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『星に願いを、いつでも夢を』    [村上龍]





通過するミサイルは落ちてこないのだけど、いよいよ、桂一門ではない米朝の関係が、怪しくなってきた。 本当のことを報道するマスコミの乏しい中、やっぱり、本当のところはどうなるのか、特に、休戦中の南北朝鮮や米朝関係に、果たして日本がどこまで食い込んでいるのか。 心配で、読書が進まない。






『星に願いを、いつでも夢を』 村上龍/KKベストセラーズ(2016年11月30日 初版第1刷発行)
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p188
 日本の大手既成メディアは、少しずつ変化してきている。もちろん良い方向ではない。政党政治が終わりつつあるということも、政策論争に意味がなくなってきているということも、ほとんど報じられない。偏向しているとか、権力に媚びて事実を隠蔽しているとか、そんなことではない。いまだに「格差」を論じる文脈を持っていなくて、たとえば財政や、医療や年金などの社会保障についての「最悪のケース」に言及する方法も見出そうとしていない。おそらく今後改善される可能性はゼロで、ますます内向きになり、国民を慰撫することを優先するようになるだろう。繰り返すが、バカなわけでも、偏った考えに凝り固まっているわけでもない。例を挙げると、社会的弱者に対し「可哀想な人々」という捉え方しかできないということだ。


p199
 メディアというのは、大新聞、テレビのキー局、メジャーな雑誌など、いわゆる「大手既成メディア」のことだが、権力に媚びて偏向しているとか、事実を伝えようとしていないとか、怠慢というわけではない。現実を伝えるための文脈を持っていないというだけだ。ただ、その度合いが尋常ではなくなっていて、しかも「ねじれ」があるために、批判することが極めて難しくなった。「ねじれ」というのは、高度成長もバブル崩壊も遠い昔となり、経済の停滞が異様に長く続き、インターネットなど新しいメディアが登場して、内外の状況の急激な変化に対応しようと、歳を取った女優の化粧が年々濃く厚くなるように、表層だけを繕っているために、問題点がさらに隠蔽されてしまったというような意味だ。だから、批判すればするほど徒労感を覚える。


p203
 今、あらゆるところに「夢」という言葉が氾濫しているが、それは「夢」が消滅しつつある証だと思う。実在しているものについては、あえて語る必要はない。子どもがカウンセリングで「愛情」という言葉を多用するときは、愛情に餓えているのだとある精神科医から聞いたことがある。「夢」が消えつつある時代、どうやって生きればいいのだろうか。睡眠時の夢が非現実であるように、希望や目標をあらわす「夢」も、人に、別の現実、別の人生をイメージさせ、その実現を強く願い、実現に向けて具体的な努力をするように促す。だが、繰り返すが、今や「願い」も「夢」も消えつつある。わたしは、現実を見ようとしているだけだ。





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「そこまで言って委員会」という興味深い番組があって、残念ながら東京では放送されていない。 始めは、やしきたかじんがMCだったが、亡くなってからは、辛坊治郎がMCを務めている。 朝日新聞しか読んでいない人には、腰を抜かしそうな番組だろうが、なかなか面白い。


朝日などが報じない「大問題」より、朝日などが歪める「小さな問題」を、産経新聞が孤軍奮闘報じるのは愉快なのだが、北海道ではコンビニにもキオスクにも置いていない。仕方がないから、読売か、日経を買うことになるのだった。


いよいよ危機が近づいてきたのだろうか。

晴れ男のハレオ君、札幌で、結局台風の風も感じず、午後には快晴だったぞ。




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