SSブログ

ドンちゃんのこと   [むかし噺]





知らないと言うことは、損?
時々、そう思うことがある。


89-2-3-2.jpg

昔、初任校の一日一善クラブで、海辺の掃除をしていたが、捨て犬がカラスに食べられていて、生徒が可愛そうだと言い出した。 そんなん知らんやん、と言うと、野球部の少年が、ボクは将来教師になりたいんだけど、先生がそんなんでいいのか、と言うは易しだ。


IMG_0020.jpg

結局、捨て犬を拾ったは良いけれど、面倒を見るのは先生やないけ、可愛そうだと言って、ボクの家では飼えないって言われたと、私を諭した生徒は言う。 なんだかなぁー、拙宅で飼う羽目になり、道北の田舎から、函館まで連れて行くことになった。


パパ ドンちゃん-1.jpg

それでも、「首領(どん)仁佐衛門(にざえもん)」と名付け、あとから女の子だと分かり、去勢手術をし、ドンちゃんは家族の一員となった。 道内のあちこちの旅を、「家族」で、ずっと一緒だった。 彼女と過ごした7年は、たくさんの幸せな思い出になっている。 病気で死んだけれど、函館に眠り、心の中には生き続けている。


DSC01675.JPG

ホタテの貝柱を見てドンちゃんを思い出すのは、彼女の好物だったから。

生徒の面倒見が良すぎたので、よく、奥尻から出てきて下宿している生徒の親が、大量に送ってくれたので、何も知らず、こんな高額とは知らず、おいしいね、ドンちゃんも食べる? ワン、てな感じで、一緒に食べたものだ。ずいぶん食べまくったけれど、あいつ、10万円分くらいは軽く食っていた。いま思い出すと、うふふ、なのだ。




ファイト!






猿のお話   [むかし噺]






                愛せよ、
                人生において佳きものは
                それだけである。   (ジョルジュ・サンド)



無題-スキャンされた画像-30.jpg

          20年ほど前、家族でサンフランシスコを楽しんだ。
          モーテルに泊まって、散歩しまくった。
          その或る日、サンフランシスコ動物園を散策した。


無題-スキャンされた画像-34.jpg

          十分に歩き疲れるような散歩だった。
          子どもたちが、それぞれに、お気に入りの猿と写した。
          それぞれに、似たものを選んだのだろうか、理由は分からない。


無題-スキャンされた画像-33.jpg

          三姉妹それぞれが、それぞれに納まった写真だと思っている。
          昔々のお話になったけれど、今でも彼女たちのお猿さんはいる。
          また行きたいねと、いつか、妻が言った。

          もう少し、子どもたちが落ち着いたら、示し合わせて、行きたいものだ。
          すでに三女を肩車する体力はない。
          それどころか、足手まといになるのはきっと、オレ。




ファイト!






猿系列の顔   [むかし噺]






        子育てが趣味じゃないのと同じで、バード・ウォッチングも趣味なんかじゃない。
        それは、人生なんだ。
        そのはかなさに、ずっと惹かれている。              (里のおじさん)



DSC00655.JPG

        ニカウさんに似ていると言われたことがある。
        ブッシュマンだ。
        どうかなと思い、TVで見たら、似ていたので笑った。


DSC00658.JPG

        川谷拓三に似ていると言われたことがある。
        目が縮み始めた頃のことだろうが、似てるかなと思った。
        ネクラな雰囲気も、似ているなと思った。


DSC00656.JPG

        でもいちばん言われたのは、寛平ちゃんにソックリや、である。
        いずれにせよ猿顔なのだが、絶対恩師はこう評した。
        顔面積に比する目面積の小ささがポイントよのぉー。

        いずれの話でも、私の顔はアニマルの風貌であろう。
        新千歳空港の駐車場を使うたびに、通路にあるシュタイフの人形を写す。
        このゴリラは、楽しいのでaru。




ファイト!






