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北高祭ファイナル   [卒業生]

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荒木さんへ
「北高祭ファイナル(おとなの北高祭)」のポスターが送られてきました。こういうことには昔から背を向けていたし、興味もありません。しかし、4月29日、ヒムさんと荒木さんを激励する会で、隣席の宍戸さんが楽しそうに語る話を聞いていて、行くことは決めていました。

 既に不便な場所に「安い」という理由でホテルは確保し、スイスに渡る直前の長女に、函太郎で寿司を食わせる「ついで」に北高祭ファイナルを覗くつもりでいます。寿司と翌朝のラッキーピエロが目的です。目に焼き付けて完了。 俊
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自分が勤めていた学校が統合により消えてしまう。校舎がいよいよ取り壊される前に、最後の学校祭をすると言う。そういう企画ができる「学校」だった。6年間しか勤務しなかったけれど、熱く全力で駆け抜けた。サッカー部を強くしろと言われて無茶苦茶な練習で、強くした。国語も結果を出した。大有と石倉さんへの約束は果たした。自分がもう一度勉強したくて、札幌に転勤を希望し、大学に通った。

大好きな街、函館。居座って大きな顔をするよりは、札幌へ展開したのは良かったことだと思う。現在肯定系。30代半ばから後半にかけての、人生の熱い時代に熱すぎる仲間と闘った戦場だから、老いらくの末裔を目に焼き付けておこうと思った。感傷かもしれないが、行くことにしている。ぼんやりと眺める。

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北島康介が負けた。予選から準決勝へと、強がる言葉とは裏腹に、眼は驚愕であった。トップのスピードと後半も落ちないスピードに驚いていたのだと思う。決勝で彼はそれでも金を狙ったのだと思う。前半から無謀な入り方をしたが、それは金を狙ってのことだったと思う。無難に自分の泳ぎをしていれば、ハンセンの3位よりは上に行っていたはずだ。ベテランの「挑戦」を祝福する。ただ、寂しさだけが残るのだ。

心地よい2通のメール   [卒業生]

心地よい2通のメールを今日はチェックした。(抜粋)

1通は初任校の人。rukanoくんから。その文中に曰く。
先生は、たくさんの生徒を送ってきているので、その立場で考えるとどう思われるか、どれだけ覚えていらっしゃるかわかりません。私からすると、3年間の高校生活の全ての担任の先生が先生一人だったので、高校のことを思い出すと、先生だし、先生を思い出すと高校生活を思い出します。私にとっては、先生のおかげで刺激の強い3年間だったようで他の同級生よりも当時の記憶がしっかり残っているようです。
この方を覚えているのはもちろんだけど、力量のない自分が、過激なことをやり尽くしていた、尊大な思い上がりの教師だったのだと思うと恥ずかしくなります。情熱の怖さと、優しさが欠けていたことを思い起こします。振り返らない自分に向けて、崇拝する我が師、大村はま女史の言葉を確認します。
『灯し続けることば』 大村はま [ひらめき] 卒業生がいつまでも遊びに来て、先生先生と慕ってくれるのがうれしいという方があります。もちろん、そうでしょう。でも私は、子どもが卒業していったら、私のことは全部忘れて、新しい学校、新しい友達に慣れて、新しい自分の世界を開いていってほしいと思います。教師は渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡した子どもたちにはさっさと歩いていってほしいのです。そして私はまた元の岸へもどって、次のお客さんを乗せてこぎ出すのです。「どうぞ新しい世界で、新しい友人と、新しい先生について、自分の道を開拓していって」と思いつつ、子どもを見送っています。
いつでも迷いながら、ただ自分の感性を信じて、「いま」を全力で生きてきました。純粋な聖職者ではいられなかった。子どもができてから、本当に、子どもとして生徒たちを大切にするようになったように思う。初めての卒業生である子どもたちには、未熟な私しかお見せしていない。しかし、核になる部分は、荒削りだが垣間見て楽しんでいただけたようにも思う。

引き続き、rukanoくん曰く、
先生は退職後のこと考えていらっしゃいますか? まだまだ先生から学ぶべきものが、私には多いように思います。社会のこと、子育てのこと、その他いろいろ。
退職後のことは漠然としか考えていない自分が居る。娘たちの追っかけとして、全レースを応援したい気持ちもあるし、練習をずっと見ていたい気もする。しかし生活を維持する必要もあり、何らかの仕事をせずばならない。果たして私を再雇用する場所があるのか。そういう不安は抱えている。

最後に、rukanoくんは、かつてブログではよく、「いい写真」を掲載していて、その彼が添付して送ってくれた写真がある。
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部分月食の写真が撮れました。息子の剣道の稽古が終わってから撮ったものなので時間も21:07で終わり近くのものですが、添付してみます。


2通目は現在勤務校の方。Sailor Moon さんから。その文中に曰く。
ご報告があるのですが、この度大学で英語成績優秀者の賞をいただきました。「レーン記念賞」という、学部1、2年次の英語の成績が優秀な者に贈られる賞です。このような賞をいただけたことは大変励みになりました。北大では「英語優秀認定制度」というものがあり、英検やTOEICの点数があれば英語の授業単位が一番高い成績で6単位認定されます。高3当時は大学でこのようなメリットがあるとは知らず、受験勉強で精一杯なのに英検準1級まで必要なのかと疑問でしたが、これが功を奏し、今回の受賞につながったのだと思います。あの時取らずにいて、大学入学後に受験しようとしても、独学で努力するしかなく、取得できたかどうか自信がありません。いかに高校の諸先生のご指導が手厚いものだったのかを痛感しています。先生の強い勧めに、本当に感謝しております。しかしながら、私の英語はまだまだ稚拙であり、日々力不足を実感しています。この賞をいただいたことを励みに、さらなる向上に邁進していく所存です。先生に見ていただきたく写真を添付いたしました。
放っておいても勝手に勉強する生徒さんでした。私の武勲ではないが、いつでも才能のある子どもたちと出会っていて、発掘できるか否かは指導者の責任。いつでもそう思っているのですが、ある程度の思い上がりを持たねば、やっていられない職業かもしれません。
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いつかrukanoと一緒に釣りにでも行くかな。そんなことを思いました。

