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1994年12月は嵐の直前   [ボクのアーカイブ]


断捨離も最終段階にしなければならない時期。
と勝手に決めて、捨てるほどの愛はない。
中島みゆきの曲に、そんなのがあった。


夢でもいいから 嘘でもいいから
どうぞふりむいて どうぞ気がついて
あの人におくる愛に比べたら
ほんの捨てるほどの愛でいいから

中島さんの曲、「捨てるほどの愛でいいから」は切ない。
1982年に発表されたアルバム『寒水魚』に収録されていた。
独身時代に聴いていたが、このアルバムは完成度が高かった。




1994年は函館で最後の年度だった
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1994年12月 函館
末っ子だった次女は、妹が生まれて一番喜んでいた。
そしてずっとずっと、妹を可愛がる調教師みたいな存在だった。
可愛がられ多くの愛を降り注がれていけば、良い人間になる。

子どもの、この、いたいけな笑顔は絶対的な宝物だ。
宝物を手に入れただけで幸せ、この笑顔は断捨離しない。
そしてずっと、亡霊になってでも、子どもの幸せを見守るぞ。


そしてこの写真からおよそ1か月、1995年1月17日、阪神・淡路大震災。
震災の翌日には宝塚に飛んで行ったが、何の役にも立たなかった。
そして約2か月後、1995年3月20日、地下鉄サリン事件。

函館から札幌に転勤したのだけど、大事件が続く年度末だった。
手の届く範囲は整備して、適応していこう。
さて、大事件に対処するリーダーが、居るのかしら日本。




うんてんしゅはキミだ
運転手はボクだ.jpg

アメリカも血迷っているし欧州も中東も不安定だ。
世界と互角に立ち合える日本であるのか。
公明党の山口代表は長かったなぁ、好きだった。

公明党は安全保障面で不安はあるが、今後どうなるのか。
山口代表が運転手だった頃と、大して変わらないのだろうか。
世界中が「政局」だらけで、心配が尽きない。




雷が美しかった
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八王子を襲撃した線状降水帯、ちぎれた部分が伊東を襲った。
ベランダから小室山を見ていたら、雷が落ちた。
妻にビデオを送ったら、八王子のと同じだと教えられた。

山の雷は怖いけれど、見ていて美しかった。
ただ、それが外出中ならチビってしまいそう。
雨も降らない時の乾いた雷鳴音は、ロックだった。




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