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『 峠 (中) 』   [司馬遼太郎]




『 峠 (中) 』 司馬遼太郎/新潮文庫(平成15年10月25日発行)
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p171
 (あいつも自分の情念に命を張っている)
 ということであった。継之助は同国同藩人よりもむしろスネルにおいて自分の同志を見出したような、そういう思いがある。


p258
 「左様。御上洛がおわりますれば、その翌日のためにござります。その翌日がおわりますれば、さらにその翌日のためにござります。生は事を行うための道具に過ぎませぬ」
 それが陽明学の基本思想なのであろう。生は生そのもののためにあるのではない、という継之助の考えを、この若い藩主はよく理解していた。


p498
 「三百年」
 と継之助はいった。
 「諸藩は事なかれできた。幕府に対し、わずかの過失をもおそれ、ひたすらにくびをすくめ、過ちなからんとし、おのれの本心をくらまし、責任をとらねばならぬことにはいっさい避けてきた。もはやその幕府も無い。これからは諸藩はおのれの考え方と力で生きてゆかねばならぬ。そのときにあたって三百年の弊風をいまだにまもるとはなにごとであろう。その会合にはわしがゆく」







若奥様 ハツラツ


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若奥様コト次女による「ベイクドチーズケーキ」



「過ちなからんとし、おのれの本心をくらまし」・・・こういう台詞を読むと、公務員世界の狭量と重ねて思う。教育現場の荒廃がこれから顕著になり始める。「ゆとり教育」導入時に総懺悔した中堅の行政職がちょうど校長、副校長あたりだと思うが、今後5年、10年どう舵取りするのか見ものだ。親も生徒も教師も、時代と世界に対して力不足の中、リーダーのいない混迷が危険だ。


「生は事を行うための道具に過ぎませぬ」「生は生そのもののためにあるのではない」などという解釈を理解すると、自分自身をもっと掘り下げねばならないと感じるのだった。オマエは何をする、何がしたい?



次女が作る料理をまず食って、ファイト!






『 峠 (上) 』   [司馬遼太郎]




『 峠 (上) 』 司馬遼太郎/新潮文庫(平成15年10月25日発行)
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p76
 「志ほど、世に溶けやすくこわれやすくくだけやすいものはないということだ」
 そのように継之助はおもっている。志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋というものはその志の高さをいかにまもりぬくかというところにあり、それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、日常茶飯の自己規律にあるという。箸のあげおろしにも自分の仕方がなければならぬ。物の言いかた、人とのつきあいかた、息の吸い方、息の吐き方、酒ののみ方、あそび方、ふざけ方、すべてがその志をまもるがための工夫によってつらぬかれておらねばならぬ、というのが、継之助の考えかたであった。


p322
 「不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ」と継之助はいうのである。


p405
 「学問の講義は要りませぬ」
 と最初に継之助のほうからことわってあったから、先生と起居を共にするだけのことである。夜分など、方谷にひまがあると雑談をしてくれる。その雑談が、継之助にとって宝石のように貴重であった。


p427
 田舎の三年・京の昼寝
 ということわざ。田舎で三年懸命に学問するよりも京で昼寝しているほうが、はるかに進歩するという。


p445
 「一隅(いちぐう)ヲ照ラス者、コレ国宝」
 継之助は、いった。叡山をひらいて天台宗を創設した伝教大師のことばである。きまじめな小器量者こそ国宝である、というのである。






次女つくりし明日の朝食パンつまみ食い


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お料理「研究家」の次女が、最近やけに料理を探求中。いいぞ。

美味しくないリンゴを変身させるわと、明日の朝食パンを焼いていた。いいぞ。

パパに試食させてよ、はい、う~んもう1つ、はい、2つは美味い! いいぞ。いいぞ。



ファイト!





