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偏るお供え   [むかし噺]



私が小学低学年のころ祖父が亡くなり、1月15日だった。
長女が京都で中学英語弁論大会を戦う直後の12月14日、祖母が亡くなる。
13と言う数字が大嫌いなくせに、三女が高2の、1月13日に父が亡くなる。

何となく数字が繋がっていたけど、意に介さず母は8月24日に亡くなった。
祖父母に父母の亡くなる季節は、真冬か真夏で、参列者はきつそう。
現在、拙宅の仏壇にはこの4名が入っており、月命日は三連続する。




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月命日には地味に、マイブームのお供え物。
アスパラガスビスケットと、芋けんぴ、あとを引く美味さ。
私は嫌いで食べないが、父の命日にはオールレーズンのクッキーも投入。

祖父も父も私も頑固者で、上手く人間関係が築けないようであった。
それでも早くに家を出た私は少しはマシだと、月命日には思ったりする。
全ては自己満足のルーティーン、今月はあと母の24日、時は過ぎる。




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雨の日の紫陽花は、本来の力を発揮する。
カタツムリがいれば映えるのだけど、見ることがない。
豊島園では紫陽花と写るならと、カタツムリのレンタルがあるらしい。




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雨の日の外出は嫌だけど、肩のリハビリがありカメラを忍ばせて出向く。
やはりカタツムリはいなかったし、雨が降る。
梅雨らしいと言えばそれまでだが、晴れた日の方が好きだ。



ファイト!





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「思い出のバラ」   [むかし噺]




片思いはいつでも一方的なもの。
それが明確に「気持ち悪い」と指摘されるようになった。
そしてストーカーと呼ばれるようになった。




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かつて片思いは、悶々とするものだった。
思いが叶わぬ心の痛み、思い起こせばあざだらけ。
どれだけ世の花から花びらをむしり取ったことか。




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13歳の時のそれが恋だと知ったのは4年後。
『小さな恋のメロディー』を見てからであった。
角のパン屋の前にある赤電話で2時間も話す休日。

当時は、市内なら10円で何時間も電話を掛けられた。
携帯電話のない時代、抑圧される反動は心をけしかける。
スタンダールの『恋愛論』に言う結晶作用と知るのは5年後。




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「もしも君がある目的地に向かって歩みだしながら、途中、足を止め、自分に吠えかかる犬の1匹1匹に石を投げつけていたら、とても目的地には辿りつけない。」 (『作家の日記』 ドストエフスキー)


恋多き少年は単に「愛情乞食」だったのかもしれない。
目的地にたどり着くこともできず、破滅することもなかった。
そしてたくさんの、切なさの記憶は残してきた。




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僕はいま妻のストーカー。
妻、三姉妹という目的地に辿り着いている。
じゅうぶんに幸せなくせ、薔薇に魅了されている。



ファイト!




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鼻毛も凍ったよな昔   [むかし噺]





数日前は北風が強く、冷たく、寒さが身に染みた。
昨日も、寒くてエアコン(暖房)をつけた。
今日は少し、温かくなるらしいので、風の子になる。




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寒さが身に染みるとか、風が冷たいとか言ってるけれど、川は凍らない。
北海道では川が凍るのも滝が凍るのも見てきたが、東京ではまだ見ない。
昨日、長野ではマイナス20℃を記録したと聞き、少しわくわくした。

そう、外に出て、思いっきり鼻で息を吸い込むんだ。
そうすると鼻毛がペチペチペチと凍って、あのくすぐったさが大好き。
初任校の道北では、ダイヤモンドダストも見たし、マイナス32℃も経験している。

通りすがりの者には、そういう底冷え体験もまた楽し。
しかし、いざ住むとなるとイノチガケ。
5月になるまでストーブが必要な生活は、もうできないよなオレ。





ファイト!






