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石清水八幡宮   [旅]





京阪電車の「宇治・伏見 1dayチケット」の旅の話、つづき。


このチケットを買うぞと決めたのは、石清水八幡宮に行きたかったから。
そうだ、国宝を見に行こう。
古文の授業で扱っていながら、「石清水を拝まざりければ、心うく覚ゆ」だったのだ。


国宝です.jpg

 仁和寺にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩よりまうでけり。 (後略)      (徒然草 第52段/吉田兼好)

仁和寺にいた、ある法師が、年をとるまで石清水八幡宮をお参りしたことがないことを情けなく思い、ある時思い立ち、一人、徒歩でお参りにいった。




はとやねん.jpg


この年になって、私もお参りに行った。
鳩は八幡神の使いであるとされている。
お賽銭箱の上方、頭上を拡大して写した。




通ろう.jpg


ケーブルカーの往復料金400円も、1dayチケットでOK。
徒然草では仁和寺の法師、山に登らず、正しくお参りをしなかった。
680年ほど後の私、公共交通機関を使って登る、ありがたや。




こも樽.jpg


すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。 と、徒然草は結ばれている。
勝手な思い込みで、とんでもない恥ずかしい失態をした仁和寺の法師。
小さなことにも、案内者(指導者)は欲しいものである、ということだ。




ケーブルカー.jpg


ケーブルカーの中で流れるテープでは、徒然草のエピソードを語っていた。
ただ、仁和寺の法師とは言わなかった。
「ある寺の僧侶が」と、業界的配慮か、具体的な寺の名は伏せられていた。

吉田兼好は、徒然草の第53段でも、仁和寺の法師を扱っている。
どう考えても、お馬鹿なエピソードであるのだが。
仁和寺に聞いても、「昔のことですから」と、ノー・コメントだろうな。

他山の石として、謙虚に私も学びましょう。




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