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いしを持って生きる   [旅]



いろんな人の世話になって自分が生きていることは十分知っている。
それでも、この人と出会わなければ今の自分はない、と思える人が3人いる。
叔父貴夫婦、絶対恩師、今の妻、三者三様に私を泥沼から救ってくれた。

ある意味で、生まれ変わることができたのはこの三者による。
出会っていなければ、とっくに何処かで野垂れ死んでいたことだろう。
絶対恩師も亡くなり、叔父貴も亡くなり、さて、未だ完成しないオレ。




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再来年の9月が叔父貴の七回忌である。
それまでは何としてでもと、強い意志を持つ叔母。
聞くと94歳だと言うが、何とか元気にやっている。

ただ、足を痛めてしまい、暫く外出が出来ないでいる。
9月の祥月命日に続き、宝塚へ激励に行った。
大いに喜び歓待してくれた。




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本人の強い意志が成就するよう、応援した。
寂しいと言い、たくさん、たくさん喋るので、聞き続けた。
たくさん喋って、ああスッキリしたと、大笑いしていた。

ありがとう。
その気持ちだけで応援に来ている。
また来るね、元気でねと、別れた。




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大阪には住めなくなり、放浪と流浪のフーテンの未成年。
子どもがいないからか、名乗り出て私の育ての親になってくれた。
時間と金と女にダラしないと、レッテルを貼られていた私だったけど。

時には蹴られ、女だから反撃はせず、ある意味で力づくの迷路脱出。
とんとん拍子とはいかないが、それでもマトモな納税者になることができた。
幾つも人生の分岐点があって、そのつど守られていた。




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感謝と激励の旅を終えて、京都のホテルに入った。
うっ、右わき腹が痛い、も、盲腸か!
激痛へと変化し、ホテルのフロントで相談する。

夜になったので外来は受け付けていない。
京都第二赤十字病院の救命救急センターに行く。
深夜にかけて、賑わってくる。




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待機時間はヒーヒー言いながら、長く感じた。
血液検査、MRI 検査を受け、胃腸炎でも虫垂炎でもなかった。
尿管結石、膀胱結石、2㎜と12㎜の、まるで冥王星と月のような●だった。

結局ホテルには泊まらず、病院に外泊した。
痛み止めと抗生物質を投与され、小康状態である。
帰りの新幹線は、ほぼ死人のように憔悴しきっていた。

老人を激励に行き、結石を発見する旅だった。
東京に帰り、薬で2㎜を退治しながら月末に検査後、12㎜と戦う。
ちょっとした綱渡りをする日が続いている。




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