酔っぱらいながらも幸せを実感している   [卒業生]

2012/04/27
教科の歓迎会だった。最近、我々の中で「ゼロ次会」が流行している。要は年食ってきて、二次会を遂行する体力がないということで、流行中。私には、長い時間みんなと飲んで酔っぱらっていられるので、大好きになりつつある。笑えるほど、飲んでいる。
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教え子がバイトしている、なんてことはよくあることだけど、私はまだ教え子のバイトと遭遇したことはない。きっと私が現れると隠れるのだろうが、それも大事なことなのかもしれない。とんでもない酔っぱらいなら、「知らない人」であり続けた方が得策だろう。今回は、歓迎される方の教え子さんでしたが、愛想の良い方で、しっかりと鍛えられてきたのでしょう。

結局その後は、大酔っぱらいの私と重要仲間のS級男と二人で、例によってミスタードーナツでポンテリングとコーヒーでした。たっくさん喋ったけれど、何を話したことやら。それでも熱く熱く語ったであろう事は、本校では前人未踏の偏差値60の大台に乗せちゃおう、という戦略でした。そんなおり、S級男の後方を見ると・・・、
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私が手塩にかけて育てた娘が座っていたのでした。大苦戦と大苦労を克服して、見事、大逆転で北大に入った娘で、今はもう3年生か。年賀状が来て、返事を出そうとしたら父が亡くなって・・・、と言い訳をするおじちゃんは、奇異に映ったことでしょう。

自分は今、すばらしい仲間と学年を組ませて貰っていると言うことを、痛感するのでした。もっと頑張ろうと思う瞬間でもあり、雲の中を歩くような酔っぱらい感だから、きっと良い流れの中を生きているのだと思う。

昨日から今日   [卒業生]

2012/03/26

昼過ぎまで70分×3の講習をやり続けているわけですが、なんとそのさなか、午後2時から職員室内のお引っ越しです。なんでこんな忙しいときにと思いますが、まな板の鯉がベルトコンベアーにのったようなもので、ただもう放心してなすがまま、流れていく。しんどいですね。
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まずは各自の机の中を外に出してしまって机全体を軽くする。運びやすくなる。この一連の作業を用意周到な人は一週間も前から始め、忙しくて手が回らない連中は当日の朝に始める。厳しい作業。キャプテンの指示が始まる。

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キャプテンの指示に従って、机を廊下に移動しながら再び職員室に新しい順番で入ってくる。そういう流れ作業が16分間続きました。移動させる人、ゴミを順次、吸い取っていく人。傍観して写真を撮る人・・・。恒例行事で、作業が完了しキャプテンの指示のもと一本締めで、実質的に新年度突入です。

そんな中、卒業生が来るわけです。彼らは暇なときに来るのだけど、我々にはもっとも忙しいとき。邪険にするわけにも行きませんが、時間がない。
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どうでもいい生徒はいないけれど、結局はともに過ごした時間が濃い連中には近況報告もあり、メシでも食いながらと、ランチに行きます。彼女たちはもう食べたといい、パフェを食べました。ランチの日替わり定食と値段が同じでも、時間の共有が大事です。
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彼女たちはテニス部つながりの先輩と後輩。右の先輩には1年次、週に4時間の授業でした。彼女は3年間部活と両立し、3年間オール5で表彰もされ、現役で北大経済に入りました。左の後輩は、私のクラスの娘。苦労人でいつでも良い笑顔を持っている娘です。頭のよい子で観察力も鋭く、人当たりは私より数等上の大人です。4月から看護科の3年目に突入します。応援をしたいです。

食事しながら話を聞いていたら、成人式の写真見せたっけ? と言うのですが、見てないし、食べてる最中だから送ってと言いました。携帯と機械どちらに? と言うから機械を指定しました。
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なんとまあ、こりゃすごい。何という加工技術か。プリクラも近頃は、思いっきり見栄え良く加工する技術をお持ちだと腰を抜かすほど驚きました。美しい。いや、もとが美しかったのか。思い出せない。

2012/03/27

選考会まであと6日!

いよいよオリンピック選考会まで1週間を切りました!

 人生は10段変速の自転車のようなもの。自分が持っているものの大半は使ってない。  (by チャールズ・シュルツ)
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萩原智子さんのブログ/明日 3月26日月曜日 PM9:54~ テレビ朝日 『報道ステーション』 スポーツの「松岡修造さんコーナー」で、取り上げて下さるそうです。
予約録画して確実に拝見いたしましょう。 基本的に松岡修造さんのあの「熱い」コーナーは好きです。 ロクテの無茶苦茶な練習を取材し、入江くんにも取材したときは爆笑。 入江くんは1㎏ほどのダンベル、ロクテとの落差に笑いました。 情熱大陸の後はいちど落ちますが松岡さんの後はブレイクします。 楽しみにしております。 by tommy88 (2012-03-26 05:13)
ただいま『報道ステーション』を録画で拝見しました。涙が出ました。よく頑張っておられます。編集の妙でしょうが自衛隊プールの水面に映る日の丸には熱く震えるものがありました。「ひと握り」になる者は少数だけれど、その熾烈なレースに覚悟を決めて参加する勇気と、その道のりにある過酷な練習を乗り越える姿勢に胸打たれます。しかもそこに突如、現れる試練。萩原さんはおそらく大きなものを手に入れたのだと思います。いつでも結果はどうなるのかは分かりませんが、多くのメッセージをあなたは発信していくことになるでしょう。おそらくそれは「感動」と呼べるものだと思います。娘も一緒にオリンピックに参加できるよう祈りながら、萩原さんを勿論、全力応援です。楽しみな代表選考会になりました。全力を出し切りましょう。by tommy88 (2012-03-27 05:17)

