SSブログ

男子会無難   [むかし噺]


自分には何かあるように見える。
自分には何かあるように見せる。
何かあるとは、おそらくそれを才能と呼んでいいのかもしれない。

まだ形にならない、目に見えないもの。
でも何となく言葉にできるかもしれない雰囲気のようなもの。
そういうものを志と呼んでみる。

そいう形にならないもの。
それを単純に毎日繰り返すことで、それを人は鍛錬と呼び、あるいは習熟という。
出来なかったことが出来るようになり、そしてどこかへ辿り着いたりする。

例えば友人が中学以来初めて毛筆を手にしてでも、苦節10年。
今は興福寺で御朱印帳に文字を書き外国人からも絶賛されている。
何もなかったかに見えたが、それこそが才能である。




大阪ね.jpg



何かあるが見えなかったものも、時間経過とともに。
いわゆる努力というものかもしれないが、繰り返す。
繰り返しを積み重ねることで1つの才能という形で芽を開くこともある。

何か在る、あるいは何か在るように見える、あるいは何か在るように見せる。
その後の習熟の差によって違いは出るだろうが、そこに在る波長。
何か在る、に対する波長の適合が、いわゆる友情と呼べるものの本質なのかもしれない。


ボクたちは群れることをしなかったが、仲良しと呼んでいいだろう。
中学2年生という、ひとつの季節を共に過ごしただけだった。
音信不通から56年後も、わだかまりなく適合しているからボクらは仲良しなのだろう。




ファイト!





ファイト!(40)  コメント(5)