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雨に煙る思い出は軽いで   [むかし噺]




昨日は突然の「豪雨」でバルコニーがプールになって驚いた。
室外機が沈むと嫌なので、バルコニーに出て排水溝を突っついて水を流した。
せっかくのプール状態だから、バスマジックリンをかけて網戸を洗った。

水も滴るイイ男ぶりで、雨の中を排水溝突っつき掃除に、網戸洗い。
なかなか美しかったけれど、管理人さんに後日相談。
だって、ここの共用費、うちだけが払ってるんだもん、雀の涙ほど。



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1月からのNHK学園オープンスクールの申し込みに行った。
タワーマンションの45階が会場だけど、その受付で申し込み。
人気の講座だから、ここは大急ぎでリーチを掛けた。




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幾つかの講座を掛け持ちしているけれど、最も楽しい。
この方の講座は国立でも受けていて、キモイ追っかけのオヤジだ。
1月からは國學院大學の講座も追っかけてやる(相手は少し嫌がってるかな)。




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展望台から見下ろすのが好きで、雨でも見える、斜めに続く道路。
初めて妻と出会った時、ほぼ終電で、この斜めの道まで送った。
自宅を知られたくなかったのかもしれないけど。

終電近くで送ってきて、別れ際に未練がましく立ち話。
もちろん、新宿へ帰るボクは、終電に乗りそびれてしまう。
チェーン店の居酒屋で一人酒で仮眠して、始発で帰った。

あの惨め感が好きで、斜め道路は、ボクの思い出。
雨に煙る斜め道路、いつしか、オレは住人。
不思議なもんだと心得る。



ファイト!






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鰻屋さん   [むかし噺]




お盆明けに課題を提出する。
葛飾区民大学の課題だけど、A4紙2枚を使って8pの冊子を作る。
川千家の取材をまとめるのだ。




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クッソ暑い35℃の、妻の休日に、ご足労願った。
柴又に出向き、日頃の感謝を込めて、うな重をご馳走します。
すでに、とっくに、決めていたのでした。




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課題の冊子では写真も多用しなければならない。
川千家の社長に取材した際、写真を撮ったけれど、社長の顔ばかりじゃ変。
となれば、後付けではあるけれど、うな重も店内も店員も店構えも、写しに行く。




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早めに帝釈天をお参りし、暑さこらえて編んでます。
表紙も、内容を示す決定的写真を使わねばならず、苦慮した。
ブログとはまた違った風味で仕上げる。





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取材費がどこかから出るわけではなく、うな重(松)4500円、自前。
でもね、妻への日頃の感謝もあるわけで、大丈夫だよオレ。
店員への取材も含めていいものが仕上がりそうで、楽しみ。





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そう。
大阪の高校時代、半世紀近く前の話だよ。
サッカー部のイケメンでアルバイトをした話を、妻に語る。

なんばのね、虹の街ができたころかな。
近鉄に向かうところの地下街入り口のすぐひだり。
江戸川と言う天婦羅と鰻の店。

そこでウエイターとしてアルバイトに入ったの。
初日からお姉さんたちから可愛がられたけど、客対応が悪く、態度?
すぐにオレだけ裏方に回された。

でもね、意外にそれが似合っていて、2年間、夏・冬・春休みと働いた。
皮膚病の鰻をさばかせてもらったり、賄い作ったり、食器洗ったり。
食器洗いが専門だけど、肝つぶしが楽しかった。

肝つぶしで胆汁が飛び、目に入ると痛いけど、割烹着がカッコよく汚れた。
その汚れた割烹着で、いっちょ前に地下街を歩いて、トイレに行ってた。
鰻屋さんには、だから何となく愛着があり、昨日は外から板場を覗いたりした。

鰻を食べまくった時期があって、今は昔。
それでも老いは、夫婦が老舗で、早い時間からノンビリ過ごすのもいいかなって。
昨日は中身の濃い、実に楽しい一日だった。


楽しい真夏の佳日




ファイト!