『花神』 (四)   [司馬遼太郎]




『花神』 (四)  司馬遼太郎/新潮社(昭和47年8月25日発行) 1972年
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p15
 正義というのは、人間が人間社会を維持しようとして生み出したもっとも偉大な虚構といえるかもしれない。たしかに自然と現実から見れば、虚構にすぎない。が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫観念を持っている。

 ヨーロッパはキリスト教的正義から興り、インドにはその古代的宇宙観がいまも正義として生き、ユダヤ人ははるか数千年前の教義をいまもすてない。

 そういう面から見れば儒教は多分に現実的で虚構性にとぼしい。ただ、孟子が出るにおよんで孔子の教義から正義をひきだし、その観念を孟子風に拡大することによって現実主義的な諸侯に説き、ついに容れられず、著述生活に入った。

 日本は、儒教を書物としてうけとったが、儒教がつくりあげた生活習慣まではうけ容れなかった。儒教の基本倫理の一つは礼であるが、日本人は作法としての儒礼を知らず、このため室町期における朝鮮との外交交渉に支障が多かった。




p142
 人間の生体もそうであるように、人間の社会も異物をきらう。異物が突如挿入されてくると強烈な拒絶反応をおこす。




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とうとう終わってしまった。
維新は成立し、新しい国が始まりはするのだけど、バカな奴はいるもので、狭量なる人物が狭い視野と嫉妬心で、感情だけで行動し、狡く立ち回る。政治以前の、見通しもないまま傑物、傑人を安直に殺してしまう。我が国固有の領土を返してくれないズルイ組織暴力国では、今でも、対抗勢力を暗殺しているようで、100年以上遅れた国だと理解する。そんな国が核を保有するのだから怖い。

さて次は、もう少し幕末に付き合い、長岡藩のありようを観察させてもらう。3年前の夏、三女のインターハイ競泳の応援で新潟に行った。長岡で実施されたのだが、宿泊施設に空きはなく、小地谷のYHに泊まった。フェリーで移動したから、車持ち込みだったので、妻と長女の3人、観光気分で行ったのである。

長岡周辺はあれこれ見て歩いたけれど、山本五十六記念館も良かったが、長岡藩の生き残りの戦いを展示した記念館も勉強になった。その有様を、司馬遼太郎が小説にしていて、『峠』という作品に結実している。記念館には、司馬遼太郎の自筆校正入りの生原稿も展示されており、おおいに見入ったのである。

読もうと思って買った文庫本が、ぼんやりと眠っていた。読むぞ。・・・ファイト!





『花神』 (三)   [司馬遼太郎]




『花神』 (三)  司馬遼太郎/新潮社(昭和47年7月25日発行) 1972年
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p160
 アヘン戦争は、日本でいえばペリー来航の11年前、、天保13年に終結したが、評価のしかたによっては東アジア史上最大の事件であるかもしれない。アヘン戦争終結時点の年をわらにわかりやすく言えば、ときに西郷隆盛は15歳であり、吉田松陰は12歳であり、木戸孝充は9歳であり、坂本龍馬は7歳であり、近藤勇は8歳である

       こういう表現が分かりやすい表現だと思う。
       活字の中の人物が立体的になってくる相対化であろう。
       司馬遼太郎さんはなかなかやるのである。


p248
 島津久光が、長州藩の山県狂介らに
 「長州は起ちあがってほしい」
 と言いながら、この人物ほど骨のずいからの佐幕家もしくは保守家であったひとはないということである。この久光の人間的課題はここでは触れぬとして、この久光をだましつすかしつする役目は、大久保が任じた。ただし大久保には藩士への人気はまったくない。

       こういう表現は意表を突いていながら的確で、好きだ。
       司馬遼太郎さんはなかなかやるのである。



しばらく司馬遼太郎の季節が始まるかも知れない。

ファイト!







花神 (二)   [司馬遼太郎]




おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり


現在、私が没入している書籍は司馬遼太郎の『花神』だが、恥ずかしながら存在も知らない本だった。長女の読後感を読み、すぐに図書館に注文を出した。

恥ずかしながらついでに、NHK大河ドラマを見る余裕がないけれど、時代背景に興味があって、原作を読もうと、ミーハーなことを考えた年末だった。娘たちにリレーすれば安上がりだとAmazon購入。正月に集合する妻の実家に送ったのだが、その場所はAmazonの配送センターの裏だったから配達は早かった。余談。

大河の原作となる『世に棲む日日』は、吉田松陰と高杉晋作が主人公で、どちらかというと松陰は早々に処刑されてしまうから、高杉晋作が主人公と感じてしまう。魅力的な放蕩息子として描かれるが、一個の天才の苦しさも理解出来る。

『世に棲む日日』は、1969年2月から1970年12月まで「週刊朝日」に連載の作品だが、では、『花神』の方はと言うと、1969年(昭和44年)10月1日から1971年(昭和46年)11月6日まで『朝日新聞』夕刊に633回にわたって連載、とある。酷似した時期に、作者は書き続けたことになる。

