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凱  第25号/平成23年10月19日(水)発行   [学年だより]

卒業まであと864日/11月模試まで17日
「受験は団体戦だ」とあの人は言った
 入学時から感度のよいアンテナを持ち、高い志を持っている生徒は、まだまだほんの数名で、意欲的な生徒の増殖を期待しながらも、学校祭ほど盛り上がってはくれせん。主客転倒した意欲を、ゴールに向かうモチベーションへと変えさせたい。

 進路指導に関しては授業や課外活動を通じても、いろいろな情報を伝えています。しかし、うまく伝わっているのか、伝わっていないのか、反応がなく暖簾に腕押し、豆腐に鎹、糠に釘。反応の乏しさに一抹の不安を抱きます。

 個々に声をかけてみると、子どもたちの志の中味がしっかりしているかと言えば、必ずしもそうではない部分も多いです。「就職しやすいから、とりあえず樽商」とか「海外で活躍する人材になりたい」という夢があっても、その実現のために何をすべきかが、まだまだ見えていない段階が大半です。困惑するのは、何になりたいのか分からない、という返事。応えようがありません。

 また、「高校に受かった」という事実で満足してしまっている生徒もいるようで「目標、目標」と遊説して回ります。昼行灯のようにボンヤリしてしまっている生徒には、充実した高校生活を送る中で、確実に小さな殻を破ってもらわなければなりせん。「これから伸びていくポテンシャルを秘めているものの、まだ芽が出ていな種子の状態」の生徒が多いです。間に合ううちに、何とかしたいと思っています。

 「過剰に手をかけては生徒の自主性を損なう」という声は、どこの学校でも根強いと思います。しかし、意欲の欠如か反応の悪さか、出足の鈍さが我が校生の特徴です。

 自主性や能動性、先見性といった「リーダー的」資質は、人と人が関わって、やり取りをしていく中で、初めて伸びていくものだと思います。生徒が共に人間として人格者として、染み入るように関わり合うという形が理想で、まずはクラスという空間の中で経験値を高めていってもらいたいと思います。

 本校に赴いた年、私が所属した学年の主任が「受験は団体戦だ」と言っていました。高いレベルで英語の模試結果を出している人で、仕掛けも矢継ぎ早だし戦略的でした。そういう人のセリフだから鮮明に覚えています。

 意味する所は、個人主義的に勉強して結果を出すだけなら、別に学校に来なくて良い。しかし、クラスの所属構成員としてクラスの雰囲気や流れを少しでも良くし、団体としての学習環境を整える。そのことで、環境の良いクラスで自分の勉強もしやすくなる。互いにプラスの刺激をしあって、相乗効果の出る取り組みをする。こんな意味合いの、環境重視型の「受験は団体戦だ」なのでした。大いに感心した言葉です。

 受験は団体戦……、言い方を変えるなら、落ち着いた環境の学校を作る。大騒ぎしない知的空間。底辺校と呼ばれる学校は図書館ですら馬鹿騒ぎをし、過去に私が経験した学校では、廊下をローラースケートやキックボードを乗り回す場所にする連中が居た。到底、落ち着いて勉強などできるわけがない。

 環境を整えると言うことが受験には重要で、学習環境という見地では、ある程度静かさと落ち着き、相互の思いやりがなければ「学習環境を整えた」とは言えないのではないでしょうか。

 学校なんだから、勉強して当たり前、そういう空間を作りたいと願います。

 しかし、先月来の意識調査や保健室情報、あるいは情報通のコメントを聞いたりしていると、あきらかに「いじめ」と思われる現象が我が学年のクラスや部活単位で発生している。それを危惧して、学期間休業前の集会で、私から話をしました。

 悪気はなかったという言い訳には何の救済もなく、悪気があったりしたら大変だいうことでしかない。加害する側は全く無意識であったとしても、受け手が「つらい」「いじめられている」と感じた時点で、それは『いじめ』として成立しており、被害者全面保護が現時点での社会的基準です。

 受験は団体戦だと謳おうとすると、これだ。出鼻がくじかれてしまう。意欲的に生徒諸君の進路実現を100%目指そうとすると、狭量な一部の者のために全体の膠着が発生する。効率よく動きたくても鈍化していく、悪循環。

 傍観者にはならないで欲しい。321人が私の子ども、そう思って厳しすぎる対応も含めて、心を鬼にして日々、言動を重ねています。私には手が二本、足が二本しかありません。救済の手を投げかけようと思っても、限界が生じます。個々に自立して、自分たちの環境を少しでも自分たちで良くしてもらいたい。

 みんなで無視をする、などという小学生のようなことはするな、馬鹿者。
     転んだ人を笑ってはいけない。彼は、歩こうとしたのだ。
 挑戦する人を笑うことが、否、人を笑うことがいかに愚かなことか。大人になろう。

 私の学年の先生たちは、よく勉強しています。新しいことを積極的に学んでいます。勉強しています。いちど小さくても「いじめ」が発生すると、個別面談をしたり、アンケートしたり、立ち話面談したり、学年会を臨時で開いて情報交換したり、要するに、先生方の勉強時間が完全に奪われてしまいます。

 結局は、先生方の勉強時間が減れば、生徒諸君に還元される時間や学習効果も半減していくのです。それは全く勝ち目のない学校、全く勝てない学年を意味しています。ゴールに手が届かないで終われば、浪人生活となります。それも人生ですが。

 学校生活に慣れたからでしょうか。すこしだけ、学年の落ち着きがかき消されているように思います。大いに危機意識を持っています。立て直そうと考えています。

「頑張ります」ではなく、「頑張りました」と言える人間になってほしい。


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