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嵐の夜に思う   [むかし噺]





台風はそれたと言っても、風が唸り、ちょっと怖かった。
横殴りの雨も襲い、風が唸ると、やっぱり台風は怖いぞと思った。
先の水害に遭った人たちは、更なる恐怖だろう。


近くのプールで個人レッスンがあった次女からメールが来る。
帰りに寄ってパイナップル食べて、泊ってイイかな。
キミの実家だよ、いつでもおいで、つまみも用意するし、飲むのだよ。




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無職で良かったことは、娘たちに時間を合わすことが出来る。
おまけに、サッカーのワールドカップをほぼ全試合見ることが出来た。
来月、函館時代のサッカー部員と、ちょっと本気で語れるのが旨いぜ。





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4年前のサッカーW杯決勝は、河内長野の実家で見た。
あれから4年、実家はスクラップ処分し、母も亡くなった。
決勝の朝、母がコーヒーをいれて、まだやってんのかと笑った。

あの時、母は私と話をしたかったのだろうか。
2014年7月、週末を利用して年休も付けて実家に帰っていた。
日本での中継は、7月14日(月)午前4時からだった。

あの時は、ドイツとアルゼンチンの決勝で、延長にもつれ込んでいた。
アルゼンチンは1日少なく、準決勝を延長PKで上がってきた、不利。
今回もそういう日程的不利はあったけれど、仕方がない。




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珈琲を持って来てくれた母に、状況の説明をした。
細かいことは抜きに、これ今の反則、程度。
インスタントコーヒーだけど、美味かったのは母がいれたから。

そういうことってあるんだよ。
と、台風が通過する夜中に考えるオレ、お父さん。
今年の決勝も、語ってやりたかったけどね。

高校時代、母に試合の日程を教えなかった。
だから、見に来ることもなかった。
ワルぶって突っ張ってんだから、母ちゃんが来ると恥ずかしいって。

後悔はしないけど、寂しいなって、嵐の夜に。




ファイト!






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鯉にゆれる   [むかし噺]





にゆれる 心ひとつ お前だけを 追いかけているよ
おいでここへ 僕のそばに もえる様な 口づけを あげる
長い夜を  飛び越えてみたい
広島 だけに この愛を誓う
重ねたうでの ぬくもりにとまどう 二人
       (松山千春の「長い夜」をお借りして)




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去年はね、ものすごくつらいものがあったんだ。
地元の日ハムは、もちろん応援しなければならない。
それが道民の証しなのさ、いや、ファンでなきゃドームに招待されないから。

ペナント2枚を擁する日ハムも、現在は最下位から猛追されている。
不甲斐ないけれど、パリーグと日本一のペナントは持ってるぜ。
でもね、オレ、根っからのカープファンもどき、なのさ。






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1979年、古葉竹識監督、江夏豊、近鉄を倒し初の日本一。
この時は嬉しくて、バイト先の印刷用カメラで記念ハガキを作った。
今年は、道民ながら、気兼ねなく広島を応援し、広島風のお好み焼きを食べる。

ズルイと言えばズルイけど、それがどうした。
元はと言えば、広島県民じゃけぇ、わしは。
でも、最後まで日ハムは応援するよ、来年に向けて。




ファイト!










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追憶と腰痛   [むかし噺]





いつかなんてありはしない。
誰がいつかなんて言葉を作ったんだ。
先延ばしして誤魔化してるだけじゃないか。

・・・なんて、福山雅治が「福のラジオ」で言っていた。



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いつか
この言葉の空振りを思い 目頭が熱くなる
まいったな


少しばかり母の写真を掘り起こしている
1994年12月16日(金) 函館
三女が生まれて 母が手伝いに来てくれていた
カニの好きな母だった
もちろんかぶりついて食べたのは笑顔満載だった




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シンザンが好きで まだ放牧されていた頃 会いに行った
1985年9月15日(日) 浦河
シンボリルドルフも好きだったが シンザンは別格だ
午年の母もシンザンのことはよく知っていた
戦後初の三冠馬シンザン 妻と一緒に会いに行った




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ギックリ腰もどきになっている。
困ったなと思うのだが、一昨日をピークにまだ痛む。
家の中の手摺りを頼りに、伝い歩きをしている。

ピーク時には這っていたが、どうしたものか。
長い時間イスに座っていると、取り返しのつかないような痛さで立ち上がれない。
このまま寝たきりになることはないと思うが、ちょっと真剣に考える。

我らの整骨院も、土曜、日曜とお休み。
もう一日、西洋風に静養しようと思う。
Pain, pain, go away!

