Smiles [@Home]
むかし、世界で一番長い英単語はと、基礎英語でやっていた。
番組での答えは「smiles」で、始めの「s」から最後の「s」まで1マイル。
でも、「antidisestablishmentarianismist」(反・国教制度廃止論主義者)、
メリーポピンズの「supercalifragilisticexpialidocious」というのもある。
Smile
子どもは1日400回笑う
大人になると15回に減る
幸せだから笑うのではなく笑うから幸せになれる
あなたが笑うと 世界が変わる。 (グリコCM)
次女に教えられることは多い。
次女は、多く、妻からの影響を受けている。
良い子に育つ三姉妹は、おおむね、妻の遺産である。
どんなに工夫を凝らすよりも、三姉妹の存在が宝だ。
おそらく、ドイツ、千葉、筑波と各所で輝きを放っているのだろう。
そういう子どもたちの話だけで、十分に満足する親バカ夫妻。
感謝の気持ちをことさら強調することはない。
いつだって、感謝の気持ちがあり、有り難い余生を生きている。
いただきます、ありがとう、ごちそうさま。
駐車場でのオバハンにも腹が立ったけど、我慢できたオレ、進化中。
こうやって、体型宜しく、オレは丸くなっていく。
今日は三女の誕生日
三女へのプレゼント候補、スマホのカバーケース。
あれこれ候補を組み合わせて、こんな感じだろうと思う。
喜んでくれると良いな。
届くのはさらに1週間だけど。
『団栗戦争』の教訓
年をとると怒りっぽくなる。
ただでさえ怒りっぽいのに、もっと怒りっぽくなる。
出来ない自分に怒り、出来ない人に怒り。
怒り続けているから、自分が幸せなことを見落としてしまう。
ファイト!
それではお元気で [@Home]
「それではお元気で、遠い空の下で祈ってます」、母は、どんな内容の手紙でも、いつも同じ締めでした。 養護老人施設に入るまで、そんな手紙をもらってました。 何となく、ホッとするし、安心する自分がいます。 不思議なもので私には、そんな締めの言葉が根っこで響いています。 いつでも私の中で母は、「それでええねん」と言っています。
1995年8月3日 河内長野で次女と母
ミナミのジャズ喫茶に母と二人で行っても、「面白いなあ」と単純な感想しか言わない人でしたが、そして田舎者で無知かも知れませんが、母なりに、私を何とかしようと一所懸命だったことは理解しています。
北大植物園/薔薇 ピース(フランス)
三七日、四七日、月命日・・・
四十九日までのお務めをしっかりやりながら
それでも前向きに、2kさんの言うとおり
残された者のできることは元気でいること
北大植物園/薔薇 マ・パーキンス(アメリカ)
晩ご飯作りも、そろそろ手抜きは辞めて、妻からの合格と絶賛の品を再提示しながらも、新しく絶賛をもらえるよう、試行錯誤を再開である。 しょせん、前しか向けないオレ。 前向きに、レインボーにジャンボを掴みに行く。 その前に、友人宅でワインの飲み会だな。
ファイト!
ありがとう [@Home]
「ご冥福をお祈りします」
「お悔やみ申し上げます」
たった10文字の言葉を受けて
涙が出るほどホッとするのはなぜだろう
告別式を終え、斎場を去るとき、姉からメールがあり、「虹が出てるわ」。
「お母ちゃん、いま渡ってんねんな」、と姉の言葉が続いた。
そういうものなのかなと、思った。
母の初七日は、私の誕生日だった。
何かしらの縁を、所以を思ってしまう。
そういうものなのかなと、思った。
本文(266文字)に「摩訶般若波羅蜜多心経」という10文字の経題を含めると276文字の般若心経。 小さい頃から普通に聞き、普通に唱えていたが、母が亡くなり、日に何度も唱えるようになった。 生前、母からそうして欲しいと言われていたから、毎日そうしている。
初七日の夜、皮膚感覚として、ものすごくそばに母を感じた。
ゾクッとして、怖いのではなく、嬉しいような、温かい気分だった。
そういうものなのかなと、思った。
ふれることのない寂しさがある。
しかしなぜか、母を身近に感じることが出来るようになっている。
そういうものなのかなと、思う。
そう言えば、
母を送り出した言葉はもちろん、「ありがとう」だった。
ファイト!
