『ラストレター』 [映画]
昨日は松戸の南部卸売市場へ買い出しに行った。
すき焼きの準備と、中トロも欠かせないし、酢だこも買った。
大好きな北海道産の真ダコも買った。
心の掃除と飾り付け、散髪が終われば用意周到。
年末の年越し人に変身して、お気楽モードに入る。
次女が来るので接待、三女は年を越してからか。
『ラストレター』
■ 作品データ
制作年/2020
制作国/日本
内容時間/121分
ジャンル/ラブロマンス/青春
■ 解説 松たか子、広瀬すず、福山雅治など豪華キャスト共演。「Love Letter」から25年、岩井俊二監督が新たに“手紙がつなぐ愛”を描いた。WOWOW製作参加作品。◆岸辺野裕里は姉・未咲の葬儀の場で、彼女の娘・鮎美から未咲宛てに届いた同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した数々の手紙の存在を告げられる。その直後、裕里は姉の死を知らせるために向かったはずの高校の同窓会で、高校時代は自分と似ていた姉として誤解され続けてしまう。さらに初恋の相手で、今は小説家をしている乙坂鏡史郎と再会。ひょんな成り行きから裕里は姉のふりをしたまま鏡史郎と手紙のやりとりをするようになり……。
福山雅治にヒゲは似合わないと、思った。
広瀬すずはキレイな人として成長するのかと今後を期待した。
森七菜は可愛いのだと思うが、歪まずに育ってほしいと思う。
岩井俊二監督は奥が深く倍速では見られないと思った。
彼の作品を見るのは2作目だが、台詞と展開を注視せねばならない。
人生の選択で「もしも」これを選ばなかった時の話、が発生する。
高校時代の姉妹、現在の姉妹とその娘が登場する作品。
人間関係を追うのが少し複雑で、「その人の立場」を確認しながら見る。
SNS ではなく手紙だから、時間が畏まってじわじわと進んでいく。
25年という時間差を利用したストーリー、恋文、まあ乙女座のオジサンは弱い。
亡くなった人を語り続けることの意味を、折り目正しく丁寧に描く。
ちょっとしみじみと、いい映画だなぁと思った。
共に駆け抜けた時代の友人を失い、ちょうど彼を語りたいと思っていた。
共通の友人である二人の女性に、亡くなった彼のことを書かねばと思っていた。
そんなおり、この映画を見たので、書き方を変えてみようかと思った。
夢ばかり見ていた時代の友人は、同窓会の幹事長。
彼が見落としていた女性のことを、彼に誰も伝えていない。
実はこうだったんだよと書きかけて、この映画を見たので、難しいなと思った。
伝えることの難しさを痛感し始めている。
何十年という時間の中にあったはずの「もしも」が消えて行く。
言い訳や弁解の言葉ではなく、向き合うための言葉を用意しなくては。
作家の村上春樹が21日、仏紙リベラシオンのインタビューに応じた。
(前略) 最近気にかけていることとして、SNS上で交わされる言葉や言論が貧しくなっている、との認識を示した。「批判を受けたら(それには応えず)別の批判を投げ返している。方法として恥ずべきこと。日本の首相さえそうやってふるまっている」と嘆き、「自分の中に何をもっているのか、明確に説明しなければいけない」と注文した。 (パリ=疋田多揚)
どこでもドアがあるといいな、と思う。
実際にはないのだけど、せっかくの年末、もしもを想像してみる。
もしもコロナがなかったら、新車は手に入れてなかっただろうな、遊びすぎて。
たくさんの選択の結果ここに居て、年末を迎えている。
無難に無事に年末を迎え、年越しの準備も終わろうとしている。
すき焼きを食べて、もつ鍋を食べたら、年越しそばは海老の天婦羅で。
身の安全と家族の幸せはもちろん、来年も世界平和を願いたい。
これからも良い言葉と出会うため、本を読み、映画を見て、おやつを食べる。
月並みではありますが、皆様が佳い年を迎えられますように。
(元旦は臨時増刊号のつもり)
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ことばの支配 [ことば]
われ! ボケ! じゃかあしい! どつくぞアホンダラ!
