ジムノペディ [@真いか]
いまエリック・サティの『3つのジムノペディ』を聴いている。
舞い上がりがちな自分にかけた傾斜、少しアンニュイな気分を醸す。
起き抜けのニュースが、「パリ近郊、銃撃戦7人拘束…テロ首謀者の捜索中」だった。
・・・まだつづいている。
おそらく拘束されたのは、自爆した女性の家族かと思われる。
つい、複雑な心境であろう、「その家族」のことを思ってしまう。
長女 (2015/11/19, Thu 02:47) 今週の日曜もSkypeお休みです。今週末はいよいよ研究会で発表です。緊張しますが、今後の参考になるコメントをたくさんもらってこようと思います。明日、研究会が行われるトリノへ出発して、日曜の午後に帰ってきます。 それでは!
日曜の夜、お疲れさ~ん、なんて言ってたら、次女がいきなり改まる。
何やら取り出した物は、父と母へのそれぞれの手紙、あとで読んでねって。
そしてさらに、感謝とお礼と言って、封筒をくれて説明された。
洞爺湖温泉「ザ レイクビュー TOYA 乃の風リゾート」に我々二人を「招待する」そうだ。
そういうプレゼントを、小さくアルバイトして貯めたお金で用意してくれた。
2泊なので余裕、しかも送迎バスの予約もしてあるらしいので、ずっと飲んでいられる。
「ザ レイクビュー TOYA 乃の風リゾート」のHPを見たら、ありゃーっ、わくわくしてしまう。
こんな収容所で、オレに何をしろってんだ! うれしーっ!
温泉に出たり入ったり飲んだり食べたり歩いたり読書したり、きゃーっ、わくわく音がする。
だから
舞い上がっている自分を抑制するために、サティの単純な旋律を強制的に聴いている。
エリック・サティ 『3つのジムノペディ』
第1番 「ゆっくりと苦しみをもって」(Lent et douloureux)
第2番 「ゆっくりと悲しさをこめて」(Lent et triste)
第3番 「ゆっくりと厳粛に」(Lent et grave)
ファイト!
旅する娘 [@真いか]
次女は、およそ1週間足らずの旅に出ている。
昨日大分に入り、ウナギを食べて、夜行バスで鹿児島に向かう。
ぼちぼち午前6時、バスは鹿児島に着くのだろう。
そして4、5日、妹の部屋に居候して、5年間住んだ町を振り返るのだろう。
彼女の言う「折り返し地点」を後にすると、いよいよ東京に移動だ。
「私には田舎が似合っている」と自称していた娘が、どこまで洗練されるのか、楽しみかな。
ストイックな生活を求めた父として、娘と飲む日は想像していなかった。
日曜日、最後の泳ぎを終え、デパ地下で総菜を買い込み、飲み会をした。
子どもグラスでワインを飲むが、チビチビ、舐めるようには飲めないらしい。
カラダで飲むのは、大昔の父と同じではないか。
今まで、シュークリームを抱えて食べることはできなかった。
抑えていたものを抑える必要が無くなり、彼女は真に解放されたのだろう。
自由と幸せを、謳歌する瞬間だったようだ。
妻はすぐ赤くなり、2杯が限度。
結局は、次女のアルコール体質も、父譲りか。
うちの娘を酔わすには、予算オーバー覚悟である。
旅する娘と、ふたたび2人生活の夫婦に、ファイト!
ひとつの終止符 [@真いか]
21年という時間はとても長いものだと思う。
次女が函館で水泳を始めたのは3歳だったろうか、それから21年。
昨日、やっとのことで、次女が水泳を「卒業」した。
「選手コース」に入ってから16年という時間の中で、遅咲きではあったが花も咲かせた。
花は桜木、人は武士。
精根尽くして颯爽と、なお笑顔で競技生活を終えた。
この背中も見納めだった。
私自身、涙が出ることもなく、その楽しそうな泳ぎを見ることができた。
塩素くさい、このジュニア中心の地方大会だが、もうこの会場に来ることもあるまい。
辞めることがわかっていたので、チームジャージは購入していない。
もう着る物もないので、国体用のジャージや水着を使っていた。
そう言えば、国体も10年連続で代表だったし、先頭を行く辛さも背負っていたのだろう。
孤影はもちろん寂しそうだが、凜として、肩の力が抜けた、おだやかな表情だった。
混合リレーは自ら率先して、出ようと、所属チームに声をかけたようだ。
大学3年次のインカレで400、800リレーで表彰台の中央に立った笑顔は美しかった。
彼女自身、「チーム」を感じる瞬間を好んだのだから、リレーで競技を終えたかったのだろう。
やはり彼女のレースで、会場がどよめくことはもうなかった。
しかし、終わるときにはそれで良いのだと思う。
そして、いろんな終わり方があって、次女にはこれが似合うのだった。
いま、まさに、引き継ぎの準備に入るその瞬間、アドレナリンが放出される。
しみじみと、ファイト!