ぼちぼち [@Home]
「心肺停止」
電話でそう告げられても驚くことはなく
二度の危篤から大復活していたから
ついうっかり
しかし最後の再会は斎場でした。
2014年9月15日の母
母は、私にとって、いつでも母でした。 親不孝であったことは自覚しています。 住吉警察署にも、阿倍野警察署にも、迎えに来た姿は肩を落として、大手前の家庭裁判所でも、呼び出された学校でも平身低頭しており、あるいは、高校を中退したときも、母はいつでも、母でした。 親不孝ばかりでしたが、大学を出て教員試験に受かり、結婚した時も、嬉しそうにする母の顔を忘れません。 「良かったなあ」、喜びの表現もシンプルでしたが、それゆえ忘れません。
二晩、母のそばで眠り線香を絶やしませんでした。
湯灌、初めて死者の体を洗う作業を手伝いました。
喪主、焼かれた母を受け取りに行く作業は一人でした。
2014年9月15日の母
初七日、二七日と終わり、
やがて三七日となります。
ただ放心することが多く気合いが乏しいです。
うじうじしているわけではないけれど、
しかしこういう精神状態を続けてはいけないと、
覚醒をしようと考えます。
そして少しブログ訪問をしてみました。
裏・市長さんの辛辣な世相切り、
青山実花さんの映画から機微を読む。
いつか終わるんだけど、
今日からブログを再開してみようと、
不完全燃焼ながら思うのです。
ファイト!
時は過ぎて [@Home]
自分の選んだ道の末に
今ここにいる
良い道も 悪い道もある
そしてそれを受け入れる
1996(平成8)年の夏の終わりに
新札幌のデイブんちで写したものだが、21年の時間が過ぎた。
野幌のキャンプ場でBBQをした帰り、デイブとカナちゃんを送ったのだろう。
デイブも子育て終盤、いいおっさんである。
メルボルンへ遊びに行く約束をまだ果たしていない。
次女様ご当選
腕っ節の強い当選力である。
「マニュアルを超えた所に感動がある」と、次女は腕を磨いている。
接客業の奥義を究めるのだろうが、当選力も磨いて貰いたい。
ファイト!
妻に恋して三千里 [@Home]
4日、妻にお誕生日の歌を歌った。
歌いながら後ろから抱きついたら、怒られた。
もう年をとっても嬉しくないよ、と。
彼女の人生の5分の3は、オレ一緒に居る。
いつもギリギリ、セーフのオレ。
付き合わせて悪かったかな、と少し思う。
でも、素敵な三姉妹が居るから、チャラにしてよね。
最近、四角いフライパンを買った。
だし巻きに凝り始めている。
う巻きを作ってみたけれど、さて。
見た目を上手に仕上げねばと課題山積。
「823 姐さん」から先月送り届けられた。
春の風味でしょうか、おいしかったぁー。
こそこそ、少しずつ食べ、4月4日完食。
妻も大いに喜んだのでした、感謝感謝です。
4日早朝、次女からメールが届いた。
◆いよいよミステリーツアー当日となりました。◆Suicaと身分証明書だけお忘れにならないようお願い致します。◆かなり早いプレゼントとはなりますが、お誕生日プレゼントを楽しんでいただけると幸いです。◆それでは、集合時間までごゆっくりお過ごしください。◆
こんな企画に乗って、今頃二日酔いだろうか。
少なくとも、ナナちゃんを写して喜んでるんだろうな。
手羽先、小倉トースト、味噌カツ、そこら辺は征服可能だと思う。
いったいオレ、きっと、何してるんだろうな。
ファイト!
妻の誕生日 [@Home]
今日は妻の誕生日である。
8歳年下だったから引き算すれば。
還暦までまだまだかい、頑張っとくれ。
今日はミステリーツアー出発だから、朝。
朝食時に食べて貰うことにした。
昨日のうちに購入である。
侍のプリン、プレミアム。
濃厚らしいので、愛情たっぷり。
(ういろう買ってくるからね)
すでに日なたは春の気配。
仲良しこよし、ドン、仲良しがぶつかる春。
いのち短し 恋せよ乙女 春うらら
生まれ変わるなら男性? 女性?
そんな質問をテレビでしていた。
キミは男でしょ、と妻に尋ねると、もちろん、と即答だった。
なら、オレ、女に生まれ変わらないといけない。
うふふ、女かぁー、女に生まれ変わるのかぁ、ま、いっか。
ファイト!
