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花神 (二)   [司馬遼太郎]




おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり


現在、私が没入している書籍は司馬遼太郎の『花神』だが、恥ずかしながら存在も知らない本だった。長女の読後感を読み、すぐに図書館に注文を出した。

恥ずかしながらついでに、NHK大河ドラマを見る余裕がないけれど、時代背景に興味があって、原作を読もうと、ミーハーなことを考えた年末だった。娘たちにリレーすれば安上がりだとAmazon購入。正月に集合する妻の実家に送ったのだが、その場所はAmazonの配送センターの裏だったから配達は早かった。余談。

大河の原作となる『世に棲む日日』は、吉田松陰と高杉晋作が主人公で、どちらかというと松陰は早々に処刑されてしまうから、高杉晋作が主人公と感じてしまう。魅力的な放蕩息子として描かれるが、一個の天才の苦しさも理解出来る。

『世に棲む日日』は、1969年2月から1970年12月まで「週刊朝日」に連載の作品だが、では、『花神』の方はと言うと、1969年(昭和44年)10月1日から1971年(昭和46年)11月6日まで『朝日新聞』夕刊に633回にわたって連載、とある。酷似した時期に、作者は書き続けたことになる。

おそらく幕末の、変化のエネルギーを書こうとして、誰を主人公の視点にするかと問題に突き当たるのは当然なこと。そうすると、思想として吉田松陰、実行家として高杉晋作。ただ、その部分の通史を描くには、両名が早死にしてしまう。吉田松陰は処刑で高杉晋作は結核で病死。となれば、市民クーデターの完成を描くための人物が必要で、農民上がりの蔵六(大村益次郎)が適任であった。

読んでいく順番としては、『世に棲む日日』の後に『花神』が、ちょうどいいのだと実感している。「おもしろき こともなき世を おもしろく」オレは司馬遼太郎の作品を読んでいるのさ。


・・・第二巻は、あっという間に終わってしまったので、作者の筆の妙を抜粋した。作家によって、漢字の使い方にこだわりがあって、わたし個人は吉行淳之介と村上龍の影響を強く受けているけれど、おそらく司馬氏の柔らかい文体の影響を、こんご受け継いでいきそうな気がしている。



『花神』 (二)  司馬遼太郎/新潮社(昭和47年6月25日発行) 1972年
DSC02647.JPG

p23
田舎者のとりえは、外界に出たとき見るもののすべてが驚きであるということであった。精神の躍動というのは、おどろきからうまれるものである。


p232
「馬鹿が、よってたかって藩をほろぼそうとしている」
蔵六は、自分の存在のむなしさを感じて、ついお琴の前で大酔を発してしまったのである。



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hatumi30331

没頭して下さい。^^
by hatumi30331 (2015-03-08 08:55) 

soujirou-3

幕末明治期は日本を変えようとするエネルギーを感じます。毛利の殿様はそうせいと返事するのが常だったとか。なので・だからというべきかエネルギーが充満したのでしょうね。
by soujirou-3 (2015-03-08 11:35) 

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