戦路はつづくよ [@真いか]
今月に入り、次女様の動きが活発になったような気がする。
捨てにかかったのだろう、先日も燃えるゴミの日に、大量の私物を出していたように思う。
大会ごとに首から掛ける選手用のIDカードも、初めての全国大会以外は捨てていた。
基本ジャージ姿を改め、東京生活用の「普段着」も母と二人で買い出しに行った。
えーーーーーっ、ス、スカート生活が始まるの?
中学、高校の制服以外、スカート姿を見たことが、ほとんどないのだった。
ストイックに自分を追い込む生活を強いた。
よく耐えた、よく頑張った、よく我慢して、たくさんの成功と、もっとたくさんの悔しさを経験した。
24歳にして、「普通の女の子がしていた生活」に戻るのだろな、おだやかに。
次女様は、今日がスイミングクラブでの、最後の練習になる。
代表で使ったバッグや、ポロシャツなどを、クラブのジュニアたちにあげるようだ。
荷物だから車で送ると言ったが、自転車で行ける、大丈夫と言う。
水泳に関することは、ほとんどゼロにして、新しい生活に切り替えるのだろうな。
大学卒業時に引退が「普通」だが、納得を得るために大学院にまで進んだ。
そして、「本当なら」という部分を切り捨てて、いま、本人なりの終わり方を見つけたようだ。
父はもう、何もしてやれないことに気づき、無力感を持つ。
しかし、自分でやる、と歩み始める娘を見て、限界ではなく可能性を感じている。
親として、やるだけのことは最大限やったのだ、あとは自信を持って見守るだけなのだ。
次女様それでも当選おめでとう
次女様やっぱり、持ってますね。
今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ
ファイト!
季節の終わり [@真いか]
次女の競技生活はほぼ終わろうとしている。
本当はもうとっくに終わっていたのかも知れないけれど、吹っ切れることが出来ず、いわゆる大学卒業後にも夢をつないだのだった。選択の善し悪しなどなくて、自分の意志で、選んだかどうかだけだと思う。みんなと同じような生き方を選ばなかっただけだ。
次女には、大学の先輩の言葉を贈りたい。
残る大会はあと一つ。
来月の半ばに札幌で行われる小さな大会、それが次女の最後の大会となる。
妻(ハハ)=平凡なタイム。最初で最後のワールドカップ終了。
夫(チチ)=ま、そんなもん。寂しい気はするが次の方が長い人生。世界で戦わせたかったけど仕方ない。三女は、世界で戦って7位。次女は、塗り替えられたが日本高校記録を持った。
妻(ハハ)=そうだね。選手のタイムに凄くむらがあって、5秒でも遅さは目立たなかったし、気持ち良く、一生懸命ノンビリ泳いでいるって感じでした。
夫(チチ)=100mではなく、よりによって200mだから、しんどかっただろうな。次に向けて明日の準備だ。次だ次、世界の次女が終わるのは寂しいが、花嫁修業もある。
次女=こっちはとにかく暑い。夏日だからね。雪が降って寒かったのが嘘のようで・・・。長水路(50mプール)の200mは、インカレでチームのために泳ぐのは苦じゃなかったし、800mリレーは好きだったけど、だんだんやっぱり苦手な長水路の200mは、長くて。
次女=最後までよく粘ったね、って色々な人に言われたけど、もう一生、長水路の200mは泳がないから!と思って最後は必死に泳いだ。確かにタイムを見れば遅いけど、やり切った感はあるかな。明日は面接。前へ、次っ!
次女=私はたいやきが食べたくて、クリームも買ったはずなのに食べてみたら全部あんこ。買ってすぐにクリームを食べ始めたから、言いに行ってクリームをもらいに。そのあんこはあげるから、ってなんだかたくさんたいやき。
一方通行の人生。良い思い出を残しているさ。
次! 前へ!
