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『汝、星のごとく』   [読書 本]



・「絆」と書いて「きずな」と読む
 人と人との断つことのできないつながりをさす。
 離れがたい結びつきで、どちらかというとプラスのイメージ。

・「絆」と書いて「ほだし」と読む
 元々は馬の足にからませて歩けないようにする綱、足枷のこと。
 古文では時々登場もしたけれど、現代ではほぼ使わない。
 ただし、「情にほだされる」のように現代にも生き残っている。
「情にほだされる」 相手の情にひきつけられて、心や行動の自由がしばられるという意味。不自由を感じてしまうのならマイナスのイメージ。


絆という言葉、人と人とのつながりを表し、明るい。
しかし、つながりが強すぎで、それがかえって束縛感を生み不自由に思う。
とかく人との関係は難しく、それは親子や家族であってもだろう。

現代のように価値観が激変する時代には、世代間の意識格差が生じる。
男女という見方だけでなく多様性を受け入れる時代、オジサンは戸惑う。
いま棲む世界を理解するためにも、頭を柔軟にしたいものだよ。





『汝、星のごとく』 凪良ゆう/講談社(2022年 8月2日 第1刷発行)
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この作者の作品はこれが2冊目。
前作でもそうだったが、「人にはそう見えても」という隙間を攻めてくる。
確かにそうだよな、そして、家族のことで振り回される子どもの呪縛。

例えば両親がハードな宗教の信者で、子どものバイト代まで寄付するとか。
親子の絆が縛り宗教が束縛して、がんじがらめの人が嘆く最近の統一教会の話。
同情は出来ても、私は関係したくありません。

自分の両親もかなり敬虔な信者で、門徒、親鸞上人を上等とする。
私はずっとフリだけをするズルイ信者、深入りはしない。
経典ごと頭に入っていて毎朝お経は唱えても、フリでしかない。

ズルいかなと思うけれど、それで家族が安心するなら、フリ。
妻や子どもがどういう宗教に接しようと関係しないし議論もしない。
壺を買うなら縁を切るが、いまのところ、無宗教、樹木葬。




(p232)
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 「高校を卒業した十代から自分の人生を捨てて、必死でお母さんを支えて、そうして今の年齢になった。ヤングケアラーの多くがそうであると気づかないまま年齢を重ねていって、ある日ふと我に返ります。でもいまさらどうやって自分の人生を取り戻していいかわからない。特にこの島は、女性がひとりで生きていける仕事が少なすぎる」


筒抜けの「島」というつながり、都会にはない密着感は楽でも苦痛でもある。
女性が社会に進出しにくい社会を、ぼちぼち変えないといけない。
しかし国会議員の9割が男性で、女性議員が1割にも満たない国。

少子化が問題とか言って、言うだけで、ほとんど無策。
老老介護も、ヤングケアラーも、二極化してこの国には存在する。
総理は実行中だったけれど、みんなで引きずり下ろしてしまったし。




■ 叔父貴の祥月命日に宝塚へ行く
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宝塚の独居老人、90歳も半ばの叔母さんを激励に行った。
叔父貴の祥月命日で、仏壇前の飾り付けが盛りだくさんだった。
脚が痛くてなぁと言う声は、寂しさに満ち溢れていた。

あれこれ食べ物を出そうとするから、食べてきたから要らないと言う。
食べてはいないのだけど、座って、一緒にお話をしましょと誘う。
また同じ話なのだけど、何度でも聞くのが私の仕事、次は11月に来るよ。





■ 30年ぶりに友と会う
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宿は京都に取った。
年賀状だけの付き合いを終了する〆で、リクエストに応えて会う。
互いに子どもは独立し、夫婦ふたりの生活。

彼は今後70歳を過ぎても、仕事が面白いから続けると言う。
私は遊ぶのが楽しいから、大いに勉強をすると、言う。
会えてよかったと喜ぶ彼と、ほなな、と別れた。




■ 京都の朝を散歩するのが好き
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6時前から朝の京都を歩いた、1万4000歩。
往路ではまだ人も少なく、勝手に坂道や階段を探して歩きまわった。
復路では、通勤を急ぎ始める人を尻目に、ゆっくりと歩いた。

実は人通りの少ない場所は、勇気を出してランニングにしたのだけど大丈夫。
ぼちぼち、朝の散歩をランニングに変えてもいいかなと思い始めている。
だらしない体を、少しずつ鍛えている。


利用したホテルは、ミラブルがシャワーヘッドだった。
市川の家と同じで、このシャワーにあたっている時間が好きだ。
皆さんが働き始めた時間に、遊ぶことを考えながら、シャワーである。




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