通過点 [@miina1207]
去年もらった楯には「第4位」とあるから進歩は見えるのだと思う。(……と書いていて言われたことは、4位は全道大会で、支部大会は2位だったとか。)
ただ、応援に行った撮影記録係のママは、今年のレベルは低かったと言っていた。たしかに去年の上位者は質が高かったようで、全道大会もそのままの順位だった。
ちなみに、長女は高1で準優勝し、全道で逆転V。ただし、全国につながらない最後の大会だった。翌年から全国大会もある大会になったようだ。そのことは未だに悔しがる長女だが、そのリベンジを妹で果たすため、今回もスカイプでスピーチ練習につきあっていた。
長女は高1の1月下旬にゴードンストーン杯で優勝し夏の3週間イングランド研修を手に入れて、その1週間後に別のスクリプトで全道優勝している。要するに、1週間で5分ものの別々のスピーチを2つ丸暗記して、吐き出して、どちらも優勝してしまっているのだから、ある意味で「すごさ」がある。
長女のすごさを感じたのは彼女が中2の時だった。高円宮杯で優勝し全国切符を手に入れた。その祝賀ランチの際、札幌市のスピーチコンテストにも応募しようと決めて、K先生とO先生と私で「チームA」を結成し、1週間後の原稿締め切りに間に合わせ、2週間後の大会で優勝しポートランド遠征を手に入れている。
このとき、我が娘は天才ではないかと思ったのが間違いで、娘は努力家なのであった。秀才と人には思われているのだろうが、今では彼女には「努力家」という言葉が似合う。彼女がとても慎重な周到準備性質になった年でもある。
その年の11月、高円宮杯の全国大会では1秒に泣きタイムオーバー、厳密審査による失格という冷徹なものであった。渡されたジャッジシートにはスコアは記されておらず、彼女のスピーチが全国で、どのレベルであるのかが全く不明のまま終わったのである。
O先生との直前までの時間配分、会場から本人へのサインまで決めて臨みはしたが、「1秒の怖さ」を持たずに戦ったのだった。実はそういう失敗の経験がないまま臨むことの怖さだと思う。彼女が自身で語るには、いちばんデキのいい原稿だったという。審査して貰いたかったのだと思う。
東京から帰った娘とは一ヶ月間を使って、「手に入れた大きなもの」を一緒に考え抜いた。確かにそのとき、娘はとてつもなく大きなものを手に入れたのだと思う。勇気と呼べる大胆さと、慎重と呼べる繊細さを同時に持つとことこそ成功への基本なのだと、今ははっきりと彼女が手に入れたものの正体を表現できる。
人生にやり直しはきかない。しかし経験で手に入れたものを武器に、新たな挑戦はいくらでも出来るのだ。どんどん大きくなっていく娘を誇りに思う。そんな娘を越えるエリートを育てたいのだが、子どもを正しく叱ることをしない保護者や薄笑い教師が勝手に周波数を変えてしまう。
愚痴を言っても始まらない。
三女は三女なりに努力をし、静かに勝利を確信し楯を手に入れたのだ。しかも、舞い上がることなく定期考査の勉強に専念している。そういう切り替えの早さが大事だ。3段ロケットの3段目だ、遠くへ行け。
2011-11-19 06:00
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