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長女ついでに   [@amy.com]

2009年の夏 長女はケニアでボランティアをしていた

食えたら何だってええやん 生きてることが大事やん

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話を聞くにつけ、飽食三昧の自分の勝手な生活を恥じ入り、粗食に努めようと思ってしまうのでした。少しでも余裕のある自分らは、少しでも、できることをと、もちろん今でも、東北の方々へも、私の気持ちはあります。だから、目の前の高校生が、たかが遊びのダンス学校祭が終わったからと言って、「打ち上げ」と単純セレモニーに怒るのです。

頭のある人間なら、考えろよと思うのです。三日間で数百万円が消えてしまうような、己たちの直接快感と汗のシミしか残らない学校祭に心の背を向けてしまいます。少なくとも30クラス近い生徒諸君が打ち上げをやめて、寄付してくれるなら、50人規模で3泊の東北ボランティアツアーに人材を送り込める。そう考えると、空しくなるのでした。これこそ一番肝心な勉強なんだけどね。

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20名あまりのボランティア集団の、長女は通訳係でした。「干ばつのケニアに木を植えよう」という植林ボランティアですが、団を代表して村長さんや、地元の名士のスピーチを同時通訳していました。おかげで、帰国後、娘は東京在住でしたが、名刺に記載していた札幌の住所、すなわち、この頼りないお父さんのところへ、夜中を過ぎて、ケニアから「あいみはいるか?」と連日電話がかかってきました。いまさら英会話レッスンもしたくないよと、娘に対応を迫ってしまいました。・・・誇らしいんだけどね。

地下鉄の匂い   [@amy.com]

----- 娘ール Original Message -----
From: 長女
To: Tommy88
Date: 2012/6/14, Thu. 07:01
Subject: パリ到着
 無事、パリに到着しました(ただいま6月13日23時54分)。トイレの臭いがする電車に乗って、空港から帰ってきました。そのとき、パリに戻ってきたなあと強く実感しました。

 成田-ローマは予想に反して、乗客がたくさん居ました。特に、シニアの日本人団体客でいっぱいでした。機内食はナスとトマトソースのパスタでしたが、行きほどおいしくはありませんでした。ただ、軽食はコンビニで売られているような、化学調味料たっぷりのおにぎりで嬉しかったです。行きは2回食事が出たのですが、今回は軽食も含めなぜか3回で多かったです。

 ローマ-パリは、アリタリア航空とエア・フランスのコードシェア便でした。そして、今回初めてフランスの航空会社、エア・フランスに乗ることが出来ました。搭乗の際、なぜか「英語とフランス語、2ヶ国語出来るか?」としつこく聞かれました。乗ってみると、その理由が分かりました。非常口の席だったので、緊急時にドアを開けたり色々しなくてはならないからです(離陸前にもスチュワーデスから説明を受けました)。何も起こらないように、と思いながらの2時間のフライトでした。一応国際線のせいか、ここでも軽食としてサンドイッチが出てきました。ちょっとお腹いっぱいだったので、明日の朝ご飯にでもなりそうです。
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「地下鉄のにおい」というのがあって、郷愁をそそるものがある。札幌はなぜか衛生的な匂いがして、それは車輪がゴムタイヤだからかもしれない。レールのきしむ音もしないし、夏場にゴムの焼け溶けたような匂いがすることはあっても、車輪の機械油の匂いはしない。淡泊な感じしかない。

地下鉄の匂い、それはなま温かくて少し湿気た、僅かにかびて少し油や機械の匂いの入り混じった埃っぽいもの。それは大阪で言えば地下鉄御堂筋線にある匂い。あるいは東京では東西線でよく遭遇した匂い。NYの地下鉄でもその匂いはあった。

それは湿気た土の匂いなのかもしれないが、空気の澱みのせいであるかもしれない。それをパリではトイレの匂いと娘が称した。人種の体臭が集積した匂いなのか、それとも本格的にトイレと化した匂いなのか。甚だ気になり始めたので、やがて匂いをかぎに、パリに出向くとするかと思い始めている。
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2006-8-26 Paris

長女、参上   [@amy.com]

2012/06/11 長女が本校にやってきた
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娘に自分の経験を話せよと、依頼した。そういう話を高校生が聞くことで、「わたしも」と思う子が現れて、単なる受験勉強が意志あるものへと変化すると信じるからだ。なによりも自分が高校生なら聞いてみたいから、そういうものを企画したのだが。

