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変化の中で   [考え方]


長女が日本滞在でのアパートを引き払った。
ドイツに帰国までの3泊4日を、妻の実家で過ごすのに付き合った。
あるいは、自分の通院もあり1週間を市川で過ごした。

しかし、都心および都市部での外出は暑すぎた。
海や川、森林の呼吸による冷却が乏しく、最低気温も高い。
長い間、北海道で生活していた者には猛暑日がつらい。

それでも、長女のそばにいられるならいい。
市川で、3泊4日を過ごしてくれた長女との時間は濃密だった。
日本での仕事を終えて、時間を共有して遊んでくれたのは嬉しい。

ちょっと贅沢な食事を重ね、ドイツでは食べられないものを喰おう。
寿司、天ぷら、外国人を接待するようにね。
あるいは、自己責任の注意付きで、鶏の刺し身は長女も喜んでいた。


成田空港で見送ると、無性に悲しくなり、淋しくて叫びそうになった。
子どもは成長し巣立ち、新しい世界を作り、そこで生きていく。
自分もそうしてきたのだから分かりきっているのだけど、ね。




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飯田橋で、朝食に台湾料理を食べた後、早稲田に向かった。
基本的に歩くのが主だけれど、それは登山の日が近づいているから。
水分補給の目安 = 体重 ✕ 5 ✕ 行動時間 ✕ 0.8、経口補水液で水分補充。




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村上春樹の新刊を読み終えた長女と、歩く。
村上春樹ライブラリーを目指し、バカな話をして娘を笑わせる。
思い返せば長女はよく笑っていたし、笑った顔の記憶ばかりだ。




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札幌時代、父が亡くなった後に毎月2泊3日の大阪帰省をしていた。
それは、ただ母と過ごす時間を持っただけなのだが。
仕事を終えた金曜の夕方、空港でカニ弁当を買い飛行機に乗る。

居間で仕事をしたりTVを見たりする私の横で、母は新聞を読んでいた。
そばにおるだけでエエねんと母は言い、ああそーかと、ぶっきらぼうな私。
札幌へ帰る私に「ほなな」と母は言い、「ほな」と言って別れた。

実家から関空へ向かう電車の中、頭の中は仕事のことで一杯だった。
思いは既に札幌の家族や、生徒の方に移っていた。
さて、いま、空港の保安検査場に向かう娘が手を振り、襲われる淋しさの一撃。

おそらくこれが「親」の、独特の遠慮がちな感情なのかもしれない。
あのときの母、という思いは既に届かない。
我が子の成長と共に距離は開き、それでも誇らしく思いながら来年を期待する。




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女の子という人格はない、という表現に戸惑いながら。
あなたを幸せにすると言われた娘が、私は自分で幸せになると言う。
キミを幸せにするとか、キミを守るという決め台詞が市民権を失った。

日々の生活の中で、時代が変わったということを痛感している。
こういう問題意識のズレを、ちゃんと修正しておかねば、と思う。
欧州で、遙かにタフな生活をする長女を見て、怖いぐらい大人だと思った。

妻と三姉妹、家族内で少数派の私、女子会をされたら勝ち目はない。
ついていくしか、合わせていくしか自分に生きる道はない。
イライラしないで、言葉を選んで、終わる日に向かっていく。




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