あれから22年と1日   [むかし噺]






        あれから22年とテレビでは言い。
        あれとは、1995年(平成7年)1月17日、阪神・淡路大震災のこと。
        成人の日が15日だったころで、その年は日曜と重なり、16日と連休だった。




DSC09738.JPG


        まだ、土曜日も半日授業をしていた頃で、14日、15日とセンター試験だった。
        17日(火)の朝6時少し前に大震災が発生し、激しすぎて、正体は不明だった。
        7時前のテレビでも、ただ点在する火事を空撮映像で送るだけだった。

        あちこちで火の手が上がり、地震と言うより大火事に見えたものだった。
        あの時はまだ函館に住んでいて、1ヶ月前に三女が生まれたばかりだった。
        宝塚のことが気になって仕方がなかったように思う。



DSC09718.JPG


        震災発生の翌々日、木曜には大阪に居た。
        私の自己満足に付き合って、友人がレンタカーを借りて待機していた。
        飲食物を積んで向かったが、なかなか辿り着けなかったことを覚えている。

        いとも簡単に倒れたマンションや、倒壊したビル。
        倒れた電柱などを見ながら、進まない車の中で不安を覚えたものである。
        宝塚で、育ての親の元気な笑顔を見た嬉しさは、今でも忘れない。



DSC09743.JPG


        私は、激甚災害に遭遇もせず、生命財産を奪われたこともない。
        こんなに我が儘に生きており、それだけで大いに感謝である。
        あれから22年、三女も22歳と1ヶ月、風邪を引かなければ、それでイイ。





DSC09717.JPG

          昨日の札幌、最高気温は -0.3℃、最低気温は -7℃。
          今日の予想最高気温は、-1℃、予想最低気温は-8℃。
          これから22年、なさそうだから、今日を生きるのみ。




ファイト!








          

ルーブル   [むかし噺]





絵は眼のためではなく 心のために描くのだ (ドラクロワ)




DSC09518.JPG

          昨日の札幌、最高気温は -1.3℃、最低気温は -3.4℃。
          今日の予想最高気温は、2℃、予想最低気温は-4℃。
          なんだか温かそうな予想気温である。
          できることなら太陽が顔を覗かせてくれると嬉しいのだが。



DSC09525.JPG


        心が晴れないと、元気が出てこない。

        老後が40年もあった徳川慶喜の笑顔の写真を見た。
        BSの歴史番組だが、唯一と言っていいほどの、貴重な笑顔の写真。
        やっぱり笑顔って良いなと思った。

        そう言えば笑顔の乏しい私は、生徒によく怖いと言われていた。




DSC09520.JPG


        BSで 『2時間で回るルーブル美術館』 を見た。
        そう言えば、一昨年の今ごろ、ルーブルの館内を疲れるほど歩いていた。
        事前購入のチケットを持ち、開館前から並んで入り、出たら外は暗かった。

        旅は一日一箇所主義。
        長女の案内で、勝手な行動を織り交ぜながら、館内を歩きたおした。
        本当に主要な物は、ちゃんと鑑賞することはできた。


DSC09521.JPG


        2時間で回るという番組と比べて、一つ見落としがあった。
        ヤン・ファン・エイクの作品 「宰相ニコラ・ロランの聖母子」を見落としていた。
        見てはいるのだが、その背景に描きこまれていた「小さな火事」、見落としていた。
        こういうエピソードをあとで知ると、実に悔しい。 残念。

        次回の楽しみに残したのだと思う。
        また、美術館内の、カフェ アンジェリーナ、行きかけて入っていない。
        次回こそ、ここでモンブランを食べる。
        そんなことを考えると、なんだか生きる気力のようなチカラが湧いてきた。




ファイト!






ぷるん   [むかし噺]





過ぎたるは猶及ばざるが如し   
老いたるは猶及ばざるが如し   




DSC09496.JPG

          昨日の札幌、最高気温は 3.5℃、最低気温は -6.2℃。
          今日の予想最高気温は、0℃、予想最低気温は-3℃。
          今朝の6時のニュースで、不気味な話をしていた。
          「巨大な氷山が南極から分離し漂流し始める可能性がある」、と。




DSC09501.JPG


        二日続けて来ていた樋口さんからのメールは2通とも迷惑申請した。
        ソフトバンクさんも頑張ってくれたのか、3通目は届かないでいる。
        あるいは樋口さん、遺産を私に渡すこともなく終焉を迎えられたのだろうか。
        良かったのかどうかは分からないが、関わりたくなかったからこれで良い。




DSC09514.JPG


        高校時代の樋口さんは思い出の中で、やはりエッチな顔をしている。
        心酔するあるいるさんがイメージを浮かべ、焦点を結んでいた。
        「なんとなくくちもとにしまりのないだらしない雰囲気かも」、と正しい妄想です。
        結局のところMMの路線で、ミッキーではなく、マリリン・モンロー。