わからないこと [@Home]
わからないことがある。
そして教えて貰えないまま、永遠の謎となる。
そういう説明のつかないことを、しでかす親、か。
姉が小学校に入るまで、私たち家族は千里丘で4人暮らしだったと思う。
2つ年上の姉が小学校に上がるとき、姉だけ大阪市内の住吉区に移った。
4歳の私と、6歳の姉は泣いて、「何でやろうね」と言い合った記憶だけある。
私は一人っ子となり、両親と、千里丘の鉄道官舎に住む。
姉は祖父母と3人で、住吉の家で過ごしていた。
私は毎週土曜の午後から母と大阪駅まで出て、父と合流し住吉に行く。
日曜の夜、「ポパイ」を見終わったら、両親と千里丘に帰るのだ。
そんな生活は、姉が小学6年生の3学期まで、6年近く続いた。
おそらく私は姉に迷惑を掛け、世話になりっぱなしなのだろう。
しかし、18には高校を中退し、大阪を出た私には、姉弟の感触が乏しい。
どういう理由で、学童期の大事な時期を、別々に過ごさねばならなかったのか。
接点が乏しい。
どうしてそういう別居が必要だったか、尋ねても怒っただけの父は、もういない。
母に尋ねても不機嫌になるだけである。
それでいて、「姉弟仲良くして欲しい」と、言える神経が理解できない。
なぜ。
説明する義務を放棄したまま彼らが消えていく。
屈折した人格の、一丁アガリである。
ただ、わが子との時間は大切にしようとする人間には、なれたのかな。
ファイト!
お父さんを努力する [@Home]
断捨離の進まない理由は、物を捨てる作業の難しさ。
物に思い込みがあったり思い出があったり。
しかしやがて遺族が迷惑するのだから、捨てる捨てる。
書類の間からスプラッシュ・マウンテンでの写真が出てきた。
1996年8月9日18時14分とあり、20年も前の物だ。
デイブと長女と次女が叫び、三女は乳母車に乗って、ママと待機中。
その三女が今日帰ってくるので、チチは嬉しい。
今日、鹿児島のアパートを引き払い、まずは札幌に帰ってくる。
格安引っ越し便で、荷物が筑波に行くのはまだ未定。
三女は札幌でむかし通ったスクールに甘えて、明日から泳ぎ込み。
今月の中旬に、やっと細々の引退レースを泳ぎ、翌日から中国へ。
上海だったかの留学生の実家へ遊びに行く。
上海の友だちは、3月に札幌に遊びに来るし。
また、4月から大学院で一緒だし。
そういう変動相場制だけど、今日から暫く札幌で家族3人、うれし。
お父さんは良い子にしていようと思う。
聞き分けの良いお父さん。
やさしげなだけかも知れないけれど、努力して良いお父さんを演じる。
ファイト!
空中ブランコ [@Home]
先日、BS世界のドキュメントで、世界の大都市の屋上をシリーズしていた。
「摩天楼の上に広がる“異空間” NY」では、空中ブランコ教室の紹介があった。
何でこんな高いところで、空中ブランコの教室やねん、と思った。
すると妻が、やりたいなぁ、と思わず言い出したのだ。
昨日TVで、お笑い芸人がイタリアのサーカスで空中ブランコに挑戦していた。
10日間の特訓後、実際にサーカスで空中ブランコを実演していた。
ホンマにやりたいの?、つい妻に尋ねたら、うん、と彼女は言う。
彼女の夢を叶えたためしがないオレ、NYの屋上に行くかな。
ご近所の幼稚園、庭に大きな雪山を造り、ゲレンデに加工していた。
叫声も上がるけれど、寒くてどの家も二重窓を閉める、騒音ではない。
いわゆる、無茶苦茶な、コーフン状態である。
段ボール紙を重ね、10㎏の米袋に入れると、ソリが出来上がる。
うちの娘たちもこうして遊んでいた。
妻はガキ大将の少女時代、江戸川の土手を段ボール紙で滑っていたという。
何と言う価格破壊だろうか。
税込み150円で買いの、北海道を代表する餃子が、何と100円。
3つ仕入れてきた。
やっぱり「みよしの」の餃子、この安さなら奪ってでも買う。
数学大好きで、鉄棒が得意だったと言う妻。
運動も好きだけど、もっと遊びが好き、と言う妻。
みよしのの餃子で許して。
・・・誰か、うちの妻に、空中ブランコをさせてやって下さい。
ファイト!