昔いたドンちゃん [むかし噺]
昨日、hirometai さんのページを見て、驚いた。
ずっと昔、道北の田舎町の浜で拾って育てていたドンちゃんに酷似写真。
杉並区馬橋地区に住むスピッツ、そらちゃんの写真。
その写真をコピーして併記することも出来たが、しない。
ここは、hirometai さんに直球を投げる。
ハードディスクから掘り起こした、30年以上前の写真。
1987年8月25日の写真。
生まれたばかりの時に浜に捨てられていて、カラスに突っつかれていた。
まだ目も開かない時に、カラスに襲われていたのを助けて育てた。
ミルクをスポイトで与え、子ども扱いして、人間として育てていたと思う。
ホタテの貝柱の干物とかトバ、高級食材を、私と一緒に食べていた。
生徒の親からドンちゃんにと贈られてくるので、動物愛護として。
毎週金曜に2時間、必修クラブがあり、私は一日一善というクラブを持った。
ほとんどは停学になった連中を連れて、街の掃除や浜の掃除をしていた。
そういう作業の最中に、捨てられ、カラスに食べられていた犬を助けた。
助けたうちの生き残り、愛情たっぷりに育てた。
授業で、ドンちゃんがトバや貝柱が好きだと言うと、なぜか届く不思議だった。
現在なら賄賂とか強要とか言われるかもしれないが、動物愛護だった。
昔の写真を見ていて、たくさんの時間が過ぎていたんだと恐ろしくなった。
田舎町の公宅の、小さな風呂に、ドンちゃんと一緒に入っている私が居た。
ヒゲを生やして、勘違いした若造教師がそこに居た。
妻に疲れが出始めた。
疲れが抜け切れるように、余計なことはしない。
まだフライパンをしっかり持てないけれど、晩ごはんは工夫して作っている。
妻は毎日、仕事の帰りに寄り、義母様と窓越しの会話をしている。
施設のコロナ対応も厳重で、直接の面会はさせてもらえない。
庭に回り窓越しの会話だが、お互いに慣れて行く時間、適応したい。
昨日から読売新聞の朝刊で、「医療ルネッサンス『認知症と生きる』」が連載開始。
8回のシリーズ第1回だが、話は重たかった。
対応の仕方が悪ければ、何かを引き金に症状が悪化する。
義母様のここ数年の変化、ここ数週間の激変を通過して、思うことが多かった。
コロナも怖いが、認知症はもっと怖いと思った。
自爆装置が必要にならぬよう、認知症回避の手を打って行こうと思った。
今は妻が疲れを出し切るまで、邪魔はしないで、応援だけする。
やがて、落ち着いたら、脳トレも始めるかな。
いや、歩くことが大事なのよと、妻が言い、従おうとする私。
ファイト!