富士山 2024 [ボクのアーカイブ]
気が付けば、あっという間に2024年が終了です。
ブログも終わりに向かって突っ走っているのでしょうか。
もう役立たずなのでしょうか、分かりません。
富士山信仰も板についてきました。
来年もまた、登り切って、今度はお祓いを山頂でしてもらいます。
小さいながらも生きる目標です。
2024年
・色々あった年だけど大きいのは大木くんに56年振りに掘り起こされたこと。
・インスタグラムの力を知る年でした。
・11月=伊東で男子会(大阪の中2の時の波長が合った4人)
中3以降の交わりはマンモス校(在校生2160人)ゆえ皆無だった。
それでも、大木くんを前日に迎え語り、全く違和感はなかった。
大阪から2名、名古屋から1名、新幹線を使って1泊2日の温泉とワイン。
「助けて」と言える人,
そう言える相手がいる人は,
それだけで十分強いのである.
― 川村則行 ―
山の急流は岩を削ります、荒々しく険しい心を丸くします。
人生も同じように急流に揉まれて心の角が取れて滑らかになればいい。
人生で大切なことは寝る前に、ベッドで横になって振り返った時に、
「今日は誰にも迷惑をかけずに過ごせた」と思って眠りにつけることです。
「良く生きる」とは自分自身と、そして周りと調和することです。
今年も一年イロイロありました、皆さんもよいお年をお迎えください。
ファイト!
富士山 2023 [ボクのアーカイブ]
大悲劇の2021年を終え分かったことは、1月から厄が来ればヤバイよ。
とてつもなく大きな地雷原を踏んだ年だった。
そして流れを変えるために大きく人生を捻じ曲げて、2022年は逃げた。
安定的な人生走行に入るための地ならしがこの、2023年だった。
2023年
・ 6月=三女のパートナーのご家族と会食(けじめ)
・ 6月=ニコラさん夫婦と伊東で合宿
・ 6月=デイブと一緒に都心ツアーと伊東合宿、富士山五合目までの旅
・ 7月=日帰り登山を連発してみた(富士山信仰開始)
・10月=三女が「パートナー宣言」(入籍せず、選択的夫婦別姓)
この親にしてこの子ありと言っていいのかしら。
かなり時代に先駆けた手を打って来ているし。
年下のZ世代のパートナーを観察対象にする楽しみ。
罵詈雑言、怒鳴りつけや体罰で育てられた子どもは、暴力を再生産する。
それしか感情を動力に換える方法を知らないから再生産する。
そして心が未熟なまま委縮して大人になる。
大人になって感情がコントロールできないとき、されてきたように再生産する。
要は感情がコントロールできないで、そのエネルギーの発露が暴力的になる。
恥ずかしながら「物に当たらないの」と妻から諭され続けてきた。
アンガーマネジメントは心理療法プログラムであり、科学である。
科学である限り再現性があり、修復可能なのだった。
昭和の教育の多くが負の遺産となり、禁じ手を使いまくっていた。
21世紀に入る頃、村上龍が「新しい価値観」の話をしていた。
それが定まっていないと言い続けていたが、昭和が消えゆく中で光がさす。
Z世代の連中の行動力と考え方が日本を変えてくれると、希望が持てるのだ。
ファイト!
富士山 2022 [ボクのアーカイブ]
温泉宿めぐりが房総半島から伊東へと重心が動く。
コロナの暗い時代が終わって、世の中が動き出した。
自分自身でコントロール出来ない事は、もう見ずに前へ。
出来ることをやろうと、生活を激変させた。
市川のマンション価格が上昇していたので、売る。
伊東のリゾートマンションを買い、2拠点生活を開始。
とにかく生活を変えたかった。
今ある形を激変させたくて、意地になって人生を捻じ曲げた。
海外転居も考えたが、それはボクが怖い。
まだ自分は人生の途中だということに気づいた。
途中と言うとなんだか真ん中あたりを考えてしまっていたけれど。
終わりの方であっても、まだ終わっていないわけだから。
途中であることに変わりはない。
まだオレは人生の途中なんだから、まだ何かしでかすこともできる。
だから大いに期待しているんだ、老いても尚、オレって奴に。
変化がきっと何か良いものを生み出すのだろう。
そのために、年配の人間に強烈に過酷な2021年を与えたのだから、神は。
間違いなく、良きものを呼び込むスペースが作られたのだろう。
ファイト!
