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『すべての男は消耗品である。 最終巻』   [村上龍]


毎週土曜の夜にTV東京で「新美の巨人たち」が放送されている、と以前書いた。
先月、「金沢21世紀美術館×寺島しのぶ…現代アートで輝く金沢」が放送された。
いくつか見たい、試したいものがあり、そうだ、ノドグロを食べに行こう。

TVを見たからと言って、すぐに行きたがる阿呆かもしれない。
でも、私の人生からどんどん人が消えていき、考えるのは精選した今。
コロナをかいくぐりながら、義理を果たし、いまを生きる。




『すべての男は消耗品である。 最終巻』村上龍/幻冬舎(2018年9月20日 第一刷発行)
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「偏愛が」が消え、何かが終わった。
34年続けてきたエッセイの連載。
「最終巻」に込めた村上龍の静かな怒り。

「すべての男は消耗品である。」シリーズの11冊目で終了。
寂しい限りではあるが、とっくに村上龍は怒らなくなっていた。
いつも新刊を買って、彼を支えてきたのだが、今後はどうなるのだろうか。

龍さんの文章から長い引用を、打ち込んでストックしていた。
それを使って大学入試の小論指導の教材にしていた。
だからある意味、私に指導された生徒は龍さんのエッセンスを吸い取っている。

思想と言う高尚なものではなく、考え方の軸になる基本姿勢に影響しただろう。
事実を分析して、希望的観測を排除すると言う論理展開。
あるいは、優先順位をつけるということは、何を切り捨てるか決めるという姿勢。

34年も付き合って来たのだから、安吾より、龍さんの影響を受けて来たのだと思う。
しかし、今回の最終巻は、マーカーで線を引くことも、抜粋することもなかった。
そろそろ終わりに向けて、無駄に怒らず、何を残すかを考えるのだと思う。




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KAMU sky にて 「泥足」久保 寛子 作
人様の作品だけど、さらに私は切り取って、こういうのが好き。
なんてったって最近、映り込み写真が好きなんですもの。




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KAMU Center にて 「オランウータン」ステファニー・クエール 作
マン島(英国)で生まれ育ち、現在も拠点を置く。
農場で働きながら暮らし、等身大サイズの動物を生み出している。

スケッチのあと粘土で形作り、窯で焼く手法。
直感的な粗さがあるのだけど、切り取られた一瞬の動作のように自然。
基本的に優しい作品で、欲しくなるので許可を得て写す。






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鈴木大拙館
基本的に館内は撮影禁止で、庭は許可されていた。
樹々で覆われ、壁と木と空に隔離された庭の人工池には仕掛けが。
池の端には数分間隔で、ボコっと泡が一つ出て、波紋が岸に向かって走る。


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あちらの方で泡が一つ上がると、同心円の波紋が広がる。
波紋はこちらに走ってきて、やがて消え、静寂が訪れる。
そういうことを繰り返す「時間」を、学生さんらしき若者も楽しんでいた。

何も考えないつもりでいても、走る波紋を追ううちに考え事をしている。
村上龍さんのエッセイとの付き合いも、時間の流れも面白いものだと思う。
ただ、やっぱり人が消えていくのが寂しくて、書き留めておきたくなっている。


世の中の喧騒から離れて、自分勝手に、時間を楽しんだ。
まあね、TVを追うのも恥ずかしい話だけど、浜松の美術館、行きたくなっている。
秋野不矩美術館、新幹線で行った方が良いのか、もう少し哲学してみる。



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