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『おしゃれと無縁に生きる』   [村上龍]




成績の良い少年が、冬休み中の講習に出ていた時、読書傾向を尋ねた。彼は図書委員をしていて、自分の好みであるファンタジーと呼ばれる物を読み、学校図書にもたくさん買わせていた。現実逃避も良いがという意味で、それも良いがと言い、しかし、人生の影になる部分を掘り下げる読書も必要だよと、伝えたのだった。


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しかし私も、8冊ばかり、後期の予算で買って貰っていた。学校が買ってくれた分、その10倍以上の本を学校の図書館に寄付をする。それでチャラにしてもらおう。そして、やっぱり、選挙権を在学中に手に入れる少年たちには、現実を「考える」という、生々しいことをやり続けて貰いたいと思うのだ。





『おしゃれと無縁に生きる』 村上龍/幻冬舎(2015年8月5日 第一冊発行)
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 わたしたちは、「ほめられたい」「けなされたくない」という本質的な欲求を持っている。それは社会的な動物である人間の特徴であり、野生動物はそんな欲求はない。
 「ほめられたい、社会的に評価されたい、尊敬されたい」というのは有名な「マズローの欲求五段階説」の四番目に位置するものであり、その裏返しとして、「評価を落としたくない」「軽蔑されたくない」「けなされたくない」という、裏の欲求とでも呼ぶべきものもある。粉飾決算をする人・組織は、その裏の欲求に突き動かされて、つい手を染めてしまうのだと、わたしは個人的にそう考えている。


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 「収入や賞賛や尊敬や名声などを得るためにやるのではない。自己の向上のため、社員の幸福のため、そして社会貢献のために必死に仕事をするのだ」みたいなことが、よく言われる。しかし、その崇高で理想的な考え方の背後には、当然「ほめられたい」という欲求がちゃんと潜んでいる。そして、その欲求は、決して間違っているわけでも、悪意のあるものでもないのである。







翳りゆく街並み

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年の初めに柴又の帝釈天から歩き、私鉄の線路を越えて、コンビニを探した。そのおり、年季の入った、ほっかほか弁当の店があった。しみじみと眺めてしまった。まだそのころは脳天気に、4月以降の、私の働く場所がないなど思いもせず、上から目線で古びた建物を眺めていた。

教師の再任用なんて、落ちていた石ころの再利用みたいな物で、おそらくどうでもいいのだろうと思った。村上龍ではないけれど、ほめられたい以前の「認められたい」という欲求が強くある。しかし、「一億総活躍社会」から、自分は除外されているんだろうなという、疎外感だけが、いまはある。

一昨日、校長から伝えられたことは、今より遠い学校で、もっと治安の低下した学校ならあると言う。石ころ扱いをされても、オレにだって誇りはある。自主的な退職を申し出させる、むかしは他人事だった「壁際族」に自分はなっているのだと、思い知る。オレの生きる世界こそ、ファンタジーだぜ。



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