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『勝手にしやがれ』   [映画]


古い映画だが監督の死去に伴い、見る機会を得た。
半世紀近く前に、学生時代に見た映画である。
ただ、もう「大人」になってしまった自分は、大人の余裕で見直している。

体制に逆らったり、抵抗したり、そういうことに血が騒いでいた。
そういう「若者」目線で見ていた昔とは、全く違って見えるのだった。
もったいない人生を歩むなよ、と言える余裕が、今はある。


それでも、「勝手にしやがれ」は素敵な言葉だと思う。
学生時代は「死にたい奴は死んでおれ オレはこれから朝めしだ」が好きだった。
トシと共に保守的になっている自分を再発見した。




『勝手にしやがれ』
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■ 作品データ
 原題/À bout de souffle
 制作年/1960
 制作国/フランス
 内容時間/91分
 ジャンル/ドラマ
■ 解説 2022年9月13日に逝去したフランスの映画監督J=L・ゴダールの輝かしい長編デビュー作。ヌーヴェルヴァーグを代表し、その後の映画史に決定的な影響を及ぼした。パリの街頭の空気をみずみずしく捉えたロケ撮影。登場人物などのアクションの途中で自在にカットを切り替えるジャンプカット。主人公がカメラのレンズを通して観客に直接語りかける大胆不敵な独白など、既成の映画作りの枠にとらわれない自由奔放で型破りなゴダールの即興演出は、たちまち世界に衝撃を与え、彼とヌーヴェル・ヴァーグの名声を確立。主演のJ=P・ベルモンド(2021年9月6日に他界)も本作で人気スターの座に躍り出た。共演は「聖女ジャンヌ・ダーク」のJ・セバーグ。


映画作りがやはり斬新だと思う。
ほぼ街頭ロケなのだけど、周囲の人間が「何やってんだろう」という不思議顔。
役者が演じている、異質な世界であることがあからさまに分かる、不思議な映像。

不思議な映像は、冒頭から始まる。
主人公が盗んだ車を運転している車内を、助手席側からカメラで写している。
正面を向いて運転する主人公が、4つのセリフをカメラ目線になって、言う。
いきなり、映画を見ている我々に向かって、言葉が投げかけられる。

(正面から助手席のカメラに向き合い)海が嫌いなら、
(正面から助手席のカメラに向き合い)山が嫌いなら、
(正面から助手席のカメラに向き合い)都会が嫌いなら、
(正面から助手席のカメラに向き合い)勝手にしやがれ!

おそらく主たるテーマなのだろうが、ラストでも同じ手法を取る。
主人公が口にする最期の言葉に、それは「何て言ったの」と刑事に問う女性主人公。
刑事は、「あなたはまったく最低だと」言ったと伝える。

そこで女性主人公は、男の、指で唇をなぞる癖を真似して、カメラを凝視する。
そして、「最低って何のこと?」と言い、カメラを凝視している。
その間、女性主人公の大写しがおよそ19秒、その後、毅然と振り返って「FIN」が入る。

作風は奇抜で、おそらく実験的な映像なのだろうと思う。
子どものころに見た、日活の無国籍映画も、手法を真似ていたのだと思う。
大人をからかい、どこかナメた作風が、面白かった。




■ 映画の原題の意味は?
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仏語と独語と英語を操る娘に尋ねた
À bout de souffle
意味は?
Googleは、息切れ。
ネット訳は、息ができない。
そこには抑圧的な意味があるのでしょうか?


娘からの返事
Google訳通り、息切れ、という意味。スポーツなどをやって、息切れ/力尽きるみたいな意味です。抑圧的な比喩表現より、スポーツ/物理的な意味で使われることが多い気がします。
ゴダール監督が亡くなって、各国のニュース内でこの作品名が出てましたね。




■ 原題に込められた意味
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体制の束縛から自由への希求、若者は束縛を嫌う。
自分の意志表現のために、体制に抵抗し、束縛から逃げる。
罪を犯したのは事実だが、その逮捕からも逃げて、最後は力尽きた。

若者はやはり最後は、力尽きるのだろう。
楽天的に脳天気に、デカダンスに生きる時代と季節が、やはりまぶしい。
その季節には絶対に戻りたくはないが、それでも、楽しかった無茶苦茶な青春時代。




■ 勝手にしやがれ
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さびれゆく街では、空き家が多く、放置されたままである。
大きな病院病棟も、いくつも廃業したまま廃墟となっている。
蔦がからみ雑草が生い茂り、怖い建物に変化していく。

それでも、まさかよぉー。
奴らを高く吊るせなんて映画もあったけれど、これは禁じ手だろ。
ミッキーに首吊り? 勝手にしやがれ!




■ オレはこれから朝めしだ
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1週間の一日平均が、1万5000歩を越えた。
健康のためという縛りを自分に課している。
しかし、いつかどこかで何かが途絶えたら、ゴダール監督のようにしたい。

あまり報道はされなかったが、ゴダール監督は自殺幇助により亡くなった。
スイスでは消極的安楽死など、さまざまな形で死の援助が認められている。
処方された致死量の薬を付添人が運び、自分で服用して死を迎えたようだ。

医師が直接薬品注入するのではないところが、消極的安楽死。
オレも、スイスの市民権を手に入れるかな。
ゴダール監督のように、91歳で、疲れ果てているなら、選ばせてもらいたいものだ。




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