訓練を求める浪人生が飛躍中   [卒業生]

正確ではないものは年月と共に古くなる。正確さを得るためには、訓練が絶対に必要で、訓練のないものを私は軽蔑します。
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№18 合格や不合格体験記H  早稲田大学 国際教養学部  
勉強量は自分を裏切らない

 私の高校3年生はあっけなく終わった。2月、英検準1級になんとか合格し、早稲田大学の国際教養学部に不合格だった。もちろん、受験料も高く、自分がやりたいことが出来るのがこの学部だったので、他の大学は受けなかった。この日から、浪人生活が始まった。

 私がこの学部を志望したのは3つの理由からだった。まず、留学が出来る点だ。この学部は日本人学生に対して1年間の留学を必須としている。したがって、留学中の単位を読み替えてくれ、4年で卒業できる。次に、英語で教養を深めるリベラルアーツを軸としたカリキュラムを持っている点だ。英語を学ぶのではなく、英語で勉強できる。単に英語が好きなのではなく、英語を使って何かをやりたいと考えていた私には、魅力的だった。また、入学当初から専攻を決めず、徐々に自分の専門分野を深めていくことが出来るというのも気に入った。

 最後に、大学が東京にあるという点だ。私は英語に加えて、別の言語も大学在学中に取得すると決めていた。国連公用語でもあり、かつてフランスの植民地だったアフリカでも使われているフランス語を勉強したいと考えていた。外国語学校ではなく、フランス語に特化した学校で一番知られているのがアリアンス・フランセーズだ。札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、徳島の6ヶ所にしかない。また、フランス大使館文化部や日仏学院となると東京、横浜、京都、福岡に限られる。したがって、大学外の活動を考えると、東京が一番適しているように思った。

 私の受験勉強は、まず自分は何が欠かせないか、ということだった。だから、受験を単に「大学に入るため」と考えて、小手先のテクニックを学ぶのではなく、入学した後にも使える力を身につけるための1年間にしようと決めた。

 まずは、受験機会を増やそうと国内AO入試も受けてみようと思った。一般入試の英語にさえ、レベルの高さにショックを受けた。高校まで英語は得意だったので、落ち込んだ。しかし、英語で授業を受けるとなると、ある程度のレベルは必要なのだと思った。AO入試となると、それ以上であることは分かっていた。少ない情報を集めて、TOEFL-ibtの点数が鍵になると思った。

 TOEFLは英語を母国語としていない人がアメリカやカナダの大学を受けるときに、英語力を提示するために必要なもの。留学を必須としている学部ならでは、と思った。私はまだアメリカの大学の学部入学に最低限必要な点数さえ持っていなかったので、TOEFLの点数を上げる勉強から始めた。同時進行で、AO入試の志願票に英語の資格やスコアを書く欄があったので、埋められるだけ埋めようと、英検1級とTOEICの勉強も同時進行で行った。

 TOEFLはコツコツ勉強を始めるとコツが分かり、一気に10点上がった。AO入試書類提出に間に合う8月まで受け続け、最終的には100点(120点中)をマークすることができた。

 TOEFLはほぼ毎月行われる試験だが、英検は年3回。提出書類に書くためには、6月の試験で受かっておかなくてはならない。単語力が足りないことは自覚していたので、単熟語のCDを買って、毎日CD1枚ずつを聞くということを繰り返していた。読解は、週刊の英字新聞を読んでいた。その結果、いつもは自信がなかった大問1の単熟語では、かなりの高得点を取って合格することができた。

 TOEICも一応受けておいた。TOEIC対策の本を買ってきて、勉強した。受験料も高いので、これは1度5月に受けたのみ。目標の900点を超えることができたので良かった。結果は、915点。

 そして、夏休みにはいよいよ具体的なAO入試の対策を始めた。AO入試では、受験提出書類(高校でやってきたこと、英検の資格・スコア)と志望理由書(英語で1000ワード)を提出する。10月後半にある「Critical Thinking」(与えられた資料を理解し分析したうえで、自分の考えを表現する記述形式の審査)と呼ばれる英語の文章を読んで英語で答える試験を受ける。提出書類とこの筆記試験を突破したら、面接を受けて、合否が決まるというものだった。

 エッセーは、かなり苦労した。まず、1000ワードの文章を、今までに書いたことがなかった。なぜ志望したのかだけでなく、自分が、どのように学部に貢献できるかも書かなくてはならなかった。ALTやアメリカの友人などに手伝ってもらって推敲を重ね、仕上げた。

 筆記試験には、『Scientific American』を読んで準備した。数少ない、この学部の合格体験記に「『Scientific American』を読んで対策をした」と書いてあったので、買ってきて、読んでいった。元々得意ではない理科の話が多く苦戦したけれど、「世界の肥満」(食料の出入りが多くなり、肥満が増える一方、飢餓も増えている現象)というように、人文系の記事などもあり楽しく読んだ。

 今になってこの学部のAO入試過去問題集などが出ているけれど、私が受験した当時は出ていなかったので、手探りの状態だった。しかし、堅い文章を読むことに慣れていたおかげで、試験でも慌てずに済んだ。