宣伝が下手なこともあり、壮行会が急に入ってカツカツの時間割になったこともあり、卒業アルバムの部活写真が不定期になったこともあり、そもそもコントロールできる状態ではなくなっていた。しかも基本的に、途中での入退室は話者に失礼だから始めから来ないでもらいたい旨連絡したので、16人の参加でしかなかった。

それでも来た子どもたちには収穫はあったのではないかと思っている。予定の50分間を全て英語で語り続けたが、おそらく理解できなかった者が数名いたはずで、これはヤバイかなと思い、後ろで何度かサインを出すものの、結局最後まで一切の日本語を入れなかった。

子どもたちも英語で質問をさせられて、何とか対応しており、これはこれで良かったのかと思ったけれど、終了のところで、私が、日本語で質問をしてもいいよと助け船を出せば、生徒からは多くの質問が出てきて、結局もう50分の質疑応答となり、やっぱり生徒には「英語」が壁だったのだと理解した。
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終了後、フェイスブックのアドレスを聞いてくる者もいたようで、しかし、英語でしかやりとりはしない旨を娘も伝えたらしく、「効果」のことを考えてくれたようだった。今回の試みが成功か否かは不明だが、こういう機会を何とか生かせないものかと、しょうもない学校企画の中で思ってしまう。

事前に配布していた「話の柱と流れ」(このメモだけで50分語り続けたのだからniceでした)
I. 自己紹介
host-familyをやっていた話。スチュワーデスに憧れた
高校でフランスへ交換留学
大学進学、志望理由
大学2年半(ケニア、オーストラリア)
交換留学(パリ政治)、奨学金の話

II. 大学生活
早稲田大学
• 基本的知識(授業内容、エッセー&プレゼンテーション。自分から発信?)
• プレゼンテーションのやり方など。 自分の意見をどうやって相手に説得させるか
パリ政治学院
• 批判的に物事を見る
• 物事をシンプルに取りすぎない。プラス、マイナス両方の面が物事にある。
• オフィスアワーなし、質問は授業前後に。

III. 英語(のアドバンテージ)
障害が減る
• 受験条件を一つクリア出来る
• 単位がもらえる
• 情報量が多い(インターネットの70%の情報は英語、大学ランキングも英語でどれだけ論文を出しているか)
世界が広がる
• 非英語圏の人と話す道具(「平等」にもなる。両者にとって、英語は外国語)
• 別の外国語を勉強するときに、苦労しない。ラテン語系は語源が同じ、語源が異なっても、英語の勉強方法を使える

IV. FAQ
• 英語力の付け方→教材リスト配布
• 留学のメリット→語学力+知識、冒険
• 考え方の違い→フランスで?


親子の絆は興味関心の度合いから   [@amy.com]

hatumi30331さんの風邪がうつってダウン。今日は半日、大休養。
しかし午後には、断捨離業務で酷使して掃除機が壊れてしまったので、ヨドバシへ買いに行く。長女がフランスへ持ち帰るDVD再生機も買わねばならぬ。そうこうしていると、いよいよカメラを購入することになるのかな。ニコンのD80での戦いも続くけれど、SONYの連射スピードが魅力でした。

長女が帰ってきているのが嬉しい。
昨夜帰ってきたのだが、朦朧としていたのでよく話もできなかった。パリ政治学院を終えて、9月にGraduate Institute of International And Development StudiesのDevelopment Studies修士課程に入学するまで少し時間があって、それでも欧州をまだまだ見聞録したいようでした。日本での大学や大使館への手続きには8月に帰国予定でした。

それでもパリでの下宿先の方が、日本旅行をするので東京・関東を1週間案内して欲しいと、執拗に頼まれ依頼を呑んだようです。おかげで往復のオープンチケットを手に入れたようです。フランスでは年に3週間、確実に休暇を取らねばならないらしく、日本でもそうしてくれるとありがたいのだけど、時間割のやりくりが難しいなと、余計なことを考えてしまいます。

どんな形にしろ帰ってきてくれたという事実が嬉しいのです。午後までに風邪を治して、お買い物を楽しむつもりです。定期考査4日前、試験問題を作らねばならないのも事実です。やりくり上手にならなくてはいけません。

