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『花神』 (四)   [司馬遼太郎]




『花神』 (四)  司馬遼太郎/新潮社(昭和47年8月25日発行) 1972年
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p15
 正義というのは、人間が人間社会を維持しようとして生み出したもっとも偉大な虚構といえるかもしれない。たしかに自然と現実から見れば、虚構にすぎない。が、その虚構なしに人間はその社会を維持できないという強迫観念を持っている。

 ヨーロッパはキリスト教的正義から興り、インドにはその古代的宇宙観がいまも正義として生き、ユダヤ人ははるか数千年前の教義をいまもすてない。

 そういう面から見れば儒教は多分に現実的で虚構性にとぼしい。ただ、孟子が出るにおよんで孔子の教義から正義をひきだし、その観念を孟子風に拡大することによって現実主義的な諸侯に説き、ついに容れられず、著述生活に入った。

 日本は、儒教を書物としてうけとったが、儒教がつくりあげた生活習慣まではうけ容れなかった。儒教の基本倫理の一つは礼であるが、日本人は作法としての儒礼を知らず、このため室町期における朝鮮との外交交渉に支障が多かった。




p142
 人間の生体もそうであるように、人間の社会も異物をきらう。異物が突如挿入されてくると強烈な拒絶反応をおこす。




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とうとう終わってしまった。
維新は成立し、新しい国が始まりはするのだけど、バカな奴はいるもので、狭量なる人物が狭い視野と嫉妬心で、感情だけで行動し、狡く立ち回る。政治以前の、見通しもないまま傑物、傑人を安直に殺してしまう。我が国固有の領土を返してくれないズルイ組織暴力国では、今でも、対抗勢力を暗殺しているようで、100年以上遅れた国だと理解する。そんな国が核を保有するのだから怖い。

さて次は、もう少し幕末に付き合い、長岡藩のありようを観察させてもらう。3年前の夏、三女のインターハイ競泳の応援で新潟に行った。長岡で実施されたのだが、宿泊施設に空きはなく、小地谷のYHに泊まった。フェリーで移動したから、車持ち込みだったので、妻と長女の3人、観光気分で行ったのである。

長岡周辺はあれこれ見て歩いたけれど、山本五十六記念館も良かったが、長岡藩の生き残りの戦いを展示した記念館も勉強になった。その有様を、司馬遼太郎が小説にしていて、『峠』という作品に結実している。記念館には、司馬遼太郎の自筆校正入りの生原稿も展示されており、おおいに見入ったのである。

読もうと思って買った文庫本が、ぼんやりと眠っていた。読むぞ。・・・ファイト!





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コメント 2

あるいる

司馬遼太郎シリーズ、興味深く拝読させていただいていいます。
どこから読みはじめようか、年代順に読むのがオーソドックスで王道かもしれないと傾き始めながら、司馬遼太郎さんという人間がどういうふうにどうして出来上がっていったのかにも興味シンシンな今日この頃です。
東大阪の司馬遼太郎記念館(彼が暮らしていた家です)に、彼の爪の垢でも売っていないものかと、安直なコトもついでに思ってしまう僕でもあります。

by あるいる (2015-03-16 12:26) 

JUNKO

司馬遼太郎の本はとにかく面白い。歴史的な事件は小説になって定着すると言った人がいますが、歴史家の解釈より小説家の解釈のほうがはるかに面白いですね。
by JUNKO (2015-03-16 19:17) 

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