富士山 2021 [ボクのアーカイブ]
振り返っても大惨劇の年と言うのはあるのだった。
もうこれでオレの人生はオシマイだと、真っ暗になることはあった。
しかし、オレの人生ならオレ次第で何とかしてきたのだ。
とても悲しくて辛い、消しゴムで消してしまいたい年だった。
2021年
・ 1月=義母飛び降り自殺未遂(身を挺して救う痛い男)
・ 7月=最愛の同僚が死んだ、恩義を返せずに終わった。
・ 9月=最後に親友になった鹿児島の男が約束を果たせず死んだ。
鹿児島の男からの最後のメール
自分の残された時間があとどのくらいかはわかりませんが、
自分らしく精一杯生きたいと思います(先の見えない怖さはありますが・・・)
・10月=事故
・11月=事件
・12月=事件
隠すには理由があるのだが、それは信頼を否定する行為。
そんな倫理観だけでは生きて行けない、ほぼ鬱になる断腸の思い。
人生で最愛の人に出会えたと思い結婚しても、時と共に思いは変わる。
理想の夫婦になるまで時間もかかるだろう。
目を覚まし隣りで眠る伴侶を見て生涯を添い遂げる誓いをやっと思い出すのかな。
その思いに至らなければボクらはどうなる?
おそらく夫婦の世界はなくなってしまうだろう。
キミと共に道を歩み、キミと共に夜を過ごす。
ある朝目覚めたら、お互いに興奮しなくなってるかもしれない。
誰もが自分を見失わないと信じてきたのに。
例えば互いの老いを非難せずにやっていく方法はないのだろうか。
ファイト!
富士山 2020 [ボクのアーカイブ]
忌まわしい2020年だろうな。
それでも、志村けんさんが3月29日に亡くなるまで軽く見ていた。
そして、岡江久美子さんが4月23日に亡くなって身近に感じ警戒した。
それまでの社会と激変し、人々の苛立ちが感じられた。
2020年
・ 2月=三女とメルボルン遠征をし食べまくり、デイブの激励最終回。
・ 2月=妻と台湾旅行をし食べまくった。
2月初めの三女とメルボルンの旅ではコロナの警戒は殆どなかった。
2月中旬の妻と台湾食べつくし旅行は、台湾の警戒が凄かった。
・房総半島内をよくドライブし温泉に浸かって遊んだ。
・温泉旅は主に房総半島内か伊東だった。
赤ちゃんは無力で何もできないはずなのに、生まれてくるのが不思議だった。
娘が成長した時にはしっかり教育したと、自分たちが誇りに思えるよう育てたかった。
しかし、親としてなどと余計なことを押し付けてただけなのかもしれない。
子どもは無知だからね、親の庇護のもとで育つべきものだから。
だけど、子どもたちはとっくに気づいてた。
親にも分からないことが沢山あると、悟られていたのだった。
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富士山 2019 [ボクのアーカイブ]
2018年3月に札幌から市川に引っ越してきた。
富士山が見えることが嬉しくて、2019年の年賀状から富士山登場。
それ以降、個人的な富士山信仰が芽生え、富士山の写真を撮り始める。
2019年から2024年を振り返って、2025年を迎えたい。
2019年
・前年から水元公園に出没、遠征することが多かった。
・新しいカメラが嬉しくて、お写ん歩に参加もした。
・ 2月=次女とメルボルン遠征をする。
・11月=次女とミラノ、フィレンツェ、ヴェネチア、ローマを攻めた。
娘との旅には気を使ったが、楽しかったしよく食べた。
娘たちとずっと仲良しでいられることって、無いんだろうな。
ボクは幸せな結婚生活を送ってきた、ほとんどはね。
どういう人間になるかは生き方で決まる。
そしてある時、目を覚まして気づくんだ。
人生の大半の時間を無駄に過ごしてきたと。
そして自分が成し遂げていないことや見逃したかもしれないことが気になり始める。
時には自分の生き方を否定したくなるだろう。
でもその考え方は間違っている。
幸せになる方法を見つけられるのは自分自身だけなんだ
人生を無駄にしないでおこう、今日からでも。
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『Last Days 坂本龍一 最期の日々』 [TV]
昔、5人家族で住んでた札幌時代。
12月は行事が多く、盛り上がっていた。
少なくともケーキは4回予約して、ポイントを稼いだ。
上旬には結婚記念日、三女の誕生日でケーキ2つ。
中旬には祖母の祥月命日、長女の誕生日でケーキ1つ。
下旬にかけて異教の儀式だが多様性でクリスマスケーキ1つ。
今は家族も独立採算制で、夫婦でしょぼくケーキを食い。
よって、シャトレーゼで、アイスケーキを2つ予約する。
