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慰安の時間   [@amy.com]




オレの尻が腐り始めているかも知れない。
病室の固い椅子にずっと座っていたからかも知れない。
活力の低下と思考力の低下は、電脳空間に距離を置いたからか。



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長女と自転車で、ライラックを見に行った。
病室の外に出る、と言う意識を持ちたかった。
私には強い匂いだが、ライラックの香りは好きだ。




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母には縁が少ない花だと思うので、写して持っていくことにする。
明日からまた、大阪だが、今回はノートパソコンを持参する。
疲れすぎないように、遊び心をたくさん持っていく。




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「tommy センセー」と声をかけられた。
そう言えば、自分は高校教師だったんだと思い出した。
花が咲き始めたねと、写真を撮った。




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もちろん狙いはこれ。
ワインを飲んで、ポリフェノールを注入した。
激しくはないが、蕁麻疹が治まらないのが不安である。

明日からは、怖い大阪だ。

今夜は妻にパスタを作る。
キャベツとホタルイカのバター醤油パスタ
最後の晩餐




ファイト!





叡志の笑顔を忘れない     [卒業生]





もやもやしている。
大阪によるストレスが我を蝕んだか。
民進党の不快な質問が鬱陶しいのか。
気持ちの重さが晴れ間を見せないで引っかかっている。


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■ 室蘭・天神町の道道でひき逃げ、工大生が死亡
【2017年5月25日(木)室蘭民放 夕刊】
 24日午後9時25分ごろ、室蘭市天神町の道道で、同市水元町に住む室蘭工業大学4年、宮崎叡志さん(22)が、頭から血を流して倒れているのが見つかり、市内の病院に搬送されたが、間もなく死亡した。室蘭署は現場の状況などからひき逃げ事件とみて捜査していたが、事故直後に現場を訪れ、事故への関与を認めたことから、25日午前、同市高砂町5、無職、神野留美子容疑者(67)を自動車運転処罰法違反(過失致死)と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで逮捕した。

 同署によると、神野容疑者は「石に当たったのかと思っていた」と容疑を一部否認している。

 宮崎さんの死因は頭を強く打ったことによる脳挫傷。現場は片側2車線の直線道路。宮崎さんは、水元町から中島町方面に向かう路上に倒れていた。現場付近に散乱していた車両の一部が、神野容疑者が運転していた乗用車の部品と一致した。



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叡志(えいし)、良い名前でしょ。
高校教師だった凄腕の私が、最後に学年主任として送り出した生徒。
叡志が死んじゃった。
優しい、サッカー小僧だった。
オレなんかと違って、いつでも優しい笑顔をしていた。



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 現場の目の前に住む50代男性は「車のドアを思い切り閉めたような、バーンという音がした」と言い、外で騒ぐ声が聞こえたため出てみると人が倒れていたという。男性によると、第一発見者の若い男女が消防に通報し、車で通りかかった別の室工大生が、AEDを取りに大学へ向かったという。◆男性は「最初は酔っ払いかと思ったが、耳や鼻、口、目から出血しており、全く動かず、呼び掛けにも応じなかった。かなりひどい状態だった」と振り返る。「ブレーキを踏むような音は聞こえなかった」とも。    (2017年5月25日(木)室蘭民放 夕刊)




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「石に当たったのかと思っていた」と言う神野留美子容疑者(67)
何だかなぁ、轢き逃げなんだけど。
67歳で青年を殺してしまって、どこまで逃げるんだろう。

叡志が殺されたコトへの怒りはある。
67歳からの余生を、十字架背負って生きる容疑者。
運命ってやつかね、それも哀しいな。

自動ブレーキの技術は、普及させておくれよ。
名ばかりの少子化対策で金を捨てるより、青年の命を救う自動ブレーキ。

何だかねぇ、叡志のイイ笑顔が忘れられないな。
高2の時だったかな、かなり怒って、別室で特別説教をしたことがある。
そんな時も、仲間思いの優しさを発揮して、頑張る好青年に大変身してくれた。

華奢な線の細さが目立っても、タフないい男だった。
何だったんだろうな、あいつの人生、悔しい。
ちょっと気が重いんだよね。

叡志の、卒業式での、はにかんだ笑顔がオレの最後の記憶かな。
もったいないなぁ。
マットウに生きる、何の非もない22歳の人間が辿り着く、非業の死。

・・・オレのロウソクあげたのにな。




ファイト!






ゆっくりと   [日常]





札幌に帰ってきています。

長女が6月1日、ドイツに帰ります。その前に、大阪、宝塚と回り、札幌で免許の書き換えをして、その後、東京の荷物整理をするという話は、母が入院する前からの予定でした。

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母の看病のために、大阪のホテル住まいからウィークリー・マンション生活に変わっても、慣れないストレスが激しくて、自分を維持できそうにありませんでした。そんな状態で娘と、アウェーの大阪で会いたくなかったので、札幌に帰ってきました。




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黒服、数珠持参で、覚悟を決めて乗り込んだGW前でしたが、「死ぬぞ死ぬぞ」と言われながら、持ち直しました。入院当初30を超える勢いのCRP値が、GW明けには5、その後2、先週初めには0.9まで下がりました。先週の半ばには、最後に残っていた菌が判明し、それに効く抗生剤が2~3あるらしく一週間投与するそうです。ただ、抗生剤治療が長引いてきて、タンにカビも出ているそうで、心配材料は尽きません。




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(リハビリも始まり理学療法師と年の差カップル)


今月中には退院して貰いたかったけれど、仕方なく、6月1日から2週間、また、ウィークリー・マンション住まいで、母を激励してみようと思っています。入院当初は病室に30時間付き添って、実は無理をして、溜め込んだストレスで、最後は私自身も蕁麻疹が出てしまい、精神的に弱虫だと知りました。1日からの大阪遠征にはノートPCを持参して、毎日、ガス抜きをしながら、母への恨みを溜めない、自身の自己満足を楽しむ看病生活を送ろうと思っています。






ファイト!






近況報告 [日常]




「左胸に多量の胸水が貯留し、左肺が潰れており、強い炎症所見が認められる。」

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ゴールデンウィーク前に、母がほぼ危篤との連絡を受けて、大阪に遠征した。


ホテルを取り、姉と交代で病院に泊まり、付き添い。瀕死の状態からは脱出したが、余談は許さず、ウィークリーマンションを借りることにした。


電脳空間から離れて、現実のリアル付き添いを密着体験するのも、大事なことだと思い、ブログは休憩中。


これからどうなるかは分からない。ただ、こういう時間を楽しむ。

半世紀の時間の中で、これほど長い時間を、母のそばで過ごすのも不思議である。親孝行なのかなと自分を高く評価している。


元高校教師、簡単に働き口はなかった。ただ、考えようによっては、こうして付き添っていられるのも、無職の特権かなと自分の境遇を正当化している。


母はズルいから、奇跡を起こすつもりなのかもしれず、付き合ってやろうと思っている。

次回の更新は5月29日。絶望はしていない。