『コロナと潜水服』 [読書 本]
子育てを失敗したのだと思う。
よその家の子がどう生きようが、オレの知ったこっちゃない。
ただ、金銭トラブルを起こす親を見れば分かるやろと、自分の娘なら諭す。
婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する、と憲法24条では言う。
だから、妻の友人や両親が反対や反感を持っても、自分は今の妻と結婚できた。
ただ、それって、オレ、一般の日本国民だからやもん。
今さら家と家の結婚と、子どもを縛るのは難しい。
しかし、日本国民としてのパスポートをお持ちでないなら、お立場があるでしょ。
自由が拘束されて、何不自由ない生活をしている皇族の暴挙に驚いている。
歴史そのものを生きる皇族が、カネの問題だらけの母親と、結婚するわけではないが。
人の金で留学し、裕福ではない育ちながら、NYで大学院に行き、司法試験を受ける。
皇族にリーチなしで、それだけの金を誰が出してくれるのだろう。
各種儀式を返上しと、節約するから良いというわけではない。
余計な金、特に人件費や手続きを浪費させて、愛を貫く茶番。
あと何十年かの時間の中で弟が天皇となり、義理の兄は、その母親は。
法律がなく、解釈だけでは身動きが取れないものを、勝手にシンドバット。
立場をわきまえないじゃじゃ馬に、不快感が増す。
アヒル口をしても、好感は持てないし、月も太陽も、こんな不快感は生まない。
『コロナと潜水服』 奥田英朗/光文社(2020年12月30日 初版1刷発行)
短編小説は人生を切り取った断面図だという人がいた。
昔、片岡義男は事件を通過した登場人物の変化に、ストーリーが発生すると定義した。
事件を通過した登場人物 Aが、A’に変化するところにストーリーが生まれるという。
ヨーグルトの封を開けた時に見る液体。
ホエイとか乳清と言い、それだけではヨーグルトと呼べないが、ヨーグルトでしかない。
切り口が重要だけど、短編小説には仕掛けもあり、作家の癖も出る。
さて、手に取って読んだ作品、若い人には好感できるかもしれない。
東野圭吾の短編がつまらないのは、切り口より仕掛けに重点があるからだと思う。
時にこの方の短編を読むにつけ、こう来るだろうなと容易に想像がつく。
断片的な待ち時間を埋めるのに手にした本。
最後の「パンダに乗って」という作品は好きな部類に入る。
ファンタジーと呼ぶ仕掛けなんだけど、出会いを確認する旅は好きだ。
何十年という時間を交錯させる短編が書けたら面白いと思う。
何が起きたか分からないけど、確実に何かを感じていた時間。
後にそれが交錯して、一瞬の出来事で一生が決まる偶然、それを確認する語り手。
真剣に肩に力を入れて読む大感動本ではない。
でも、読み終わって少しだけ、あの日の出来事を思い起こしたりしている。
少し触発してくれた本、次の読者である妻は、どう読むか、彼女の机に置いておく。
前日の雨が、土手から染み出して、河川敷の道は川のように濡れている。
肌寒い朝だから、長ズボンを履いていたが、裾は跳ね上げたしぶきで濡れた。
伴走するコウモリが不気味で、わぁ、って声を出し手を振るいながら走った。
しばらく雨模様の日が続き、室内干しが続く。
暑さが和らいだ分、洗濯の量は減ったけれど、室内干しの鬱陶しさが続く。
ピーカンの洗濯日和はいつやってくるのだろう。
河川敷の水たまりに、シラサギが集まっている。
溺れたミミズでも狙っているのだろうか、不明である。
丸投げ辞任の首相は追い詰められての暴挙、そのくせ株価高騰。
責任を伴わない自由は果たして、許されるものなのか。
皇族の義務と責任、首相の義務と責任、少額納税者でも文句は言いたくなる。
オレの文句は簡単、勝手にしろ、オレは娘主催の今夜のお誕生会を楽しみにする。
ファイト!