        ぶだうのやうにぷるんとしたくちびる
        特徴はくちもとにあり、ぽわ~んとした雰囲気は濃厚だった。
        一緒に生物の補習と追試を受けた頃には、名前は樋口さんに変わっていた。
        生物はオンナ先生だったが、樋口さんは、オトコ先生には確実に好かれていた。

        もしかしたら本当にあの樋口さんだったのかな。
        生物の追試で答えを教えてくれてありがとう。
        そんな感謝の気持ちが肥大化して、遺産をくれるのだったか。
        思い出の中の樋口さんは、しわくちゃにはならず、ぷるんとしたままなのだ。



        今日は、録り溜めた “トランポ ノミクス” の特集を「徹底研究」しようかな。
        大統領になることは決まったのだから、今さら騒ぐのは愚の骨頂。
        録画番組での、マトモな議論を期待する。




ファイト!






薬局ではないヒグチさん   [むかし噺]





        樋口、さーん。
        樋口さんって、誰だっけ。



DSC09458.JPG


        一昨日、樋口さんからメールが届いた。
        突然のメールを詫び、最後はこう結ばれている。
        身よりない憐れな孤独老人の最後の願い、話だけでも聞いて戴けませんか。

        突然のメールに驚くより、怪しく感じたので、迷惑メール申請をした。
        そもそも自称弱者や、自称憐れな老人に、耳を傾けてもろくな話はない。
        ただ、樋口さん、大阪の高校時代の女子に居て、最近エッチな夢を見た。



DSC09431.JPG


        昨日、またもや樋口さんからメールが届き、もちろん返信はしない。
        曰く、遺言、そして、遺産の件でお話があります、と。
        あるいるさんから 「例の件、当たり」、なら本当だと思ってしまうけど、こんなの嘘。

        こんなのに返信すれば、怖いことになるだろうと、逃げの一手である。
        大阪時代、親が離婚して名前が変わった樋口さん、今はどうしているのだろう。
        ちょっとエッチな顔だったので、少し気になっている。




ファイト!






写真発掘   [むかし噺]





人生における母親の影響は計算することもできない  (J・E・ファウスト)





DSC09256.JPG

          昨日の札幌、最高気温は 3℃、最低気温は -5℃、少し暑かった。
          今日の予想最高気温は、4℃、予想最低気温は-3℃。
          またまた少し、雪が減ったような気がする。



DSC09260.JPG


        母が施設に入り、そこ、東寝屋川に終の棲家を見つけたようである。
        大阪は河内長野の実家はさらに老朽化し、廃屋となりつつあった。
        姉が英断を下し、売却することとなった。



DSC09257.JPG


        家屋自体をスクラップにし、更地にして売却するが、費用に数百万円かかる。
        父歓喜の「我が家」は半世紀もせずに消え、されど私は3ヶ月しか住んでいない。
        面倒な作業を全て処理している姉には感謝だが、きっと溜め息もあるだろう。

        施工者であった大和ハウスが買い取り、全て処理してくれるとのこと。
        葬式代ぐらいにはなると言う話だった。
        ご苦労様、お疲れ様、ありがとう、言えるのはそれだけだった。



AI.jpg

        ことあるごとに実家に送っていた「孫」の写真類。
        全て捨ててくれて結構です、という断捨離弟の言い分。
        でもこれは捨てられないでしょうと、姉の常識的な考え。

        姉から送られてきた箱には、写真館で撮った娘たちの、時節ごとの顔があった。
        台紙のまま取っておいて、子どもたちに持たせるとするか。
        と、一枚だけスキャンしてみたのだが、時代は台紙派かスキャン派か。

        昨日誕生日を迎えた長女が、シンデレラだった頃を曝す。
        こういう着せ替え人形は、溺愛の証でしかないのだと言うこと。
        良いか悪いかは分からないけれど、思い出。




ファイト!