あほんだらボケ何ぬかしとんじゃ、どつきまわすぞ。
朝ドラ『おちょやん』では、こんな言葉が乱発され、私は怖くてドキドキする。
ずっと昔に使っていた言葉でも、妻に再教育され、下品な言葉を失った。
あるいは暴力的な言葉を妻に消毒され、すでに、聞くだけで怖くなる。
使い分ける言葉によって私も浄化されたのか、河内弁や、大阪の人が怖い。
いずれにせよ、公共放送で朝から流してはいけない言葉だと思う。
受信料やヌカしてふんだくりくさってボケが、何に使ぅてんじゃアホンダラ。
などとは申しません、ボクいい子、下品な言葉は使わないでほしいな。
朝の連続ドラマのモデルは浪花千栄子と聞く。
浪花千栄子でございますと、これはオロナイン軟膏のCMでのセリフ。
私の記憶の中ではお婆ちゃんだけど、CMの時の年齢は私より若い。
そもそも浪花千栄子さんが亡くなった年齢を、私は少し過ぎた。
それでも彼女を、お婆ちゃんとしてイメージしている。
実に失礼な話だと思う。
そうこうしているうちに、2020年も暮れようとしている。
追い立てられているような切迫感があり、少し焦り気味。
写真を使った年賀状は、6つのバージョンを用意した。
送る相手によっては、よりプライベートなレベルになる。
新車をこっそり写し込んだものは、3人だけに出した。
そこには三女も写っていて、娘を世話してくれた人に使った。
年賀状、恒例の富士山を写したものを多くの方に使った。
2月に、富士山ちかくの上空から写したもので、今年の最後の搭乗になる。
やっぱり、一年間コロナでかき回されたんだと思い知った。
予想通り、東京都のコロナ感染者数が800人を超えた。
少し遅いぐらいだったが、もう、持ちこたえられないようだ。
今週には1000人を超すことになろう。
おまけに、より感染率がアップしたコロナ変異種が国内でも見つかった。
これが青天井を招くなら、小さなパニックが起こるかもしれない。
そこには差別や偏見、いざこざも発生するのだろう、クワバラクワバラである。
「学は以(もっ)て已(や)むべからず。」
いい言葉ですね、学校を出ても、学校での仕事を終えても、まだ学び続ける。
真理の追究は、とどまることを知らず、もっと、もっとと学ぶんだもん。
嘘つきの言葉には騙されない、正しく生きる。
卑怯者たちのように逃げ回ることなく、静かに年末年始を過ごす。
映画と書籍の小宇宙を、年末年始は旅するんだ。
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ワットパクナム寺院 [旅]
コロナ対策の優等生と言われるドイツも、全土でロックダウンに入っている。
一日に約600人が亡くなるのだから、これは仕方がないだろう。
外出制限は、1月10日まで続くようだ。
毎年、長女はスイスかパリでクリスマスを過ごしていたが、今年はダメだろう。
自宅で大人しく過ごすしかないのかもしれない。
ただ、正月明けの引越しも決まっていて、どうなるのか少しだけ不安の親。
ここしばらく快晴が続いていて、バルコニーだけでは満足がいかない。
こんな晴れた日には、車でお出かけ、気分転換を望む。
青い空を写したい。
今月始めに曇天で、写真としてはイマイチだった。
成田にある「ワットパクナム寺院」へ、もういちど挑戦することにした。
高速を使って、50分あまりで行く、まるでタイ。
高速から途中、成田山・新勝寺が見えた。
さらに進んだから、ちょっと山の中、田舎だった。
高速を降りてしばらく走ると、畑の中に、タイが突然あらわれる。
こういう建物には、青空がイイ。
白塗り、朱塗り、金の縁取り、どれも青空に映える。
しかも山奥の田舎だから、観光者は全くいない。
お寺の庭のベンチに座ってる方に、写真撮影の許可を貰った。
イイですよ、と言われたので、真剣に写させてもらった。
青空さえあれば、もう何だって、良く写るのでした。
静かな年末年始を過ごす準備を始める。
初詣はこういう場所にするかなと、思ってしまう。
ただ、タイの方たちが正月にはきっとたくさん集まるだろう。
新型コロナの感染者が首都圏では増加傾向にある。
不安を煽られてはいるが、手洗いとマスク着用を貫く。
やることは決まっていて、三密を避け、手洗い、マスク。
40年以上使い続けたペーパーナイフが壊れた。
Amazonで注文したら、大きな箱に入って届いた。
宅配ボックスから出した箱を抱えて、その軽さに驚いた。