ファイト!
10月 [@真いか]
10月が始まる
次女の朝練は、酔狂で私が送ることにした。
やりたくても、もうすぐ練習への送迎は出来なくなる。
送ったあと、昨日の職場検診で飲んだバリウムを、まだ排泄していないような気がした。
いちど気にすると、気になって仕方はないが、月が出ていたから先にベランダ撮影。
データによると撮影日は、2015年10月1日、5:37:12。
10月になった
次女が競泳生活に終止符を打つまで、あと1ヶ月半。
ぷかぷかぷか~り
若奥様次女は練習終わりのクールダウンで、ラッコスタイルが気持ちイイと言う。
さぞかし疲れたでしょう。
ぷかぷかぷか~り、ぷかぷか。
9月のことだった
私が目の前に見る最後の、次女の全国大会だった。
10年連続、国体競泳の北海道代表で泳いだ。
インチキなし一発勝負の厳しい世界、奇跡が起きることなどないと、分かっていた。
何もないまま、ただ予選を泳いで、それで終わった。
娘は穏やかな顔をしていた。
いつでもアップの時だった
参加者のほとんど全員が泳ぐ中に娘を発見する、容易ではない努力。
次女の泳ぐフォームは美しく、見つけ出すことが楽しみだった。
少なくとも北海道では大きい存在だった。
もうすぐ競泳生活の全てが終わる。
時にはオリンピックも夢見た、20年という競泳生活が幕を閉じる。
切なく強気に笑顔があった
苦しい時間ばかり突きつけられもしたが、もうすぐだから笑顔で終わらせたい。
2009年の国体では表彰台に上ることが出来たし、タッチの差だっただけに昂奮したさ。
4位は泣きたくなるほどたくさんあって、いつも苦しんでいた娘。
純粋に、速くなりたかった娘を、伸ばしきれなかった指導者を、誰も恨みはしないだろう。
出会いに感謝しながら、自分の不運ですら、かみ殺してきたはずだ。
2010/03/28 54秒60 短水路 日本高校新 (100m 自由形)
このタイムは決勝ではなくB決勝で出したので、表彰台ではなく、飛び込み台で表彰された。
お笑いのような話だが、個人種目では、表彰台の中央に立つことはなかった。
3年後に現在の日本記録保持者に1秒以上縮めて破られ、露と消えた。
昨日、鹿児島へ帰った三女に32GBのUSBを渡した。
生まれてからの写真だけを入れて渡したが、さてさて、次女様。
次女は三女よりさらに泳ぐ写真が多く、画素を落とさずコピーすれば、32GBでは不足かな。
いずれ、家族の写真を精選、整理しなければならない。
大切な大切な娘の写真は、もちろん、たくさんある。
あーあって、溜め息をついてはいけない。
苦しかったのは娘なんだし、よく耐えて頑張った。
彼女の大会はあと3つ。
ちょうど1ヶ月半後の、札幌の大会で終わる。
もやもやした怒りも封じ込めて、きっと笑顔の娘を応援しながら、前を向く。
ファイト!
秋も深まり [@真いか]
自宅の最寄り駅で始発に乗り、札幌駅で乗り換える。
それは2番電車として、勤務先最寄り駅に着くが、それでも職場には一番乗り。
私が鍵を開けるのを待つ生徒が、既に2人居てレギュラー陣。
駅舎を出てすぐに、今はイチョウの葉が輝いている。
線路沿いの道は退屈だから、マンションの谷間を歩いて行く。
紅葉が待機している。
野原に綿毛の雑草が見えると、学校が近い。
頑張る気力には、ファイト、これが必要だ。
確実に冬の急接近を感じている。
もう少しの時間だけ、紅葉を楽しむ通学路。
やがて、閉ざされる。
なぜか次女が1歳の誕生日に合わせてカニを買っている。
カニは横ばいだから、記録は伸びないことになる。
縁起を担げば、今は食べないことになる。
高3の3月、友人が卒業祝い(?) に、トロを送ってきた。
卒業式後に函館へ、鹿児島の大学に進むと、挨拶に行く予定だった。
しかし、大会がかぶって函太郎の函館へ行けなくなると判明。
すると、次女が大好物の、トロが届いたのだった。
その月末に、彼女にとって、ものすごい記録が出てしまった。
練習を真面目にやり続けた努力と、指導者のチカラが全てだとは思う。
しかし親は、トロを食わせれば記録が出るのではないかと、無茶苦茶な他力本願である。
そんな親バカも、ファイト!
