『 翔ぶが如く (三) 』 [司馬遼太郎]
札幌も、花咲くサクラ咲く春爛漫、開始。
桜島恋しや、一蔵、西郷どん。
『 翔ぶが如く (三) 』 司馬遼太郎/文春文庫(新装版第1刷 2002年3月10日発行)
p77
「時の勢いに乗ってやって来る者は、つい実際の寸法よりも大きくみえる。時が経てばなんでもない人間だったということがわかったりする」
という意味のことを海舟はいっているが、勝の西郷像の寸法ばかりは不変だったらしい。
p114
酒は薩摩人につきもののようにおもわれているが、当然ながらすべての人が飲むわけではなく、たとえば西郷や桐野は酒ののめない体質であった。
黒田清隆はかれ自身はどう制御することもできないほどの豪酒家である。
酔えば人格も知能もいちじるしく低下するという精神病の範囲に入るところのアルコール性痴呆症であった。
p140
理想的政論というもののほとんどは現実化しがたいものであるにせよ、もし仮りに西郷のこの政論が現実化できたとすれば後年の日清戦争は無くて済み、さらに西郷が予言していた日露戦争はちがったかたちでやってくることになったかもしれず、しかしながらひるがえっていえば歴史は現実の別名である以上、歴史において仮説は成立し得ない。
復活なんてきっかけは泥臭いものだった 2
1月下旬に母が腰を骨折し入院していた。その後、3月中旬からリハビリのために生駒の病院へと移った。2月の見舞いでは、これで終わりかなと覚悟をしてしまったが、リハビリ1ヶ月が功を奏して、ものすごく元気になっていて驚いてしまった。
一日に3回、各1時間のリハビリで、始めはキツかったようだ。それでも今は、杖をついて、ひとりで歩けるようにもなり、あとは筋肉の回復を待つリハビリを続けている。ある意味の希望を感じているのか、饒舌になっていた。2月の見舞いでは、ほとんど反応も無く、行っても喜びの表現はなかった。それを今回は、妙にはしゃいでいる感じがした。食欲も旺盛であった。
夕食が終わり暫くの会話の後、帰る段になると、見送りのためにベッドの端に腰掛ける母。リハビリ病棟は直線で50m以上あり、時々振り返ると母が手を上げる私も手を上げる、そういうことを繰り返しながら、一般病棟に入り、もう曲がるので最後に振り返ると、まだ見ている。私が手を上げると母も手を上げる。
バリアフリーの家を購入していたのだけど、札幌に来る気は無いようだ。そして彼女も、リハビリ入院が終了すれば、おそらく介護付き施設に入る覚悟をしているようだ。毎日、洗濯物を回収しに姉が見舞っている。私は時々思い出を作っているだけである。仕方がない、と思うしかない。
頑張れオレ、ファイトだ母!
2015-04-26 10:24
ファイト!(100)
コメント(5)
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私も80歳を過ぎた高齢ですが、転倒しないように注意しています。
by Silvermac (2015-04-26 11:39)
自立していこうとがんばっているお母さん、素晴らしいですね!
by あゆさこ (2015-04-26 13:37)
高齢者に毎日のリハビリはかなりキツイでしょうし辛いかもしれません。
それでも止めないで続けて行くのは明日への希望があるからなのでしょう。
明日は1m長く歩けるようになる、明日は娘が見舞いに来てくれる、月末には息子が見舞いに来てくれる。
明日への希望は生きる希望です。
まったく関係ありませんが、「翔ぶが如く (三)」のカバー表紙にはなぜ下駄が描かれているのでしょうか。
読めばわかるはずですよね。
「文明の衝突」をやっと読み終わり「文明の衝突と21世紀の日本」を読み始めようとしていますが、新書版ですから鞄にも入り、早く読めるかもしれません。
司馬遼太郎さんへはまだまだ行き着かない今日この頃ですよ。
by あるいる (2015-04-26 15:04)
遅くなりましたが、叔父さまのご冥福をお祈りいたします。
お母様は、これまでのお見舞いの記事に比べて、本当にお元気になられた様子が伝わってきてうれしかったです。
ファイトです!お母さま(^^)/
by isoshijimi (2015-04-26 15:17)
寝たきりの原因は自宅での転倒による骨折だそうです。
義母もその骨折を克服して再起した仲間の一人です。在宅リハビリの
担当者から教わったのだと、私の目の前で披露してくれました。おかげで
長年患ってきた肩痛と腰痛が緩和されたと大喜びしています。
生きたいという誰にも負けない強い気持ちと意思、あっぱれと言うしか
ありません。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2015-04-26 22:13)