両手で抱える箱に、ハサミほどの小さなペーパーナイフが1本。
作業としての合理性がきっとあるのだろうが、勿体ない。
毎日の新聞チェックの必需品、すぐ届いたので文句はない。
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ヒューマニエンス [TV]
読売新聞朝刊のテレビ欄に「試写室」というものがある。
当日放送の全番組をチェックしているとは思えないが、見ものを紹介している。
基本的に紹介されているもので面白そうなものは、録画して見ている。
NHK・BSPで木曜放送の『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』を見た。
MCの織田裕二が勘違いして邪魔だったけど、内容は勉強になった。
放送テーマは、「“思春期” リスクテイクの人類戦略」だった。
コドモからオトナへ「思春期」がテーマ。最新の脳科学では思春期は30歳まで続くという。脳神経線維のミエリン化がその頃まで完成しないと、性ホルモンが脳に引き起こす「衝動」を抑えられないためだ。だが、それは人類進化で大きな意味を持つことも明らかに。思春期の感情的なリスクテイク行動が「好奇心」につながり、地球全体への生息域の拡大につながったというのだ。人類誕生から現代まで時空を超えて「思春期」を妄想する。
こういう仮説と例証は、人類と言わず、自分の人生の分析にも役立つ。
自分の前半生の暴走を理解し、あのざわつく思春期に納めが付いた気がする。
偏桃体と側坐核への刺激が激しすぎて、無鉄砲に暴れ回ったのはオレのせいじゃない。
グレートジャーニー(The Human Journey)こそリスクテイクの人類戦略。
かつて人類の大きな旅を可能にしたのも、偏桃体と側坐核への刺激だったのだ。
で、いま、保守的で守備的でリスクオフ、石橋を叩いて壊すくらい慎重に歩む。
さて、12月15日、月曜の夜の京都駅周辺を食後に散歩して、撮った4枚の写真。
面白そうな写真の多くはマイ・ブームの映り込み写真。
これを並べて、関越自動車道の立往生を妄想する。
北海道で過ごした初めての冬、アンポンタンの家庭訪問帰り、隣り町で路肩に落ちた。
あるいは吹雪の中で埋まったり、車を捨てて歩いて帰ったり、貴重な経験をしている。
道北の、イノチガケの冬に、周到な吹雪脱出器具を揃えることになる。
道北で過ごした時期には、埋まったり、崖から落ちそうになったり、思春期の最後か。
よく生きていたなと思うような経験がいくつもあった。
交通手段は自家用車しかないので、仕方がなかったと言い訳。
関越自動車道で大渋滞があり、1000台以上の車が立ち往生していたという。
30時間とか、50時間とか車に閉じ込められたまま、大豪雪。
トイレはどうしてるのかなぁ、腹減るだろうなぁ、と思う。
渋滞で足止めの先頭は、いったいどうなっているんだろう。
先頭で止まっている車は、なぜそこに止まるのか、気になる。
気になるけれど、先頭をテレビ中継はしてくれない。
コロナで駆り出されたり、地震や豪雨で駆り出される自衛隊さん。
今回も、人海戦術でスコップ持って雪かきをしていらっしゃる。
あるいは、おにぎりを配って歩いていらっしゃる。
C国が領海侵犯しまくっている有事に、うーむ、自衛隊さんを目的外使用。
たしかに国民の窮地を救いに行くのも仕事だが、祖国防衛が主務。
天気予報では大荒れと予測されていたし、豪雪だと予報が出ていた。
大荒れ、豪雪の中を、自宅待機せず、走らなければならなかった理由は何かしら。
想定内の豪雪の中で立ち往生、困ったもんだ。
かもしれないという勘ではなく、スーパーコンピュータが計算した予報。
自業自得と誰も言わないから、私も言わない。
道北時代、スコップ、脱出ヘルパー、大型の長靴、雪用外套、懐中電灯を搭載した。
雪道を走るにはスパイクタイヤだけではなく、周到な準備をしてイノチガケだった。
いちばんの防衛策は、天気が悪いので今日の家庭訪問は中止、と電話すること。
荷物は雪が溶ける春には届けますからと、電話したら怒られるか。
大変だなぁーって、炬燵で丸くなるのがイチバン。
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法事を終えて心の修行 [旅]
祖母の17回忌があり、大阪へ行ってきた。
できることなら避けたいと妻は思い、何としてでもやりたい人はやる。
