『 峠 (下) 』 [司馬遼太郎]
『 峠 (下) 』 司馬遼太郎/新潮文庫(平成15年10月25日発行)
p25
「立見君、あなたの一生のために言うのだが、人というものはね」
と、継之助は言いかけて、あとはしばらくだまった。
(その長ずるところのものによって身を過つものだ。)
と言おうとしたが、言葉が立見にむごすぎるとおもったのである。この立見鑑三郞というのは、この時代が生んだもっともすぐれた軍人であるだろう。その長ずるところが使えないために心が鬱屈し、使おうとして時勢観察までに自分に都合よくまげ、都合のわるい材料には目をつぶり、ひたすらにそれを使おうとしている。
p136
この列島は、当初、西南(九州)からひらけた。九州でそだったエネルギーが、しだいに北上して瀬戸内海、大阪湾沿岸、大和、びわ湖周辺におよび、やがて大陸から、国家のつくりかたというあたらしい概念が入ってきて大化の改新が成立し、日本民族が国家というもののなかで組織された。
p234
「政治というものは、そこまで考えぬいたすえでなければ、どういう小さな手も打てない。」
p433(作者あとがき)
幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。しかもこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋には生まれなかった。サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではなく、類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。
美しいが寂しいおとこ継之助
2012年8月18日 新潟県長岡市 三女のインターハイ競泳応援 三女・妻・長女
終わりました。寂しいですね。
確かに美しいかも知れないし、サムライ美。しかし庶民はたまったものじゃありません。
おそらく庶民の怒りや、恨みは、司馬が言うとおり相当つよかったでしょう。ただ、歴史の中のことはいつでも「ちょっとしたこと」に左右されてしまうので、あとからとやかく言うものではない。ただ、継之助の「長岡藩の独立」はさせてやりたかった。竜馬の海援隊による「商売」もその成果を見たかったが、しかしそこから学んだ後世の者たちが、何をかなすのでしょう。・・・ワレは?
オマエはと、問いをいつでもそこへと差し向ける、オレ。だから、考えている。
世の中の洗濯をするほど器量はなく、それでも言葉を弄して、何かをする。
その前にまず、届いた大量のワインを飲む。・・・ファイト!
2015-04-12 04:00
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コメント(5)
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高校の時に司馬遼太郎さんの「峠」を
読んで感動してから司馬遼太郎さんの
本を集めてほとんど読んでます。
どちらの政治にも付かず中立を守った
長岡は素晴らしと思います。
by 長友 (2015-04-09 13:19)
司馬遼太郎「項羽と劉邦」下巻を今読み終えた処です。
なぜか「江沢民と習近平」が頭に浮かびました。
以前、宮城谷昌光の「三国志」(5巻まででしたが)読みました、
此れも秦の始皇帝の大陸統一に到る覇権の歴史でした。
共産化して中華人民共和国となった現在でも中華思想に基ずく
覇権主義は益々エスカレートしてアジア、北部太平洋
と拡大、し依然変わらぬ様に感じました。
by つむじかぜ (2015-04-09 15:09)
武士サムライにはハラキリ切腹という儀式がありました。
自分で自分の腹を十文字に掻っ捌き臓物を引き出し、とてつもない苦痛に耐えて命を差し出すという武士の精神をかたちに変えたものでしょうか。
武士サムライの美学には理解にくるしむところが多々ありますが、サムライ・ジャパンの野球に美学があるのかどうかはわかりません。
コミュニケーションの始まりは五感から。
五感を研ぎ澄まし言葉を研ぎ澄まし、伝える。
大量のワインが五感に響いてくれることでしょう。
by あるいる (2015-04-12 04:26)
今日は選挙、投票日
自分に出来ることをやってきます。
ワイン・・・・最近飲んでます。へへ
by hatumi30331 (2015-04-12 08:01)
歴史はうろ覚えですが、時代小説は好きでほぼ毎夜読んでいます。
おぼろげながら武士、町民、農民の苦しみや辛さを垣間見る内に
この国の縮図が感じるられるようで心惹かれています^^
by ぼっこ (2015-04-12 20:41)