 そして、筆記試験は合格。面接試験に進むことができた。対策としては面接で聞かれる質問を自分で考え、その答えを用意したりしていた。面接当日、自分より先に面接が終わった生徒達とすれ違った。会話の中にも普通に英語が入ってきて、「さすがだな」と思った。その年はアメリカで大統領選挙が行われていたので、それに関する意見を求められた、と話していた。そんなことが聞かれるのか、とかなり緊張しながら面接室へ向かった。日本人と外国人の教授2人による面接。志望理由、大学で勉強したい外国語、留学したい国などを聞かれて終了。色々難しいことを聞かれるかと思っていたので、あっけなく終わった。

 無事に合格し、3ヶ月の春休みゲット。予備校に行っていたわけではないので、家で勉強していた。この期間、少し苦労したけれど、受かることが出来てホッとした。この長い春休み中、AO入試の志望理由書を書くのを手伝ってくれた友達の家へ、遊びに行くことにした。ちょうど新しい大統領が決まり、1月の就任演説を見ることが出来た。自分へのささやかなご褒美だった。

 そして、4月から大学生生活が始まった。留学が必須の学部だけれど、行きたいと思った人の誰もが行けるわけではない。留学選抜試験というものがあり、人気の大学は競争が熾烈だ。最近はフランスも人気が出てきて、自分の狙っていた学校も競争が激しいらしい。この試験、GPA(成績)、語学力、志望理由書、教授からの推薦書を総合的に判断する。だから、入学してからの成績も重要になるのだ。だから、気は抜けない。

 また、授業も予想していたとおり大変だった。高校を卒業して、苦手な数学とようやく別れることが出来ると思っていたら、思わぬ形で再会することとなってしまった。私の学部では、かなり自由に科目をとることが出来る。しかし、例外があって、ライティングと統計学は全員必須だ。英語で数学を学ぶとは思っていなかったけれど、これには苦労した。

 1年生の時は、幅広く(最低3分野から)科目を取ることが義務づけられている。自分が何をやりたいかよく分からない私は、ジャーナリズム、ヨーロッパ事情、国際関係、アメリカ政治など様々な科目を取った。今では、自分のやりたいことがなんとなく分かってきて、国際関係の授業を多く取っている。

 授業のほとんどが、もちろん英語で行われる。それはたとえ教授が日本人であってもだ。予習も多いので、受験生の時と比べて睡眠時間が減った。AO入試では、1000ワードのエッセーに四苦八苦していた。しかし、授業で出される中間課題のエッセーにおいては、1000ワードが最低限であり、中には3000ワードのエッセーを求めてくる教授もいた。課題がない日でも、毎日リーディングの量が多い。1章を読んで予習をしてきて、それについて意見を述べて、先生がコメントをする、ということを繰り返す。中間にプレゼンテーションまたはレポートがあって、期末にテストという感じだ。他の学部では、期末試験一本勝負らしいけれど、私の学部では予習、中間、期末と常に忙しい。

 また、留学生も授業に多く参加していて、意見を発表しても、すぐに反論されることも多い。自分の発言に注文をつけられることに関しては、この2年間でかなり慣れた気がする。逆に、自分も相手に反論することも少しずつ出来るようになってきた。これには、まだ勇気がかなり必要だが。

 しかし、英語をハンデとしない帰国生が多いので、自分は彼らの倍の努力をしなくてはならないと思っている。また、韓国人や中国人などの外国人留学生も相当勉強してくるので、負けてはいられない。毎日が、家、大学、図書館の往復だ。それでも、テストやエッセーなどで良い点数を取るととても嬉しい。

 学校外の活動としては、アリアンス・フランセーズ(日仏学院)へも入学後、行き始めた。週1だが、宿題も出る。そこで、フランス語を勉強している。英語と異なり、名詞に性などもあり苦戦するが、英語の息抜きになってよいのかもしれない。

 忙しい大学の勉強とアリアンス・フランセーズと、日仏学院に通って多忙なため、サークル活動には属していない。もちろん、サークル活動に入っている学生をうらやましく思ったりすることもある。

 しかし、サークル活動の代わりに私は自由を手に入れることができたと思っている。授業がない日は身軽にどこへでも行ける。実際、昨年の冬にアメリカ人の友人が東京に来たときは、1週間東京の色々な場所を連れて回ることが出来た。サークルに入っていれば、休み中でも活動があるので、あまり自由がきかない、と聞く。そういったことを気にせずに色々歩き回れるのは、サークル活動に入っていないことによる自由だと思う。

 そして、入学後の秋には待ちに待った留学選抜試験が行われた。入学前は、漠然とフランス語圏であればよいなと思っていた。しかし、フランス語を勉強するうちに、フランスへ行きたいと思うようになった。入学前には、はっきりと決めていなかったが、色々調べて、留学地もフランスへと決めた。特に、フランスの政治学院で勉強したいと考えるようになった。

 私は早稲田の国際教養学部で国際関係を学んでいる。国際関係、と言っても日本の視点からの国際関係(日本人の教授が教えると)、または英語圏からの視点になってしまう。しかし、国際関係を知る上では、様々な視点から物事を見ることが必要だ。

 だから、フランスで、フランスまたはヨーロッパからの視点で国際関係を学びたいと思ったのだ。自分のやりたいことと照らし合わせて、フランス各地にある政治学院のうち3校を選んだ。書類選考、筆記試験を経て、無事に自分の第一志望であるパリ政治学院へ1年間交換留学ができることとなった。更に力をつけ、上を目指したいと思っている。