ねごと たわごと ざれごと [@真いか]
次女からの 娘ール 練習の再開初日に先生にも、「パンパック狙うんだよね?」と言われているから、先生もそのつもりなのを分かっているから。大丈夫。確かに、まだジャパンは切ってないけど、短水路だし切るつもりではいる。現段階ではまだ無理だけど、まだあと1ヶ月。そして、やるつもりだし、やれないと思っていたら最初から挑戦しない。もう無理だと思っていたら、この間のインカレで引退していた、かな。私はまだ諦めてないよ。もう就職する歳なのに甘い、って一般の人は言うかも知れないけれど。自分に期待もしてるのかな。
キミの姿勢は甘くはない。就職しなければならない年齢なんて誰が決めたのか。そういう、「年齢」で考える連中の、なんと使えないことか。教育が幼稚化し、ここ数年の大卒生、ゆとりの連中は使えない。ゆとり時代の先駆けの、ジュネーブの長女、確実に使えるようになるし、すでに使える。しかしまだまだ使って貰わない。もっと凄くなる。
キミたちも同じ。「ゆとり」を利用して、大いに鍛えてある。さらに、さらに、ということ。諦めてはいない。一般的にと考える人は単純だから、キミの覚悟を知らずに「引退」だと思っているだろう。道が決まれば、あとはやりこなすだけだ。また。
1996年とある 17年前か 7歳5歳2歳 次女はカゴの中
オレに任せとけって
そんなチチも頼りなくなってきたか
でもこんな思い出があるのは良いことだ
だから絶対に負けない これからもファイトだ!
ダイナマイトファイトだ! もう一発 [@真いか]
何かをすることでしかリフレッシュできない人は可哀想だと思います。家族と一緒に居ることだけで、無防備に、身構えることなく、全身の力を抜いて、ボンヤリしていられる。これこそ最高のリフレッシュで、そしてそういう家族を持っていることの幸せだと思います。「逃亡者」は一度もリフレッシュしたことがなく、捕まった時に一番安らいだはずなのです。家族が支え、家族がキミを応援している。それで十分ではないでしょうか。
ゴールに向かう途上、全勝するのは気持ちいいですが、それも怖いことです。
いつダメになるかという恐怖が発生する。
たくさん落ち込んで、必ず這い上がるというのがいいです。
不安や心配はたくさんあります。
それでも、信じるチカラが強ければ、必ず、成功するものなのです。
ただし、それは決して一人のチカラで何とかなるものではありません。
そこらのチンピラで野垂れ死んでいても不思議ではない私が、ここにこうしている。
それが奇跡であって、しかもたくさんの人に、こうしてもらえたのです。
だか ら、キミたちが信じるチカラを強く強く持てば、必ず成功します。
人生はそういうものだと思っています。
本人の強い思い、先生の熱い思い、親の焼けるような思い、周囲の方の声援。
準備は整っています。
ダイナマイトファイトだ! もう一発
ダイナマイトファイトだ [@真いか]
2004年 ふたりだった夏
次女が初めて全国大会に出ることになったのは、中1の夏でした。
JO予選のタイムトライアルで、タイムを切ってでした。
東京の辰巳国際水泳場で開催されます。
2004年8月20日
弱小チームに居たから、コーチは来ませんでした。
妻の実家で、1週間の合宿込みの遠征でした。
練習メニューを組んで貰って、東京体育館や代々木などで泳ぎました。
私が学生時代にアルバイトしていた代々木はすでにサブプールしかやっていませんでした。
2004年8月23日 ランチは東京体育館前のSUB WAY
遠征期間中、次女につきっきりでした。
思い出しても楽しい二人の時間でした。
2004年8月24日 夢見る少女 信濃町駅ホーム
50m予選、第7組1コース。29秒21。とっとと上がっ てください。30位。
ボンヤリとした記憶と、励ましと、壁を感じていたのでした。
そこから少しずつ、全国大会が近づいてきたのでした。
2004年8月25日 大会前日 公開練習
長い時間をかけたスランプを今、乗り越えるという試練を受けている。
実に長い時間を耐えている。
もういいんだよと、諦めかけるチチはイケナイぞ。
ダイナマイトファイトだ!