自分たちが少しずつ、冷凍庫に眠らせ、正月に来た人にもお裾分け。
NHKスペシャル『Last Days 坂本龍一 最期の日々』を観た。
驚いたのは最後の最期の姿まで映像に晒したこと。
抗がん剤で苦しむ姿もギリギリまで見せた。
自身を演出できる人だから、おそらく、日々の自撮り自画像まで。
全てをさらけ出し、人間を掘り起こしさせた。
哲学的なと表現して良いと思う、創作者の魂を見せた。
自分自身を完成させ終わるその寸止めのような姿を見た。
いまブログ仲間でも抗がん剤で苦悶する人が居るから軽々には言えない。
しかし、「人間って、凄いんだぞっ」と教える人もいる。
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異常なほどの値上がり [味]
私たちの北海道時代は、贅沢な食材を手に入れていた。
ある意味で贅沢な食生活を楽しんだ。
そんな思い出を、写真の断捨離で見つけた。
2013年10月22日の写真、11年前の話。
それより10年ほど前から海水温が高くなり鮭が獲れにくくなった。
しかしさらに収穫量が減り、生筋子の販売価格は2倍近くに上昇。
特売の日に並んで生筋子を買う。
昔はバドミントンラケットを使っていたが。
筋子をほぐす専用金具が出回った。
ここまでが大変な作業。
それを一意専心、妻には感謝。
食欲をそそるものである。
秘伝のたれに漬け込む。
友人や世話になった大学教授に送るために計量。
商売ではなく、末端価格の半額以下になるからお得感。
北海道に移り住んで、これが私の幸せでした。
晩秋の「親子丼」の贅沢な輝きが好きでした。
最近ではこんなので3000円は取る、バカみたい。
大丸札幌店地下1Fに魚の北辰がある。
ここで買えば、おばさんが店内で生筋子をほぐしてくれる。
秋口に札幌遠征する時は、現地で漬けてアイスボックスで持ち帰る。
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風邪ではなく綾瀬はるか不足かしら [妄想のネタ]
数字を見て自分を鼓舞する、一種のモチベーション。
まずは1年間続けようと思って、おまけに連続400日を越えていた。
これがまだ360日とかだったら諦めきれず、這ってでも歩く私はバカである。
400日、よく続けたなと自分を褒めて、決断した6000歩、未達成。
ほぼ確実に2時間おきに目が覚める規則性が不思議だった。
自室からトイレが遠いので、トイレに行くたびに歩数は増える。
そして昨日は、外出を試みたから歩数は増えた。
薬局へ、追加の綾瀬はるかの購入と、のど飴、のど薬を購入。
熱は出ず、あるのは頭痛と目まい、のどの痛みだけである。
苦しくなって咳き込むが、目まいがするから咳は我慢する。
うがいをして、蜂蜜を飲んで、咳止めの薬と綾瀬はるか連続出動。
やっぱり綾瀬はるかはよく効くと思う、主に精神的に楽になる。
本日も外出はせず、来年の暦とお正月の準備でもするかな。
56年ぶりに会った大木くんは、私が綾瀬はるかファンだと知り、持参。
日本生命の卓上カレンダーだから、机の上で私を見守るのだ。
(綾瀬はるかは同じ年頃だった妻と並び負けるだろう)
(しかも綾瀬はるかよりずっと今でも可愛い妻なんだ)
(綾瀬はるかはテレビの中に居て妻は現実に居る幸せ)
持つべき友だちは、そこそこのお金持ち、頭の良いやつ。
そして波長が合うと言うのがイチバン。
ブログもそうで、波長が合う人との別離が近づくが何も手を打てていない。
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昨日はほぼ無かった [ボクのアーカイブ]
昨日まで連続で416日間続いていたことが、途絶えた。
6000歩以上歩くというだけのことだが、少し残念だ。
昨日の朝は起きられなかった、とても眠くて2時間爆睡したら目が覚める。
どんどん体がダルくなって、頭痛と目まいがする。
とにかくしんどくて、栄養剤の方がイイかもしれないが、綾瀬はるか出動。
横になって寝て起きて、当然、歩く気力も体力もない。
まあ、こんな時もあるだろう。
テレビや映画を観る気力もない。
2kさんのことをふと考えながら、また眠る。
1996年8月14日(水)/市川駅 Daveくんと
28年前の写真。
市川駅の3番線には、錦糸町・東京・横須賀線方面の電車が停車中。
どうも違和感があるのは、現在の車両と全く違うからだろう。
古臭く感じてしまうのは、慣れていないからでしょう。
そしてこれより古い時代は、小豆色の電車だったように思う。
車内の床は、タールを塗りたくって臭かったように思う。
ファイト!