おそらく幕末の、変化のエネルギーを書こうとして、誰を主人公の視点にするかと問題に突き当たるのは当然なこと。そうすると、思想として吉田松陰、実行家として高杉晋作。ただ、その部分の通史を描くには、両名が早死にしてしまう。吉田松陰は処刑で高杉晋作は結核で病死。となれば、市民クーデターの完成を描くための人物が必要で、農民上がりの蔵六(大村益次郎)が適任であった。

読んでいく順番としては、『世に棲む日日』の後に『花神』が、ちょうどいいのだと実感している。「おもしろき こともなき世を おもしろく」オレは司馬遼太郎の作品を読んでいるのさ。


・・・第二巻は、あっという間に終わってしまったので、作者の筆の妙を抜粋した。作家によって、漢字の使い方にこだわりがあって、わたし個人は吉行淳之介と村上龍の影響を強く受けているけれど、おそらく司馬氏の柔らかい文体の影響を、こんご受け継いでいきそうな気がしている。



『花神』 (二)  司馬遼太郎/新潮社(昭和47年6月25日発行) 1972年
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p23
田舎者のとりえは、外界に出たとき見るもののすべてが驚きであるということであった。精神の躍動というのは、おどろきからうまれるものである。


p232
「馬鹿が、よってたかって藩をほろぼそうとしている」
蔵六は、自分の存在のむなしさを感じて、ついお琴の前で大酔を発してしまったのである。



花神(一)   [司馬遼太郎]




長女のブログ   
「世に棲む日日」を読み終え、すぐにこの「花神」(中国語で「花咲かじいさん」の意味)を読み始めました。通販サイトで、「世に棲む日日」を検索すると、この「花神」もお勧めと出てきたので、早速図書館で借りてきました。この本、明治維新の際、倒幕軍を仕切った参謀、大村益二郎の話です。幕末はカリスマ的数々の大物が登場しますが、この大村益次郎はそういったカリスマとは大きく異なります。(後略)



1ヶ月ほど前の長女のブログに「読書 '15」の項目で、司馬遼太郎の『花神(かしん)』が紹介されていた。吉田松陰と高杉晋作が主人公の『世に棲む日日』を紹介し、読めと渡したチチではあるが、『花神』のほうは読まずにいたので、かなり悔しい思いをした。


長女のブログ   
幕末のドリームチーム小説を読んでいるようでした。(中略)個人的には主人公のちょっとした窮地を救ったのが大隈重信というのも、読んでいて嬉しかったです。かつて別の小説で主人公だった人達を、大村益二郎という外の視点を通して読んでいくのは、不思議な感覚でした。



ちょっと面白そうな話やんかと思いつつ、しかし、ここは素直に飛びついて読んでしまおうと、妻に頼んで図書館発注してもらい、読み始めることにしたのだった。おもろい。面白かった。さらに、ハンチントンの『文明の衝突』を読んだ後だから、ある意味での「日本理解」につながる小説だなと思えた。






『花神』(一)  司馬遼太郎/新潮社(昭和47年5月25日発行) 1972年
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p126
この国に歴史がはじまって以来、国家観念が世論の中で成立したことがなかったが、そのことがペリーの恫喝外交によって成立した。それまでは日本は国家というよりも本来が「天下」とか「海内」とかいうものであり、四方が海であるため、この列島が日本人の実感としては唯一の天地であった。

それがペリーにより破られ、日本が国際環境のなかにあることを恐怖感情で実感することになり、同時に日本国家という概念が成立した。が、概念が実体になって統一国家ができるまでは当然ながら動乱がなければならない。つまり「天下」の崩壊から「国家」の成立までが、幕末の風雲期である。


p247
ナショナリズムというのは、民主主義とか国民、、国家主義といったふうに、社会科学の用語として使われるばあい、あまりに輪郭が鮮明すぎてミもフタもなくなるが、本来ナショナリズムとはごく心情的なもので、どういう人間の感情にも濃淡の差こそあれ、それはある。

自分の属している村が、隣村の者からそしられたときに猛然とおこる感情がそれで、それ以上に複雑なものではないにしても、しかし人間の集団が他の集団に対するときにおこす大きなエネルギーの源にはこの感情がある。この心情の濃淡は知性とは無関係で、多分に気質的なものであろう。


p280
(山脇東洋曰く)「原理というものを優先して実在を軽視すればよき智恵も曇る。原理にあわぬからといって実在を攻撃することはいけない」
東洋の生年は村田蔵六のそれより先だつことほぼ120年である。
*蔵六(ぞうろく)=《4本の足と頭と尾の六つを甲の内に隠すところから》亀の異称。




ハマっちゃいますね。
ちょっとした読書習慣が作れそうです。
別れの季節、読書の世界に逃げ込みます。
娘たちのそれぞれの転機、一念発起、新年度の開花を信じて邁進です。


ファイト!






