SSブログ

自由だろうか   [勉強]


むかし「freedom」を「自由」と訳したのが福沢諭吉と聞いたことがある。
みずからによる(自らに由る)から、自由と。
なるほどと思い、自立を所以とするのか。

むかし、尾崎豊が「この支配からの卒業」と歌っていた。
そうだオレたちのこの、心の中で燻り制御できないもの、支配への怒り。
親、学校、社会、体制からの束縛、支配からの自由を渇望していた。


いまほど、自由を思う日々はない。
空爆もなく、餓死する危険もなく、電気もガスも水道も安定供給される。
世界のニュースを見ていて、本当にこの国に生まれて良かったと思っている。




20231118_135958.jpg


いまドイツの大学で研究を重ね、授業を持つ長女博士。
彼女が中学のころだったか、自由について語ったことがある。
もちろん、福沢諭吉の話もした。

そして、何かで読んだ「2つの自由」も語った。
束縛や支配「からの自由」と、飛び出して行く海外「への自由」について。
あなたが不自由なく、英語も仏語、独語も使えれば欧州で自由に生きていけると。

実際、本人の尋常ならざる努力の果てに、彼女は、通訳なしで欧州に生きる。
パリ、スイス、ベルリンと生活拠点を変えながら、現地市民生活を送っている。
おそらく、彼女は自由なのだと確信できるし、少し憧れる。




20231118_140327.jpg


 哲学者のアイザイア・バーリンは論文「二つの自由概念」で、「freedom from」を消極的自由、「freedom to」を積極的自由と解説しました。飢餓や災害や暴力といった、そこにいたら死んでしまうような脅威から逃れる受動的、消極的な自由が「freedom from(~からの自由・解放)」で、それより高次の何かを実現するための主体的、積極的な自由が「freedom to(~への自由・実現)」というわけです。      (別冊 NHK100分de名著「フェミニズム」/2023年7月30日 第1刷発行)


時代が変わり、うすうす感づいていた可笑しなことが是正され始めている。
ひとことで「昭和」とくくるほど簡単ではない、根強い変なもの。
違和感に感づかされることが多くなり、少し整理して考えてみたいと思っている。

誰が悪いという話ではなく、「時代」だったのだから、時代の変化に従おう。
可笑しな方向性は是正しなくてはならないが、まずは、知ること、理解すること。
親子、家庭という問題だけではなく、女性の生きづらさも理解したい。




20231118_140034.jpg


以前、サッカー日本代表だった内田篤人さん(35)が、何かで語っていた。
奥さんに、育児が大変なら手伝うよと言った時の奥さんの返し。
あなたの子よ、手伝うのではなくて、あなたが育てるのよ。

こういうことを当たり前のように気づき、生きている世代がいる。
昔々昭和の時代はと語る意味は全くの皆無と感じている。
正しい方向へと動くなら、私も参加したい。


他者へ依存(イソン)することなく、自立して自律できているように。
妻がそうであるのだから、私もそうありたいと倣う。
自分が自立できているかは不明だが、頑張る。

妻が退院し、静岡で静かに静養する、伊東でリハビリ中。
15分の歩行訓練、ストレッチ、指示されたリハビリを継続する日々。
15分以上歩くな、30分以上座るな、横になることが多いが、ファイト!

リハビリ第1シーズンは3週間、一緒に過ごす時間を得たと楽しむ。
妻は出来ることは勝手にやるし、私は手伝えることだけをする。
あとは、一緒にドラマを見たりお話をしたり。

最後の最後ではないけれど、神様がくれたふたりの時間。
リハビリのお手伝いも、大いに楽しもうと思う。
生まれ変わるなら男だという妻、受けて立つよボク。




ファイト!





ファイト!(53)  コメント(6)