、いとおしい。
現役時代に単身赴任は断った。
余生の時代に入り、風変わりな、エラそうにしない夫になる。
そのためにも、老体に鞭打って、新鮮な空気を吸う。
ぶつかったり仲直りしたり、人と人が一つ屋根の下で暮らす。
そして少しずつ距離が縮まり、木の年輪のように愛は育っていく
一人の人間を心から好きになることは、一生の仕事だ。
ふたりで朝の散歩と称し、人の少ない道を歩く。
ただ昇る朝日を見ているだけで、なんとなく幸せな気分になる。
それはそばに妻がいるからだと、私は知っている。
子は親を、いつしか越えていく。
親鳥は毎日、巣にエサを運びヒナの命をつなぐ。
身を挺して天敵を追い払い、雨の冷たさを一身に受ける。
そして巣立ちを迎え子は飛び立っていくのだが、ただそれだけのことだ。
しかし人間は意味を考えるから、 結局はふたりなんだねと肩の力を抜く。
出会った頃のように新鮮に、老いてはしまったけれど、もう少しね。
気持ちのいい風に吹かれて、一日の終わりを妻と語り合う。
するとまた、笑顔で明日を迎えられるような気がする。
いつもの見慣れた景色、いつもの生活、当たり前が明日も続きますように。
一人で生まれてきたという事実があり、記憶はない。
一人で死んでいくと分かっていて、認識しようがない。
すべては無に帰すという真理が、ただ横たわるだけである。
そうであればこそ、愛する者たちの幸せを願う。
だからこそ今日を愛する人たちと過ごす。
今日をやり切ったという満足に、明日を託す。
ファイト!
漠然と崩壊する中で [考え方]
昔は、という言い方になるが、自分が若かった頃、息苦しかった。
たくさんの違和感を抱えながら、大阪の高校時代に爆発して、逃げた。
高校を中退し、大阪を脱出し、家を飛び出した。
その禍根は引きずり続けているが、最近、違った意味で息苦しい。
自分を取り巻く社会が歪みを見せ始め、隠していたものが露見し始めている。
民族と宗教と、小競り合いが加速し、民主主義国家は分断が始まっている。
意味などわからなくても働く人間に仕立て上げる場所、それが学校。
そんなことを言ってるのが不思議で、海外の番組を録画した。
そしてその流れを追ってると、確かに、時代は変わったのだと思ってしまった。
学校とは、ちょっと考えれば誰でもが変だと感じることに疑問を持たないように教育する場所です。例えば、利益を生まないのに、なぜこの書類が必要なんだろうとか、誰も読まないのに、なんでこんな報告書を書くんだろうとか、当然の疑問ですが仕事の担い手たちは、そんな疑問を抱かないことも仕事だとわきまえています。
初等教育で子供の自然な好奇心を叩き潰している、と番組は続ける。
教育は幼心に芽生えた自然な好奇心を破壊するために行われている、と。
ここで疑問を持ったけれど、その後の幼子の動きを見ながらナルホドと思う。
子供が自分と周囲の世界の区別がつくのは、自分の力で変化を起こすことができると分かった瞬間です。例えば、腕を動かして偶然テーブルの上の鉛筆を転がしたとしましょう。もう一度手を動かせばどうなるか、もうその子には分かります。鉛筆をもっと遠くに転がせるんです。すごい、僕は他のものに影響を与えられる。その子が人間だと自覚する瞬間です。周りの世界とは違う存在なのだと。
そうした感覚を奪われると人は崩壊します。
自分を人間だと感じる大元の理由を奪われてしまうからです。
と説明しながら、社会変化の中、労働も変化しなくては人間性が壊れると言う。
市場経済が認めている価値と、働く人が感じている価値との間に不一致が生じていて、何かが大きく間違っていると人々は感じています。彼らは本来、仕事とは世の中の役に立ち自分の心の中にある何かを深めていくものだと思っています。
いまの時代、結婚と出産だけが女の人生じゃないんだから。
ドラマの中のそんな台詞に、ようやく日本にも来た新しい時代を感じる。
言えなかったことが言えるようになったこと、遅ればせながらの前進。
他者の価値観で縛られ、他者の価値観を押し付けられる苦しさが嫌だ。
ずーッとそう思いながら、自分も似たことをしてきたのかもしれない。
本当はバカな話をして笑って生きていたいだけなんだけど、もどかしい。
ファイト!
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