おとす   [むかし噺]




        初めて北海道に上陸したのは昭和49年の年末だったか。
        上野発の夜行に乗り、、道東の野付半島にある尾岱沼YHを目指した。
        途中、青函連絡船を降りた函館駅のトイレで、水道がバカなのがフシギだった。

        水が出っぱなしの水道、チョロチョロと水が出ている。
        勿体ないから止めようと思っても止められなかった。

        列車の乗り換え時間待ちで途中下車した札幌では、時計台を探して走った。
        札幌でも、バカな水道を見て、北海道の人はだらしないのかなと思った。
        トイレは水洗ではなく、ボタンを押すと、ブォ~ンと泡が出て流す、フシギ。




DSC09166.JPG

        昨日の札幌、最高気温は 1℃と、予想より温かく過ごせた。
        今日の予想最高気温は、-2℃である。
        ただ、予想最低気温が-7℃、そして水道凍結指数は60だが、大丈夫。



DSC09170.JPG

        憧れて北の大地を目指し、結局、夢が叶ったのか北海道に移住した。
        人生追い詰められていたけれど、北海道の教員採用試験に受かった。
        嫁さんもメッケしたし、最初の赴任地は、道北、最果ての地だった。

        追いかけてきたウブな少女と12月に結婚し、初めての冬を迎えた。
        当時はスパイクタイヤ全盛で、真冬でもドライブ遠征の旅をしまくった。
        数日家を空けて、帰ってくると、風呂が凍り、水道も凍結して水が出なかった。




DSC09171.JPG

        水道は凍らないように「落とす」という「水抜き栓」の操作が必要なのだ。
        水をチョロチョロ出しておくのは凍らせないためであった。
        しかし、滝が凍るまで気温が下がるときには水抜きが必要で、水を落とす。

        チョロチョロも水抜きもせずに家を空けておくと、家ごと凍った。
        水道管が完全に凍結すると、水道管が爆発してしまう、個人的な大惨事。
        最近は簡単に凍らない施工だが、さすがに公園のトイレは水を落として閉鎖する。

        トイレのある児童公園はタクシー運転手のオアシスだが、冬はどうするのかな。
        拙宅の庭にある水道は、11月末に、既に落としてある。
        庭の水道を開通させるのは、GWの頃なのかな。

        女を落とすより、水を落とすのが大事だった冬の北海道、今は昔。
        それでも今日は外で働くのが、ちゃっぷいだろうな。



           はたらけど
           はたらけど猶 わが生活 楽にならざり
           ぢっと手相を見るオッサン      (一悪のすんな)




ファイト!






しゃふん   [むかし噺]





        日本を今一度 せんたくいたし申候  (坂本竜馬)
        あんさんみたいなお方、また登場して日本を改革してくれんかな。
        と、考えている、ぐずぐずして日を送る大馬鹿もの。




DSC02088.JPG

■ 雪で立ち往生の車に罰金=チェーン装着を促進―国交省検討
 国土交通省は22日、積雪時に幹線道路で立ち往生の原因をつくった車に対し、罰金を科す方向で検討を始めた。 ◆ タイヤチェーンの装着を促すことで、立ち往生による渋滞を防ぐのが狙いだ。また、降雪予測を早めに住民などに周知し、大雪の際は車による移動を控えるよう呼び掛ける方針。  (時事通信 11/23(水) 7:10配信 )

        役人の頭は膠着していて、馬鹿げたことを考えるのには最適なのだな。
        こんな法案、作ってしまったら北海道では大いに困ってしまうだろうな。
        全車両がチェーン装着したら、トンネル内は道が削れ、壊れてしまう。




DSC02121.JPG


        30年以上前、北海道に赴任して暫く後、驚いたことがある。
        おそい春先に霞む景色のフシギが理解出来なかった。
        生徒に聞くと、「シャフン」と言い、「車粉」と書く。

        雪が溶け、道路が見えるようになってもタイヤ交換をしない車が走る。
        当時はスパイクタイヤで、ちゃりちゃりと路面に音を立てて走る。
        雪がないと、道路は削られ粉末になり、舞う。

        目もノドも痛くなる公害であった。
        スパイクタイヤが禁止になり、雪国は困り、スノータイヤが開発される。
        今はスタッドレスタイヤと呼び、氷の上でも走行可能である。



DSC08817.JPG


        雪国の苦闘を無視して、お役人はチェーンを巻けと仰る。
        おまえらの、そのつどの思いつきで、これ以上、世の中を混乱させるな。
        せっかく東大を出たのなら、少しは賢くなって出てこい。

        カラスですら頭を使って不可能を可能にしている。
        カラス未満のお役人に、この国を渡してたまるか。
        という不満は、戦後ずっと庶民が抱いている感想でもある。




ファイト!