ここは義理、用心深く、逃げることなく参加。
傾斜の大きな隙間だらけの寺は、換気が十分で、安心できる。
新幹線で往復するより京都に宿泊を付けたら、半分近くに値下がりする。
やっぱり出費は少ない方が良いと、京都に一泊した。
ホテルのプールは予約制で利用者数が制限されていたので、泳ぎやすかった。
基本的に法事がメインなので、あとはオマケ、運動不足解消に泳いだ。
2時間ちかく泳ぎ、久々にバタフライも入れたら、足がつりそうになった。
バタフライと私自身は思っていても、周囲にはトドが溺れていると見えるかも。
それでも、私たち以外に泳ぐ方もおらず、思い切りよく泳げたのだった。
先週に続き、毎週泳ぐ生活やないか。
晩ご飯は、京野菜の創作料理を食べに行った。
泳ぎ疲れていたので、普段より酔いは激しく早く、驚いた。
店が混む前に退却し、久々に爆睡した。
信心深くはないのだけど、うちは門徒、親鸞聖人の浄土真宗である。
法事のついでと言ってはなんだけど、東本願寺をお参りした。
真宗大谷派であり、次女と三女は大谷高校の卒業生である。
さほど宗教的な敬虔性はなく、何となく門徒、親鸞聖人なら緩さも許容。
勝手に浄土真宗は緩く、許容性のある宗派だと思っている。
ただ、集金システムの争奪戦か、東と西の抗争も内包している。
立派な寺院を見て、集金システムの大きさと、権力の強さを感じる。
法事における予算を考え、ここでやっても同じ値段だろうかと考えてしまった。
やがては墓も閉め、築地本願寺にうつすと、それだけは決めている。
苔寺(西芳寺)は往復はがきでの予約制だった。
どういうわけか、宗教から距離を置く癖に、こころを洗いに行った。
お喋りな、煩悩の大海を泳ぐ身ながら、写経を楽しんだ。
筆ペンを事前に購入し、臨んだのだった。
妻は「心願成就」と記し、私は「学業成就」と最後に記した。
絶対恩師が嘗て行きたいと言っていた西芳寺、行ったよ、という気分。
邪悪な我が心のふるさとを脱出し、雑念を振るい落とし、こころを清める。
宗教での作業は全て自己満足と知りながら、手を合わせるのだった。
すこしはこの国が、世界が、安寧を手に入れることが出来ますように。
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だって法事だもん [@Home]
メルケル首相がほぼ絶叫に近い演説をしていて驚いた。
各自の自粛をしっかりしなくては、今年が最後のクリスマスになると、言う。
ちゃんと自粛せな死んじゃうぞと、国家元首の脅しである。
そんな追い詰められたドイツに住む長女を憂う。
若いので死ぬことはないだろうが、怖いのは差別。
おまえら中国人がと、ネオナチみたいなのにやられたら怖い、と妄想癖の父は不安。
日本では連日、マスコミが悲壮感を煽る。
温度差を感じながら、既読スルー。
安全地帯が減少し、マスクとうがい、手洗いで自衛するだけだ。
昨日、夕食を作りながらTVをつけて見た。
ある医療現場のドキュメンタリーで、ECMO装着対応がいかに大変か。
ECMO装着だけを5分ダイジェストで毎日、放送すべきだろうと思う。
大変な過酷な、限界を超えた危険地帯を、共有すべきなのだと思う。
罹患したくないし、人にうつしたくもない。
総意をもって立ち向かうべき相手なんだなと思う。
明日は祖母の17回忌。
中止の知らせは遂に訪れず、義理堅いので行く。
何を言われるか分からないという恐怖に負ける意気地なし。
梅田と難波を回避したルートで、住吉へ出向く。
妻が神経質に主張し、従う。
うつされたと言われたくもないので、目礼のみで、終わればすぐにサヨウナラ。
身内のご高齢の方々に、罹患させたくはない。
コロナウイルスの運び屋に特定されるのも嫌だ。
仮病を使えば余計な心配をさせるし、困ったものだ。
旅はまだ気楽だが、法事は難しい。
義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界。
ことし最大の山場を、上手に乗り切りたい。
むかし、「我が家の十大ニュース」を毎年決めていた。
子どもたちのことで殆ど埋まるのだけど、親も時々入る。
ママがアキレス腱を切った、とかね。
今年の我が家の十大ニュースを考える。
そうやって今年を振り返ると、コロナに色彩を変えられた感じが濃厚だ。
来年を良い年にするためにも、慎重に、地雷原の大阪で法事を済ませてくる。
ファイト!
