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『おしゃれと無縁に生きる』   [村上龍]




成績の良い少年が、冬休み中の講習に出ていた時、読書傾向を尋ねた。彼は図書委員をしていて、自分の好みであるファンタジーと呼ばれる物を読み、学校図書にもたくさん買わせていた。現実逃避も良いがという意味で、それも良いがと言い、しかし、人生の影になる部分を掘り下げる読書も必要だよと、伝えたのだった。


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しかし私も、8冊ばかり、後期の予算で買って貰っていた。学校が買ってくれた分、その10倍以上の本を学校の図書館に寄付をする。それでチャラにしてもらおう。そして、やっぱり、選挙権を在学中に手に入れる少年たちには、現実を「考える」という、生々しいことをやり続けて貰いたいと思うのだ。





『おしゃれと無縁に生きる』 村上龍/幻冬舎(2015年8月5日 第一冊発行)
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p42
 わたしたちは、「ほめられたい」「けなされたくない」という本質的な欲求を持っている。それは社会的な動物である人間の特徴であり、野生動物はそんな欲求はない。
 「ほめられたい、社会的に評価されたい、尊敬されたい」というのは有名な「マズローの欲求五段階説」の四番目に位置するものであり、その裏返しとして、「評価を落としたくない」「軽蔑されたくない」「けなされたくない」という、裏の欲求とでも呼ぶべきものもある。粉飾決算をする人・組織は、その裏の欲求に突き動かされて、つい手を染めてしまうのだと、わたしは個人的にそう考えている。


p46
 「収入や賞賛や尊敬や名声などを得るためにやるのではない。自己の向上のため、社員の幸福のため、そして社会貢献のために必死に仕事をするのだ」みたいなことが、よく言われる。しかし、その崇高で理想的な考え方の背後には、当然「ほめられたい」という欲求がちゃんと潜んでいる。そして、その欲求は、決して間違っているわけでも、悪意のあるものでもないのである。







翳りゆく街並み

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年の初めに柴又の帝釈天から歩き、私鉄の線路を越えて、コンビニを探した。そのおり、年季の入った、ほっかほか弁当の店があった。しみじみと眺めてしまった。まだそのころは脳天気に、4月以降の、私の働く場所がないなど思いもせず、上から目線で古びた建物を眺めていた。

教師の再任用なんて、落ちていた石ころの再利用みたいな物で、おそらくどうでもいいのだろうと思った。村上龍ではないけれど、ほめられたい以前の「認められたい」という欲求が強くある。しかし、「一億総活躍社会」から、自分は除外されているんだろうなという、疎外感だけが、いまはある。

一昨日、校長から伝えられたことは、今より遠い学校で、もっと治安の低下した学校ならあると言う。石ころ扱いをされても、オレにだって誇りはある。自主的な退職を申し出させる、むかしは他人事だった「壁際族」に自分はなっているのだと、思い知る。オレの生きる世界こそ、ファンタジーだぜ。



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コメント 6

末尾ルコ(アルベール)

かつて「Ryu's Bar 」にデ・ニーロがゲストで来ていた時、どぎまぎして大俳優の顔を正視できなかった村上龍を好ましく記憶しています。

                  RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-01-23 10:34) 

isoshijimi

これからもまた新たなファンタジーの始まりですね!
ファイトです!!
by isoshijimi (2016-01-23 11:05) 

(。・_・。)2k

この弁当屋がやってれば俺の生活も
もうちょっと良いような気がするんですけどねぇ
6号にあった弁当屋は 炊きたて という名前なのに
おかずもご飯もチンする弁当屋でしたが
引っ越して 数ヶ月で潰れちゃったので
弁当はコンビニのみで寂しいです

by (。・_・。)2k (2016-01-23 12:09) 

あるいる

高校生のときにトルーキンの「指輪物語」を読み、平井和正の「幻魔大戦」の新刊が出るたびに読み続け、オモロイなぁと思い、純文学と称されるものも好きで読んではいたけれど、周りにはちょっと恥ずかしくてこっそりと読んでいた時代でした。
突っ張っていたわけではないけれど、思春期特有の照れだったのかもしれませんね。
そんな照れがいつのまにかひねくれオヤジになってしまったのは、今でも思春期の照れが続いているのかもしれないとアホなコトが浮かんでは消えました。
「あなたに褒められたくて」は高倉健さんが書いたと言われる本のタイトルです。
褒められた記憶のない僕、褒められる期待はしていませんが、せめて諦められたくはない軽蔑されたくないと思いながら、誰になんやろ?と自問自答。
「族」にはなりたくないけれど、どこかに属しているのが人間というイキモノ。
属する世界がどんどん狭くなって迷惑をかける範囲が狭まって行くのが老いるということなのかもしれません。
それはそれなりに気楽なはずだと勝手に想像です。

by あるいる (2016-01-23 16:20) 

JUNKO

もう何年も前に必要とされていない自分を実感しました。言われる前にこちらから申し出るのがせめてものプライド。しかし、すべてをやめてみて自由になり、すべての感情から解放されている心地良さを味わっています。
by JUNKO (2016-01-23 20:19) 

saia

うちの娘も数年前までは、ファンタジーものが大好きで文字通り読み漁っていました!
今は違うジャンルの本も読んでいるようですが、活字離れとは無縁なので、ジャンルはともかく本を読むという行為がよかったのかな? なんて思っています♪(o^^o)
by saia (2016-01-24 10:55) 

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