世に棲む日日 (一)~(四)   [司馬遼太郎]


巴里遠征での課題図書を決めて、Amazonで注文した。配送先を妻の実家にした。
市川の妻の実家裏からの配送だけど、正月だからか出発の前日に到着だった。
どうでも良いことだけど。



世に棲む日日 / 司馬遼太郎 (文春文庫)



世に棲む日日 (一)
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NHK大河ドラマで『花燃ゆ』というものが始まると聞いた。
「燃ゆ」という表現が好きで、来年からの高校生が少し楽になる。
「燃ゆ」は古語で、ヤ行下二段活用の動詞。しかしこれを理解させるのに苦労する。
特に、連用形の「燃え」に下線を引き、活用の行と種類を問えば、ア行などと言い出す始末。

『マッサン』ではないが、NHKが垂れ流してくれることで、身近な物になってくれる。
「燃ゆ」が身近になっていてくれば、高校1年での古典文法がやりやすい。
さて、ミーハーだが、否、久々に司馬遼太郎世界を垣間見ることにした、選定だった。


p95
人間の運命を決めるものは、往々にしてその能力であるよりも性格によるものらしいが、藩の運命も、その性格によってつくられていくものらしい。




世に棲む日日 (二)
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p107
(高杉晋作 辞世の句、上の句だけしか作れなかった・・・息も絶え絶え)
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
が、女流歌人の野村望東尼(もとに)は晋作の寿命がすでに尽きようとしているのを見、いまいそぎ下の句をつけてやらないとせっかくの辞世の句が尻切れとんぼになることをおそれ、
「すみなすものは 心なりけり」
と、つけた。

p243
松陰は晩年、「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」と、ついに思想の本質を悟るにいたった。思想という虚構は、正気のままでは単なる幻想であり、大うそにしかすぎないが、それを狂気によって維持するとき、はじめて世をうごかす実体になりうるということを、松陰は知ったらしい。

p286
 古来、日本人が外国文明をその目で見た時、たれひとり平静でありえたことがなかった。自己嫌悪か、さもなくば狂おしいばかりの自己肯定か、さらには相手文明に対する礼讃か、恐怖。そういう極端な心理を経ずに接することができなかった。
 晋作のばあいの条件は、いまひとつ極端である。二百数十年来の鎖国国家を出て、かれは上海という西洋の出店へゆくのである。しかもかれは、長州藩における攘夷志士の巨魁であった。


第二巻の途中までは、150年前の経済論、政治論であろうか。日本史概説「幕末編」めいたもので、娘たちにも読ませようと思った。この国の変革期に何が起きたかという、一つの視点を手に入れさせるという意味で。




世に棲む日日 (三)
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p114
  時世得顔(ときよ えがお)
p136
  発狂踏舞




世に棲む日日 (四)
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p147
「人間というのは、艱難は共にできる。しかし富貴は共有できない」 (晋作)

p148
「艱難ヲトモニスベク 富貴ヲトモニスベカラズ」





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世に棲む日日

おもしろき こともなき世を おもしろく



あっけなく終わってしまった。
高杉晋作が、そうであったように、作品も、そうして終わった。
第一巻で筆者が言う、主人公を吉田松陰とも高杉晋作とも決めがたかった、と。
その、ぼんやりしたモノは読後感にもあった。

あとがきで言うように、戦前の国策と吉田松陰の思想が重なり、どうも好感できないと。
そのぶん、高杉晋作への気持ちの傾斜はあったのではないか。
私自身も、元祖革命の巴里で贅沢に読みながら、高杉晋作に傾斜していた。

しかし、狂気に思想がアリ、第一段階。
そこに、狂気の行動がアリ、第二段階。
そこへ、実直な事務作業がアリ、第三段階。
三世代を経て革命が成功し、新政府が出来上がる、維レ新タナリ、維新。
楽しい日本史のお勉強でした。




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