浦安のテーマパークを視察 [旅]
結婚記念日と言い、泳ぎ疲れて飲み過ぎて、撃沈。
翌日は、三女のお誕生日を祝って、両親だけがディズニーで遊ぶ。
オープン当時のデートではガツガツ行ったけど、今はもう、ゆるりゆるり。
入場制限がかかっていて、かつ、人気アトラクションはアプリにて抽選。
レストランは全て予約制、並んで入ることは不可能。
消毒、マスクの徹底と、黄色い線で立ち位置確認、アンポン以外は規則厳守。
無軌道に開放的な世界ではなくなって、新しいシステム試行かな。
私たち美女と野獣は、新しくできた美女と野獣の抽選に漏れ、落胆はなかった。
こういうもんだと、選に漏れた多くの方も思ったに違いない。
ガラの悪い(ボクじゃないよ)、傍若無人の迷惑人は居なかった。
たまたまなのかもしれないけれど、マスク拒否とか、攻撃的な客は見なかった。
ああいう大声で喚けば何とかなると錯覚した人を、見るのも嫌だからね。
おおむね穏やかに、快晴の青空の下、妻とまったりとした時間を過ごした。
妻が、怖いのが嫌だからと、比較的、子どもじみた乗り物に乗った。
妻が言う通りの所へ、私は移動した。
トゥーンタウンの、子ども用のジェットコースターに乗りたい妻。
本来は、絶対安全な危険を楽しむジェットコースター。
しかし妻は、さらに怖くない恐怖を、余裕をもって、楽しみたかったようだ。
トゥーンタウンをふたりで歩くのは実に楽しい。
可愛い子どもがいっぱいいて、その素振りや我が儘までもが可愛い。
全てが子ども用だから、丸くて可愛くて、単純な仕掛けが見ていても面白い。
いい年して、こんなものを見上げていた。
だって昔、自分も、訳もなくひたすら走っていたんだもん。
疲れを知らなかった時代が懐かしかった。
いまこのテーマパークで実施されている方法も、試行錯誤の最中だろう。
それでも、室内は厳しく、屋外は緩く、それでも規制は規制。
絶対に安全なんてことはないだろうが、見える形の努力には信用しようと思う。
ただ、閉鎖されているレストランやアトラクションも目立った。
開店を維持するための人件費が掛けられないと判断したのだろう。
そう言えば、ミッキーとミニーが歩く姿を見かけなかった。
固定給ではないだろうから、ミッキーの年収もさぞ下がったことだろう。
どこかでアルバイトをしなければ、生きていけないのかもしれない。
窮鼠ネコを噛むというが、ミッキーネズミが噛みつき事件を起こさぬよう願う。
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結婚記念日は舞浜 [むかし噺]
妻が私を見捨てることはなかった。
とんでもない野郎でも、間違いを正し続けてくれた。
いっちょまえに、普通の人の仲間入りが出来ているのも、妻のおかげだ。
人生破滅型だった私を、こちら側に戻してくれた人たち。
育ての親、絶対恩師、そして、いちばん長く付き合ってきた妻。
お金も大切だけど、そういう支えてくれた愛情は、宝物だと思う。
夜中に起きると、妻を見る。
時が経つにつれ、妻を想う気持ちは募り、もっと好きになる。
あと4年で、ボクたちは結婚40周年。
(兼六園/先月末)
最近、映り込みを撮るのが好き。
池や水たまりでさえ、何か映っていないかと探す。
そういう姿勢が、最近のこだわり。
お年を召して、明鏡止水の境地なのかしら。
年の瀬を迎え、確実に困窮が見え始めた人々がいる。
まだ持ちこたえている自分は幸せなのだと、しみじみ思う。
(ワットパクナム日本別院/千葉県 成田市/昨日)
読売新聞の日曜版に「よみほっと」という2㌻ものの特集がある。
第1面がカラーで、毎回インパクトのある写真が使われている。
建物や史蹟が写されて、旅のガイドも記されている。
過去にも、何度か紹介された場所を訪ねて、似たような写真を撮っている。
先月末の特集では、成田にあるワットパクナム日本別院が扱われていた。
昼には雨が止むという予報を信じて、写真を撮りに行った。
土曜の昼前だが、多くのタイの方々が集まっていた。
交流の場所のようで、いわゆる民族衣装を着た美しい女性もいた。
だが、私にやさしく話しかけてきたのは、ごっつい体格のオジサンだけ。
タイの高僧の話と、この地の前身はJALの研修施設だったこと。
分かりにくい日本語で、丁寧に話されたので、かなり困ってしまった。