何も激しく生きてはいないのに、こんな風な痛みに選ばれたのは、老い?
それとも、祟り?
やっぱりこのままでは運動不足なんだろうな。




ファイト!











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ドンちゃんと居た時代   [むかし噺]




店の前でご主人を待つ犬を見て思った。
おい、太りすぎだぞって。


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白い犬を見るたびに、ドンちゃんを思い出す。
でも、ドンちゃんはエレガントだったんだぞ。
久々に、ドンちゃんのビデオ見ようかと、妻を誘った。
30分以上かけて見た物は、風呂に入り、ご飯を食べるだけのもの。



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(1989年1月/函館へ引っ越し準備のドンちゃん)

32年前のビデオである。
そこには、22歳の三女より少しだけ年上の妻も時折、登場した。
次女よりは確実に年下の「妻」が写っている驚き。
石炭から石油に変えた風呂、あるいはストーブ。
全てが貧しく見えるのだけど、幸せそうな温かさを感じた。



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公宅は2LDKの木造平屋。
冬は、窓にビニール貼りをしても隙間風の入る室内。
嵐の夜には枕元に雪が吹き込んでいることもあった。
夜になると外は、風と星しかない、最果ての地だった。
そんな光景を考えると絶望的なのだが、楽しそうなのが不思議だった。



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(未成年だった頃の今は妻と熱海へ海水浴に)

オレは北海道が好きだったから、それでいいのだが。
どうして妻が、こんな遠くまで来たのか、見ていると悪いことをした気分である。
可哀想にねぇー、悪いヤツに捕まったんだねぇー。
そんなことを言いながら、オレは謝るのである。
妻はただ、今さら謝られてもねぇ、と笑っている。


ビデオの中の自分より、ずっと未来が少なくなってしまった。
それでも、ビデオの中の「女の子」がやっぱり好きなんだな、と思う。
その女の子と、一緒に時間を過ごせたことが、幸せだったんだと思う。
ひどいことをいい、泣かせることの方が多かったんだろうけれど。
何だか、考えちゃったね。



握りこぶしの中にあるように見せた夢を
遠ざかる誰のためにふりかざせばいい

握りこぶしの中にあるように見せた夢を
もう二年 もう十年 忘れすてるまで
          (「歌姫」/中島みゆき)





ファイト!










ラム   [むかし噺]




青山実花 さま
浅瀬でアグネス・ラムの掘り起こし。
いつかというと、昔の写真。
もちろんフイルム写真で、スキャン。



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今は東京ドームになってしまっていますが、むかし後楽園ジャンボ・プールというのがあり、夏が終わればゴルフの打ちっ放しに様変わりします。前身は、競輪場だったわけで、プールにしては無駄な傾斜があります。しかし、美濃部都知事のお陰で、監視員のアルバイトができたのも感謝です。

日赤の救助員の資格を手にし、パンツ1枚で、ひと夏に稼ぎまくりました。 が、驚きは、売り出し中のタレントさんがよく来て、ガイジンなら切り込み隊長で、身辺警護を任されました。アグネス・ラム。

事務室で打ち合わせをし、着替えて貰って、再度打ち合わせ。 その時ついでと言っては何ですが、間髪を入れず、サインちょーだい。低い机に前屈みになって、「Aloha Lum」と、私が脱いだ黄色のT-シャツの胸元に書いてくれました。私はムキムキ状態で彼女の前に座り、ええ匂いするなぁーと思いながら、ビキニ姿の彼女を見ておりました。

好きになっちゃった瞬間です。

当時のオジサンがどう思っていたかは分かりません。でも、バイトの仲間も、後楽園の職員も、みーんな羨ましがっていました。そして、身辺警護に当たり、覗き込んで写すわけにはいきませんから、テキトーに、盗撮させて頂きました。 こういうのって、思い出です。





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でもね、アイドルの栄枯盛衰。 アグネス・ラムには、あの時のままでいてもらう。老いて出てこないで欲しいです。そういう意味で、ミニーちゃん、永遠のアイドルで、元気いっぱいのお婆ちゃんです。やがて年齢は、妖怪の域に達するのでしょうが、元気が良いです。



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