 夢だ、ロマンだと言っている間は、何も始まらないのである。理想的な目標を設定して、一つ一つ壁をクリアしていく、それしかない。

 日本人は、他国や他者や自分の属する共同体の価値観を学んだり真似たりすることにとても熱心で上手にやるが、自分の価値観を他国や他者や共同体にアピールするのが下手で、熱意もない。


今日を生きる。今を生きる。   [卒業生]

muk さんのページで愚痴をこぼしました。
「空気なんか読むな本を読め」って正しい表現だと思います。 「相手の気持ちを考えろ」という表現がミスリードします。 ちょっとした表現の差異ですが、「相手の立場に立って考える」だけが可能だと思います。「気持ち」を考えさせる入試問題や、スポーツ大会直後の質問も開口一番、「いまのお気持ちをお聞かせ下さい」だとか、もっとひどいときには「どうですか?」という唐突で意味不明な質問をする。 こんな表現が王道を行く限り、世界では戦えないなと思います。・・・こんな愚痴をこぼしても仕方がないのですがね。
空気を読む前に本を読め...読解力重要ですね。by しげ (2012-03-14 23:07)

基本的に「相手の気持ち」を考える必要はないと思います。大事なのは相手の立場に立って考える想像力だと思います。そのための国語力が低下してきていますから、本当に困ったもので、何か恐ろしい現象が発生するのだと思います。

こだわっている箇所だから吟味してしまいますけれど、「相手の立場に立って考える」ことが大事だと思います。下手くそなマスコミは、必ず「気持ち」を質問しますが、気持ちは本人も分からないし、気持ちで物事が動くのは良くないと思います。意志で動く。

そんな中で、一浪の末に、東北大学法学部に受かった野球小僧の書いた文章の終盤には、とても迫力がありました。
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№16 合格や不合格体験記F
 ここからは浪人生を経験して思ったこと、感じたことを三つ書く。
 一つ目は、自分一人で頑張れる心がないとダメだということ。強い言い方になるけれども、予備校は遊ぶところじゃないから、自分が友達と遊びたい、話したいと思うのが夢なら、その夢に向かい、いくらでも入れる大学はあるので入って遊んでいた方がいい。自分の主観的な判断であるが、やはり人生全体で考えて、何か大切なことをするとき、何かを捨てられない人はダメなことが多い

 二つ目は、「本気」で勉強しないとダメだということ。ある予備校では友達と階段でしゃべりながら勉強していて、何で成績が上がらないんだと悩んでいた人がいた。よく勉強の「やり方」が違うからお前は成績が上がらないんだと、アドバイスをする人がいる。もちろんその場合もある。だが、まず「本気」で勉強しているのかというのを考えてみて欲しい。

 三つ目は、親への感謝を忘れないこと。もう反抗期じゃないはず。

 最後にこれからの自分について。大学行って、酒飲んで、カラオケ行って、合コンして終わりにはしない。それもやるけど、もっと大きなものをつかみたい。将来、皆に話せるような。
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ね、力強い青年でしょ。いじられてはオドオドしていた少年が、すてきな苦労を乗り越えて、しっかりとした大人になり始めています。嬉しい限りです。彼の「合格や不合格体験記」の前半にこんなくだりがあるのです。
 自分は野球部に所属していた。1年、2年、3年の夏までは野球していた。自分は下手だったけど、やっていて得たものはとてつもなく大きかった。
彼はまさに生きていたのでした。
今日を生きる。今を生きる。

負けるな負けるな   [卒業生]

東京六大学に受かったんだからそれでいいのだと思う。若者は旅に出るべきで、東京で飲み込まれることなく世界に羽ばたけばいいのだと思う。負けるな負けるな。
 世も末だ、と嘆いても意味がない。新しい不快な現象の大半は、これまで近代化の陰に隠れていたものが見えるようになっただけなのだ。昔は良かった、と過去を懐かしがるのも間違っている。現代の日本に噴き出している問題は、ずっと昔から存在していたことが露わになっただけだからだ。  (「ダメな女」 村上 龍/光文社)


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 無知というのは救いようがありません。無知というのは情報がない状況を指すのではなく、情報を欲しがらない、必要としない状況を言うのだと思います。  (『1987-1991 村上龍全エッセイ』村上 龍/講談社文庫)


№15 不合格体験記E
 (前略)
 卒業式の次の日、後期試験の講習がありました。tommy88先生の話に衝撃を受けました。私は考えたことのない話に圧倒されました。私はほとんどなにも考えないで生活しているのではないかと思いました。私はテレビのニュースや新聞の記事をただ鵜呑みにしていることに気がつきました。ひとつの視点からしか世界を見ていなかったことに気がつきました。さまざまな視点があることをほとんど意識していませんでした。

 3月8日の前期試験の合格発表の結果は不合格でした。前期試験が終わってからずっと覚悟をしていましたが、つらかったです。しかし、そのあとtommy88先生が話してくれたことが重要でした。なぜ私が大学にいきたいのか、再度考えました。大学に入って、卒業したあとのことを考えました。将来、国連や、NGOで働きたいのなら、今から英語をやらなくてはならないし、ほかの言語も必要になります。私は今から大学入学後、そして卒業後に向けてできることがあることに気がつきました。失敗してしまいましたが、そこで終わりではなく、失敗を分析し、これからに活かしていかなくてはならないのです。

 それからも後期試験の講習でtommy88先生の話を聞かせていただきました。世界の広がりは息がとまるほどでした。私は固定観念にとらわれ、つねに何事も答えはひとつだと決めつけているようでした。答えがいくつもあることを知ることの大切さを学びました。そして、論理的にものをみていくこと、そのための定義の大切さ、考え方を学びました。私の文章を添削していただいたときにも、自分の短絡的な考え方に気がつき、勉強になりました。本当にたくさんのことを得ることができました。

