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畑富子礼賛   [笑われ噺]


思いついたら断捨離。
自身の卒業アルバムも、職業柄のアルバムもほぼ捨てた。
遠い過去の記憶は、記憶の中にしかない、それでいい。

脳も委縮し始めているのだから、家族の写真データのみ。
そうやって、宝箱の中身は減っていく。
しかし、大阪時代の写真はないと思っていたら1枚、出てきてしまった。

おもしろい。
半世紀前の写真が、私の50年を超える大移動に追随していたなんて。
笑うしかないが、葬った思い出。




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高校1年の最初の国語の時間。
青木先生は遅刻して入ってきて、更紙(藁半紙・ざら紙)を配った。
紙を横にして半分に折って、半分に折ってを繰り返し、開く。

出来た線に沿って作文を書け、初めにタイトル、次にクラスと名前。
テーマは「今思うこと、考えること」だった。
最後に集めるからなと言って、青木先生は走って出ていった。

教師になって分かったこと、年度始めの忙しさは半端じゃない。
作文を書かせて時間を稼ぐという手を、原稿用紙も用意せずに、青木め。
後に国語教師としての私は、印刷した原稿用紙の備蓄は救いの「かみ」だった。




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テーマが「今思うこと、考えること」なら、書くことは一つしかない。
自分では「畑富子改造計画」にしたかったが、熟慮し「畑富子礼賛」とした。
構成を考え構想に時間を割き、30分余りで猛烈に書き切った。

向こうの列の先頭に座る少女、その子の名前は畑富子。
惜しいことに彼女は赤のセルロイド眼鏡をしている。
あまりにもそれは彼女をおとしめるもので、何とかして外させたい。

赤眼鏡をはずせば彼女の顔が、いかに輝いて見えるだろうか。
そういう考察を加え、時代はコンタクトレンズだと主張した。
自画自賛ではあるが、よくぞ書き切った。

後日、いよいよ授業が始まるその初日、所感文が一人ずつ返却された。
私の番になり受け取りに行くと、いきなり、どつかれたのだった。
何を書いてんじゃアホ、もっとまじめに書け、と更紙は投げ返された。

国語の授業の思い出。
体罰なんて言葉がまだ通用しなかった時代。
自分では面白い文章が書けたことに満足をしながら、血をぬぐう。




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宿泊研修? 半世紀も過ぎりゃそりゃあもう色褪せるってよ。
半世紀前の色褪せた写真を見て思うのは、時代は貧しかったのだろう。
お嬢さんだと記憶しているが、小汚い衣服は時代のセンスのなさか。

ある意味で私の一念が通じたのか、赤眼鏡を外してコンタクトに変えたもよう。
周囲も好印象を持つ、私による改造計画の妄想。
始めの一年間は単なるクラスメイト、生きる希望。

自らリークした「好きやねん」は外堀を埋めていき、潮は満ちる。
しかも翌年の浮き沈みは増幅し、Rebel Without a Cause へと傾斜する。
サッカー部の先輩にカノジョを取られた純情少年、自暴自棄になる。


現在、サッカー部のキャプテンは同窓会の常任幹事をしている。
11月に同窓会をしたみたいだが、中退している私が出ることはない。
来年に向けて、キャプテンに写真を送って大阪との関係は、法事以外は終了。

京都に住む友人もファンだったようだが、やっぱりね。
自分の見る目というか、赤眼鏡排除プランの正しさを再認識。
そして、二度と会うことがないのが美談なのね。




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