[サッカー]   [サッカー]   [サッカー]   [サッカー]   [サッカー]   [サッカー]

蔵出し写真 大阪祭
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すでに45年前の写真であり、畏れ多い。大阪祭というものが当時あって、住吉警察で剣道を習っていた私も「住吉剣友会」の一員として武者行列に参加していた。ここは、うつぼ公園だと思う。太閤秀吉を大阪市の市長がやり、当時はチュウマ・カオルだったと記憶する。淀君を宝塚の女優が演じる。昔の服装をして歩くだけだが、武者行列とはそんなものだろうか。

時代は変わり行政改革。インターネットで検索しても出てこなかったから、もうやめたのでしょう。どこかの親が写してくれた唯一の写真。なぜか持ち歩いていて、家出してから何十回と引っ越しを繰り返しても、この写真だけは手放さなかったところを見ると、よほど気に入っていたのだと思う。断捨離後の今は、既に手元にはない。子ども時代のアルバムも捨ててしまった。

やっとクリスマスカード   [@amy.com]

長女からやっとクリスマスカードが届いた。[ひらめき]12日間かけてパリから札幌まで届いたわけだ。[飛行機]届いたか、まだか、というメールでの確認には笑ってしまうけれど。[わーい(嬉しい顔)]
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パパ&ママへ
メリークリスマス・あけましておめでとう
 久しぶりの2人きりのクリスマスかな? それでも新川に居るのはMiinaだけだから、2人きりの生活は最近多くなってきていると思います。

 ハガキはアパートから徒歩2分のソルボンヌ大学です。法学部だったように思います。残念ながら歴史はパリ政治学院よりこちらの方があるので、こうしてハガキなんかも出ているわけです。

 スーパーの買い物の帰りに、この建物の前を通るのが日課です。ガードマンが入り口に居て、関係者以外は入れないようになっているので、中はよくわかりません。

 1ヶ月の休みの後、また学校が始まります。1学期のサイクルがわかったので、更に上を目指していきたいと思います。

 また、陸上も続ける予定でいます。春あたりに大会があって、出られるみたいなので楽しみです。
 それでは。
 2011.12.20.

別世界   [@amy.com]

2011/12/26, Mon 19:07 [mail to] こういった招待状をもらって、びっくり。総長招待だけれど、欠席連絡をしておきました。奨学金をもらうと、こういうメリットもあるのだなーと思いました。

「2011年度総長招待大隈記念・大隈記念特別奨学生の集い」の開催について(ご案内)

初冬の候、ますます勉学に励まれていることと存じます。

さて、今年度大隈記念奨学生に採用となった皆さん、ならびに学部3 年生、4 年生の大隈記念特別奨学生の皆さんを対象に奨学金の趣旨をより理解していただくとともに、大隈記念・大隈記念特別奨学生同士や先輩・寄付者の方々との交流を通じて、更なる向上の機会としていただくことを目的として、「総長招待大隈記念・大隈記念特別奨学生の集い」を開催いたします。

つきましては、下記のとおりご案内いたしますので、必ずご出席ください。

【注意点】
1.原則として、出席してください。
※当日、学生部長名の「(大学公式行事への)出席証明」を発行することができます。

※特別な事由・授業により万が一欠席せざるを得ない場合には必ず、1月11日(水)までに下記の問い合わせ先に事前相談の上で、Waseda-net ポータルへの入力を行ってください。

2.大学の公式行事ですので、スーツ等の相応しい服装でお願いします。

3.当日は、軽食を用意いたします。また、クロークがありませんので、手荷物は各自で管理してください。

Joyeux Noël (メリークリスマス)   [@amy.com]

娘のページを拝借。イルミネーションにテーマがあるなら、それは面白いと思ったのでした。それが裏をとった話なのか、娘の直感なのかは不明ですが、そういう取り組み方があるのなら、さすが芸術の都だと思うのです。テーマ、これは重要です。[プレゼント]写真の仕上がりが雑ですが、「テーマ」という観点ですから画像の精度は問わない。

 日本と同様、フランスでも12月24日クリスマスイブの方が盛り上がります。24日の夜からクリスマスの食事を食べ(これについては後日書きます)、プレゼントを開ける、というのが一般的らしいです。