 後期試験も終わりました。合格発表はまだです。私は受験で、高校3年間で、先生方、家族などたくさんの人に支えられてきました。廊下でtommy88先生に声をかけていただいた時には、いつも心臓が口から出るかと思いましたが、本当に励みになり、モチベーションアップできました。友達とは受験の悩みや相談などたくさん話し合うことができました。本当に感謝しています。この3年間振り返ると後悔することもたくさんありますが、反省し、得た経験をこれからに生かしていきたいです。

 私は国際公務員や、NGOなどで働くことを夢見ていますが、まだ具体的にどうするか、どうなりたいかなどはきめられていません。ですから、大学に入学したら、さらにたくさんの経験をして、さまざまな視点から世界を見つめ考えていきたいと思います。そのために言語や専門的知識などを得ていきたいです。ボランティアなどの活動をしたり、外国で勉強をしたりしたいです。なんでもすぐに緊張して怖気づく私ですが、将来を見据え、自分から積極的に学んでいく姿勢でいたいです。
 世界を相手に国際競争をするのに日本のくだらない「構造」は必要ない。そこから脱出する方法を探るべきだ。  (「ダメな女」  村上 龍/光文)


一期一会の授業と講習、研修会を作る。

念入りに   [卒業生]

一浪組が合格の報告に来た。
嬉しい限りである。手前味噌だが、去年、書いてもらった「不合格体験記」の一部を掲載。
合格までの苦労はあったろうが、辿り着いた連中をまた応援しようと思う。

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№12 不合格体験記B
 (前略)
 2月2日、私に1つの光が差した。廊下で、tommy88先生に声をかけていただいたのだ。本当に偶然だった。その偶然のおかげで、私は大きく考え方が変わったと思う。正直、はじめはtommy88先生が恐くて仕方がなかった。その日は3時間もお話をしていただいた。その後も面接ノートを見ていただいたり、討論会に参加させていただいたり、引き込まれるような話をしていただいたりした。驚きの連続だった。

 私の知らない世界や考え方がこんなにあるなんて。はじめの頃に持っていた恐い先生というイメージが完全に消えたとは言えないが、知識が豊富で、たくさん経験があり、いろいろなものの見方ができる先生、というイメージの方が強くなった。私はいろいろなことを知ることができて楽しかった。視点の変化の大切さを強く感じた。

 例えばTPPの問題では、主に農業のことを考えた反対の意見が多いように思う。しかしここで視点を変えてみる。海外に拠点を移している企業からの視点や日本のTPP参加を促すアメリカからの視点など、少し考え方を変えるだけで新たな問題点や、対策すべき点が見えてくる。また、先生が経験してきたことのお話も私が経験したことのないことばかりで、衝撃の連続だった。

 結果をいうと、前期の小論文試験は不合格だった。やれるだけのことはやれたと思うので悔いはなかった。しかしネットで結果を見たあと学校へ行き、お世話になった先生方に報告するときは申し訳ない気持ちで一杯になり、辛かった。

 気持ちを切り替えて、後期の面接試験に向けて取り組まなければならない。tommy88先生に面接の指導をお願いしに行き、次の日から対策をしていただいた。後期試験対策は、午前は北海道大学志望の人たちと一緒に先生の授業を受けさせていただき、午後からは面接指導をしていただいた。感動と考えさせられることの連続だった。中でも日本は違いを認めない傾向があるという話が考えさせられた。

 例えば、我が校には車いすを利用する人用の駐車場所はあるが、階段しかないため車いすを利用する人は2階に行くことはできないし、トイレを利用することもできない。私は先生に指摘されるまで気付かなかった。私も知らないうちに「違い」を排除して考えるということが染みついていたことに気付き、衝撃を受けた。考えてみると、私の友達が車いすを利用するようになった場合、私の家に誘うことができないと思った。玄関に入る前に階段があるからだ。このことに気付いた私にできることは何だろうか。先生が私に教えてくれたように、私も将来先生になって子供達に伝えていくことに思い当たった。

 今回の大学受験で、先生方や友達、家族など、本当にたくさんの方々にお世話になった。この感謝の気持ちは合格でも不合格でも決して変わらない。

 まだどうなるか分からないが、大学入学後のことを考えてみる。小学校の先生になるという夢を実現するために精一杯学んでいきたい。私が理想とする教師像は、1つ目は中学校1年生の時の担任のように子供の目線で考えられる先生だ。私が持つ思いこみを押しつけたりせず子供達の話をしっかり聞き、どのように考えているのかを知り、一緒に考えていける先生になりたい。

 2つ目はtommy88先生が私にしてくださったように、教科書に載っていない大切なことを教えられる先生だ。なぜなら、私は先生のお話を聞いて感動し、この感動を誰かに教えてあげたいと思ったからだ。これを達成するためには私自身が様々な経験をしなければならない。そのために大学での勉強はもちろん、ボランティア活動をしたり、外国に行って勉強してみたり、様々なことに挑戦し、経験を積んでいきたいと思う。

人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちはそれをパラパラとめくっているが、賢い人間はそれを念入りに読む。なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。   ジョン・パウル


一期一会の授業と講習、研修会を作る。


2012/03/08 浪人組が北大に合格し遅まきの春   [卒業生]

