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「心肺停止」

電話でそう告げられても驚くことはなく

二度の危篤から大復活していたから

ついうっかり

しかし最後の再会は斎場でした。




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2014年9月15日の母



母は、私にとって、いつでも母でした。 親不孝であったことは自覚しています。 住吉警察署にも、阿倍野警察署にも、迎えに来た姿は肩を落として、大手前の家庭裁判所でも、呼び出された学校でも平身低頭しており、あるいは、高校を中退したときも、母はいつでも、母でした。 親不孝ばかりでしたが、大学を出て教員試験に受かり、結婚した時も、嬉しそうにする母の顔を忘れません。 「良かったなあ」、喜びの表現もシンプルでしたが、それゆえ忘れません。



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二晩、母のそばで眠り線香を絶やしませんでした。

湯灌、初めて死者の体を洗う作業を手伝いました。

喪主、焼かれた母を受け取りに行く作業は一人でした。




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2014年9月15日の母



初七日、二七日と終わり、

やがて三七日となります。

ただ放心することが多く気合いが乏しいです。


うじうじしているわけではないけれど、

しかしこういう精神状態を続けてはいけないと、

覚醒をしようと考えます。



そして少しブログ訪問をしてみました。

裏・市長さんの辛辣な世相切り、

青山実花さんの映画から機微を読む。


いつか終わるんだけど、

今日からブログを再開してみようと、

不完全燃焼ながら思うのです。





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