 クリスマスは田舎で過ごすことになりますが、その前にパリでやりたいことが一つありました。それはイルミネーションを見ること。色々な場所でやっていますが、一番有名なのはシャンゼリゼ通りだと思います。パリを離れる2日前にやっと行くことが出来ました(行こうと思っていたのですが、延ばし延ばしできてしまいました)。

 シャンゼリゼの駅で降りてしばらく歩くと最初のイルミネーションが。今年は円がテーマのようで、色々な場所で円のイルミネーションを見かけました。
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 大きな通りを外れたところでも、きれいなイルミネーションを見ることが出来ました。奥に見えるのはもちろんエッフェル塔です。
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 これがシャンゼリゼ通りのイルミネーションです。高級ブティックが並んでいる通りです。
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時間は限りある 進め   [@amy.com]

自分の欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることができない。 (by 村上龍)

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『1987-1991 村上龍全エッセイ』講談社文庫/村上龍(1991年12月15日第1刷発行)
(p275) 欠如しているのは「意志」だと思う。意志がないとすべてが曖昧になる。私は自分の小説で曖昧さを厳しく攻撃するが、それは曖昧さというのは一番の恐怖であるからだ。その人が何を欲しているのかわからないと、その人のことはわからない。そしてわからないというのは恐ろしいことなのだ。


22歳という節目をどこで迎えるのか。ある種の寂しさを感じながら、これでよいのだと思う。
まいか&みいなは、鹿屋で共同合宿しながら泳ぎ込んでいる。
ママは市川で「これから」のことをおばあちゃんと相談している。
あいみはパリでブログにトイレのことなんかを書き込んでいる。
チチは札幌であいみの誕生週間最終日をブログに書き込んでいる。

22歳という時代をチチは生まれ変わるための時間に費やしていた。別に人生の中で無駄な時間ではなかったし、ただ、寂しさはつきまとっていた。それでも、よく遊んでいた。ドン・ファンを気取るつもりはなかったけれど、モテた。そういう磁場のようなものがあった。

22歳という時間は必死だったし、全力で生きていた。ある意味で区切りの年のような扱いがあって、それは大学を卒業する年齢であると仮定されているからであろう。そういうことを気にしなかったと言えば嘘になる。年齢の脅迫観念が強くおそうこともあった。

22歳という時期を、ママは既に「結婚」という時間に費やし始めていた。少し早いのではないかと人は言うが、悪い男に捕まったのだから、それは仕方がない。オレの魅力ってとこかな。

22歳という時間をキミは、普通に生きるのではないだろうか。目的を持って、普通に日々を生き続けることが、巨大な力を培うことをキミは直感的に知っているのではないか。だから、もう決めたことをひたすら突き進むことを、後悔はするな。

22歳という節目に向けて、「最優秀長女の戦歴」として一部を記録して思ったのは、振り返れば凄いじゃないかと言うこと。結局はそういうことだったのだ。だから、次に振り返るときには、とてつもなく大きくなっていることに気づかされるのだろう。

多くの経験が、あいみを育ててくれている。多くの人の応援が、あいみを支えてくれている。多くの勉強が、あいみを大きくしてくれている。多くの出会いが、あいみを強くしてくれている。感謝に堪えない。

次にいつ会うのかわからないけれど、また会うときには、たくさんの話を聞かせてもらおう。チチも、ちょい悪オヤジの話を聞かせてあげよう。

誕生日おめでとう。
船が出る、先を急げ。オレたちは応援している。 2011/12/20 午前6時16分

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  なんでも、やってみなはれ。やらなわからしまへんで。  (by 鳥居信次朗)
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思っていても、行動しなければ思っていないのと同じ。
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正解はない、前に進むだけ。
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生きてるだけで、まるもうけ。 (by 明石家さんま)
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  時代はオセロのようなもの。隅っこの一人が、全部をひっくり返すことがある。
1108_062.JPG2011 夏

22歳 動き始める   [@amy.com]

大切に思う気持ちが勇気の源。
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人生において何が正しいかなんて誰にもわからないのだから、自分の思うとおりに進んで、その結果を他人の責任にしないことが大切ではないかと思う。 (by 曽野綾子)
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  風が吹かないそんなときでも、僕らが走ればそれを感じることができる。
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細々とやっているんじゃない。着実にやっているんだ。
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  必要なのは、勇気ではなく、覚悟。決めてしまえば、すべては動き始める。
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