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28年前から35年前   [むかし噺]



1991年10月25日(金)
その日は、函館の市立高校のサッカー部練習後、五稜郭病院へ行ったと思う。
その二日前に次女を生んだ妻を見舞い、娘を見に行くために。
思いのほか小さく生まれた娘を、容器の中に見るだけだが楽しかった。

親って、そうやって見守るだけの仕事だったんだと、自立した子を思う。
今となっては見守るなんて余裕をかましているが、当時は必死だった。
いや、妻が大変だったと、十二分に思い知る現在であり、サービスをするぞ。




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1985年1月16日(水)/結婚して1か月


函館時代の妻を探していて、もっと古い「時」へ行ってしまった。
結婚してまだ1か月、吹雪の試練を受けてのこと。
自宅前で、埋もれてしまった車を掘り出す作業。

マイナス30℃もこの場所で経験したし、「教え子」もできたし。
いちばん最初の赴任地は、本当に開拓者精神だったな。
渡辺淳一が働いていた診療所が高校の敷地内にあって、合宿所にしていた。


出会った時からこの娘、早朝からよく働き、よく働き、よく遊ぶ。
それをモットーにしているのだが、こんな「ど吹雪き」をも楽しむ。
天晴れとしか言いようがなく、二十数年の子育て全力には脱帽する。

世の中の、自分の夜遊びで我が子を餓死させる女、信じられない。
母親というものは、と偉そうなことは言えず、夜遊びくん。
良い女性と巡り合ったもんだ。




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今日も大雨、既に拡大してしまった被災地にも、無情の雨が降る。
ラグビー日本代表が負けたら急に、悪いニュースが噴き出してきた。
代表連中の刺激を受けて、河原の土手を40分、走り始めたのだけどね。



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