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時間は限りある 進め   [@amy.com]

自分の欲しいものが何かわかっていない奴は、欲しいものを手に入れることができない。 (by 村上龍)

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『1987-1991 村上龍全エッセイ』講談社文庫/村上龍(1991年12月15日第1刷発行)
(p275) 欠如しているのは「意志」だと思う。意志がないとすべてが曖昧になる。私は自分の小説で曖昧さを厳しく攻撃するが、それは曖昧さというのは一番の恐怖であるからだ。その人が何を欲しているのかわからないと、その人のことはわからない。そしてわからないというのは恐ろしいことなのだ。


22歳という節目をどこで迎えるのか。ある種の寂しさを感じながら、これでよいのだと思う。
まいか&みいなは、鹿屋で共同合宿しながら泳ぎ込んでいる。
ママは市川で「これから」のことをおばあちゃんと相談している。
あいみはパリでブログにトイレのことなんかを書き込んでいる。
チチは札幌であいみの誕生週間最終日をブログに書き込んでいる。

22歳という時代をチチは生まれ変わるための時間に費やしていた。別に人生の中で無駄な時間ではなかったし、ただ、寂しさはつきまとっていた。それでも、よく遊んでいた。ドン・ファンを気取るつもりはなかったけれど、モテた。そういう磁場のようなものがあった。

22歳という時間は必死だったし、全力で生きていた。ある意味で区切りの年のような扱いがあって、それは大学を卒業する年齢であると仮定されているからであろう。そういうことを気にしなかったと言えば嘘になる。年齢の脅迫観念が強くおそうこともあった。

22歳という時期を、ママは既に「結婚」という時間に費やし始めていた。少し早いのではないかと人は言うが、悪い男に捕まったのだから、それは仕方がない。オレの魅力ってとこかな。

22歳という時間をキミは、普通に生きるのではないだろうか。目的を持って、普通に日々を生き続けることが、巨大な力を培うことをキミは直感的に知っているのではないか。だから、もう決めたことをひたすら突き進むことを、後悔はするな。

22歳という節目に向けて、「最優秀長女の戦歴」として一部を記録して思ったのは、振り返れば凄いじゃないかと言うこと。結局はそういうことだったのだ。だから、次に振り返るときには、とてつもなく大きくなっていることに気づかされるのだろう。

多くの経験が、あいみを育ててくれている。多くの人の応援が、あいみを支えてくれている。多くの勉強が、あいみを大きくしてくれている。多くの出会いが、あいみを強くしてくれている。感謝に堪えない。

次にいつ会うのかわからないけれど、また会うときには、たくさんの話を聞かせてもらおう。チチも、ちょい悪オヤジの話を聞かせてあげよう。

誕生日おめでとう。
船が出る、先を急げ。オレたちは応援している。 2011/12/20 午前6時16分
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