「ダメな女」村上 龍/光文社(p.81) 共同体が信頼できなくなった。これから先も信頼が回復することはあり得ない。これから大切になるのは、信頼できる「個人」だ。何となく集まって楽しく騒げる「仲間」ではなく、数は少なくても「信頼できる個人的な友人」が大事になるだろう。
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O高校 25期 3年 4組 1番/2011年3月卒
一緒に戦ったAさん。開始で頑固なくらいに出遅れて、ぎりぎりアウトの悔しさがあったようだ。選択科目に固執して時間を失ったことも含め、現役生の前で語りたいという。えらい。そして、自分が一浪するに当たり、受験勉強の全てを総括し分析し、浪人生活を始めたという。それらを語ってくれた美しさ。姿勢の良い娘で、威風堂々。リーダーの才覚があり、さらに強くなってもらおうと思う。
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良い話をしてくれました。教師ごときの知ったかぶりの話より、切実な経験が在校生との距離を縮めています。美しかった。

北大文学部。大いに成長していきましょう。

英語の話(手紙)   [卒業生]

親愛なる○○さん

 お元気ですか。キミにTOEFLの教材を貸していたことなんて、すっかり忘れていました。中間報告がないとすぐに忘れる老人域です。そして、すぐに誰かに貸して今は手元にありません。高2になる三女にはまだ少し早いので、東京の大学に行く生徒さんに貸したのだと思います。そんな無礼な老人に対し、丁重なお手紙まで同封されていて驚きました。

 さて、まず始めに、私はキミが「英語大好き人間」だと思っています。自分から「英語が好き」と言えるのは、ステキなことで、私は未だに好きになれないでいて、コンプレックスを持っています。おそらく好きになれないのは、自ら「きっかけ」を失ったからだと思っています。だから、キミのような才能あふれる人には、何らかの形で「きっかけ」を作ってやりたいと常々考えているところです。

 シンプルに考えます。キミはいつから、どうやって日本語を操るようになりましたか。それはまず、絶対に耳から入ったはずです。読むことから始めたわけではない。だからキミが英語の達人になるには、聴くことから始めるのが一番だと思います。生まれた時に、キミが始めたことを英語を対象に再び始めればよいのです。

 世の中にはCD付きの英語教材がたくさんあります。自分に合ったものを選んで、あるいは選んでもらって、まずは聴く。集中して、聴く、耳を傾ける。そして、聞こえた通りに真似をして声に出す。シャドーイングと言いますが、それを繰り返す。キミが生まれた時、おそらく始めは泣くことが仕事だったのですが、やがては周囲の音を聞き、動きを見、語りかけられるコトバを蓄積させていったのだと思います。一日に何時間もそうしているうちに、いつの日か、セキを切ったように喋り始めた。

 三重苦の人と言われているヘレン・ケラーも蓄積の後に、「世界」が統合され、セキを切ったように喋り始める。そういう過程を経ているようです。キミが、毎日の生活の中に、確実に時間を配分して、やり続ければ必ず達人になってしまいます。すでに大学生ですから、一気に変身しなければならないので、毎日3時間のシャドーイング。語学学校に通うより、とてつもなく安く、そして、語学学校へ行くよりも力がつく。

 投資すべき時間とお金には必ず限界があります。有効に使って、結果が出れば、ごほうびで、カナダなりオーストラリアなりに行っちゃいましょう。その軍資金は、80万円の語学学校代金を使わないことで流用できます。語学学校へ行かずに結果を出すには、毎日3時間のシャドーイングを生活の一部にするということです。規則正しく毎日3時間やりつづけるから達人になれるのです。

 ただし、毎日3時間というのは飽きちゃいます。飽きさせないためには、教材を多様化させる。NHK教育TVの「リトル・チャロ」なんて楽しくお勉強できてしまうし、番組改編期だから、変身の為に終わってしまったけれど、「ギフト」だとか「トラッド・ジャパン」(と思っていたら、4月から新「トラッド・ジャパン」が始まっていました)などは、キミのレベルよりちょっと上だから、ちょうどいいはずです。教材はすでにあるのです。しかも無料。やらなかっただけです。世の中いつでもやるか、やらないか、なのです。ここで一つ格言です。『やらないことは100%の失敗』ですね。

 人間が頑張れるには、それぞれ理由があるのでしょうが、少なくとも頑張りつづけるには、「くやしさ」が大きなエネルギーになります。幸いに、キミには、くやしさがあるようです。キミの手紙からは悔しさを感じることができました。だからこうして返事を書くことに決めたのです。私にはアドバイスができる、と知っているからです。実は私は後悔の塊で、「くやしい奴」なんですね。私は悔しい奴だけど、ここをこう変えれば、必ずよくなる、というシミュレーションをいつもやっている。子どもを育てるには、変えるには、そういう工夫や考えが必要だと思ってきました。

 才能豊かなキミには英語の達人になってもらう。そのためには、まず悔しさをバネにして生活をしてもらう。生活を変える覚悟を決めてもらう。そして次には、シッカリとした目標を持ち一歩ずつ、強引なくらい地道に、決めたことをやりつづける。その覚悟を決めて前へ進んで下さい。明るい未来が確実に開けて来ます。

 目標を決めなければ何も始まりません。目標は英語で「ゴール」というわけで、運動会でもゴールの対極に「スタート」地点がある。と言うことはゴール(目標)が決まらなければ、スタートしない、始まらないというわけです。

 そして、「英検1級合格」も確かに目標にはなりますが、そこには合否しかなく、長い距離に息切れしてしまうかもしれません。その点、TOEICとかTOEFLはスコアですから、目標として設定しやすいです。息切れしにくいだけではなく、努力目標としてはわかりやすく、努力する方向もわかりやすいので、モチベーションも低下せずに済みます。

 TOEICは就職用、TOEFLは留学用と、とらえておけばいいと思います。それぞれのスコアが「目安」として利用されています。全国各地で日程を変えて実施されているので、インターネットでチェックしてみて下さい。料金は1回$200と高額ですので、予算を組んで予定を立てて取り組むことをすすめます。成功の秘訣は計画的であること。お金と時間の予算配分をしっかりやること。準備が正しければ必ず成功します。

 去年の11月にNHKの「クローズアップ現代」で「新・就職氷河期」に関して取上げられました。ここで使いたい話は「就活」の時期、のことです。就活(就職活動)は、大学3年の6月から始まります。ということは、大学に入って2年2ヶ月で、もう就職活動が始まってしまうということです。高校入学後のセンター試験までの時間より7ヶ月も短いのです。

 あらゆることへの準備期間が短く、実は高校時代にどれだけ自分の将来をしっかりと設計したか、目標に向けて確実に取り組んだかによって、結果も変わってくるのです。たかが英検であっても高校時代に2級をめざしていた人と、準1級をめざしていた人とでは大きな差がすでに生じているのです。

 大学入学後2年2ヶ月で勝負が始まるなら、今すぐ計画と戦略を練るべきです。そして、一日でも早く準備を始めなければならないし、しかも「強引なくらい地道に、決めたことをやりつづける」と私が表現するのも理解してもらえるのではないでしょうか。

 大手製薬会社の武田製薬が次年度からの新卒採用に関する指針を出しました。それによると、条件の一つにTOEICスコアが「730点以上」の者に限るということです。国内市場の先細りは目に見えていますので、企業は生き残りをかけて、率先して海外に出て行こうとしていますし、優秀な外国人を自社に取りこもうとします。そんな流れの中で、社内の公用語を英語に切り換えるところも出てきています。ユニクロを展開するファーストリテイリングも社内公用語を英語にしたし、楽天や京セラなども舵を切りました。

 社内公用語を英語にする動きより以前に、早稲田大学の国際教養学部やICU(国際基督教大学)、秋田の国際教養大学は学内の公用語を英語にしていました。さらに、明治大学の一部の学部や、早稲田の看板学部である政経も、授業は完全英語化をめざしています。道内の一部大学の一部学部でも、英語で授業をするという「世界標準」へと舵を切り始めました。

 この一連の大きなうねりは何を意味するのか、と言うと、英語ができて当たり前の時代がそこまで来ているということです。しかし、国民全員が英語ができるようになる必要はなく、大手の会社や世界を相手に日本の生き残りに役立つような人材は、大前提として英語ができるようになっている必要があると言うことです。

 それでも聡明な人はすでに気づいているはずです。接客業ですら、英語とそれ以外の外国語が求められ始めている。そして単に観光業に携わる人だけでなく、たとえば看護婦という業種ですら、労働力としての外国人を取り込まなければならない現実があり、安く働いてくれる「彼ら・彼女たち」との共通語は英語になります。言い方を変えるなら、英語が堪能で、物価の安い国、たとえばフィリピンからは、世界中に労働力が輸出されているということです。

 私は「英語さえできればいい」と言っているのではありません。キミ自身にやりたいことや、やるべきこと、あるいはできることがあって、それを売りこんで就職するのだけど、その前に英語もできる人でなくては必要とされなくなるという時代に、いま直面しているのだということです。そんな時代に「TOEIC730点以上」と言うのです。

 キミが武田製薬にチャレンジするなら、TOEICスコアで何点以上を目標にしますか。条件が出されているので、いかに成績優秀であっても、どんなにすごい資格を持っていても、TOEIC720点なら、審査もされずに落とされる。それを「条件」と言います。730点以上と言われたら、800点以上と考える人が多いと思いますが、それでは対等になるだけで、条件の面から圧倒するには、900点以上を確保したいものです。満点(990点)なら大いに光りますが、満点は結果であって、狙うものではありません。

 大手の会社がTOEICスコアを要求してきたという事実。今まで外資系の企業では当たり前だったのですが、国内企業にその動きがあったということは、4年後、5年後の姿を思うと、もっと多くの企業がTOEICスコアを要求するようになっているはずです。かつては、企業が社内で社員教育をしていましたが、採用条件を上げることで、より確実な力を持った人材を確保することができるので、今後もこの方向に変わりはないと思います。

 うちの次女は、遠く鹿児島の鹿屋体育大学で泳いでいます。朝から晩まで運動ばかりしている大学ですが、3月には外国人講師を招いて無料でTOEICの講習があり、娘も参加していたようです。明日(4月3日)、試験を受けるようですが、ハイスコアを出せば奨学金がもらえるようで、欲ばりな娘は挑戦します。

 地方の国立大学ですら不景気の折り、就職実績が出せず、気力・体力だけを売り物にするのではなくて、これからの時代に通用するものとして、TOEICに着眼して、「アメ」をバラまき始めました。

 こういうふうに考えていくと、どこの大学に入ったかは問題ではなくてどういう出口を用意すべきかを考えるべきです。高校時代には、より有利な条件を手に入れるために、あれこれと志望大学を選ぶと思います。しかし、第1志望だけが全てではなくて、「今いる所がイチバン」であって、「住めば都」と言います。

 大事なことは、今、どうしているかです。自ら設定した高い目標に向けて、「強引なくらい地道に、決めたことをやりつづける」自分を感じて生活するのが確かなことだと思います。

 明治や早稲田も良い大学ですが、北星学園も良い大学です。しかし、藤女子もなかなか良い大学で、私が北海道に移り住んだ頃、30年前でしょうか、「妻をめとらば藤・女子・大学っ」とまで言われておりました。そして、藤女子の良さは、キミが入ったこと。新しい歴史を作って下さい。時間がない中、目標を設定して前進して下さい。