でも良さそうな人だから、青空の日に、妻を連れてこようと思った。
今日は36回目の結婚記念日、思えば遠くに来たたもんだ。
妻は勢いで、私は思いあがって、世界の二人。
彼女と結婚できたことは、宝くじに当選した強運に匹敵する。
今日はシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルに泊まる。
3時から、2時間は泳ぎ込もうと思っている、ふたりでね。
とことん泳いで、風呂に入って、ディナーを食って、バーで飲んで、うふふ。
東京ディズニーリゾートオフィシャルホテルだから、プールで泳ぐ人は少ない。
前回と同じく、ほぼ独占的に泳がせてもらうつもり。
妻はケーキを楽しみに、私はバーボンのロックを楽しみに、泳ぐ。
(成田市 さくらの山公園/昨日)
昨日は、成田方面の撮影スポットを下見に行ってきた。
あいにくの小雨だけど、場所が分かったし、晴れた日に再訪する。
飛行機の去来を見ているのも、妻は楽しんでくれるだろうか。
いずれ晴れた日に誘うつもりだ。
まず今日は、結婚してくれてありがとうと、精いっぱい努力する。
見捨てないでねとお願いし、明日を語る、・・・オレって凄いぜ。
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『すべての男は消耗品である。 最終巻』 [村上龍]
毎週土曜の夜にTV東京で「新美の巨人たち」が放送されている、と以前書いた。
先月、「金沢21世紀美術館×寺島しのぶ…現代アートで輝く金沢」が放送された。
いくつか見たい、試したいものがあり、そうだ、ノドグロを食べに行こう。
TVを見たからと言って、すぐに行きたがる阿呆かもしれない。
でも、私の人生からどんどん人が消えていき、考えるのは精選した今。
コロナをかいくぐりながら、義理を果たし、いまを生きる。
『すべての男は消耗品である。 最終巻』村上龍/幻冬舎(2018年9月20日 第一刷発行)
「偏愛が」が消え、何かが終わった。
34年続けてきたエッセイの連載。
「最終巻」に込めた村上龍の静かな怒り。
「すべての男は消耗品である。」シリーズの11冊目で終了。
寂しい限りではあるが、とっくに村上龍は怒らなくなっていた。
いつも新刊を買って、彼を支えてきたのだが、今後はどうなるのだろうか。
龍さんの文章から長い引用を、打ち込んでストックしていた。
それを使って大学入試の小論指導の教材にしていた。
だからある意味、私に指導された生徒は龍さんのエッセンスを吸い取っている。
思想と言う高尚なものではなく、考え方の軸になる基本姿勢に影響しただろう。
事実を分析して、希望的観測を排除すると言う論理展開。
あるいは、優先順位をつけるということは、何を切り捨てるか決めるという姿勢。
34年も付き合って来たのだから、安吾より、龍さんの影響を受けて来たのだと思う。
しかし、今回の最終巻は、マーカーで線を引くことも、抜粋することもなかった。
そろそろ終わりに向けて、無駄に怒らず、何を残すかを考えるのだと思う。
KAMU sky にて 「泥足」久保 寛子 作
人様の作品だけど、さらに私は切り取って、こういうのが好き。
なんてったって最近、映り込み写真が好きなんですもの。
KAMU Center にて 「オランウータン」ステファニー・クエール 作
マン島(英国)で生まれ育ち、現在も拠点を置く。
農場で働きながら暮らし、等身大サイズの動物を生み出している。
スケッチのあと粘土で形作り、窯で焼く手法。
直感的な粗さがあるのだけど、切り取られた一瞬の動作のように自然。
基本的に優しい作品で、欲しくなるので許可を得て写す。
鈴木大拙館
基本的に館内は撮影禁止で、庭は許可されていた。
樹々で覆われ、壁と木と空に隔離された庭の人工池には仕掛けが。
池の端には数分間隔で、ボコっと泡が一つ出て、波紋が岸に向かって走る。
あちらの方で泡が一つ上がると、同心円の波紋が広がる。
波紋はこちらに走ってきて、やがて消え、静寂が訪れる。
そういうことを繰り返す「時間」を、学生さんらしき若者も楽しんでいた。
何も考えないつもりでいても、走る波紋を追ううちに考え事をしている。
村上龍さんのエッセイとの付き合いも、時間の流れも面白いものだと思う。
ただ、やっぱり人が消えていくのが寂しくて、書き留めておきたくなっている。
世の中の喧騒から離れて、自分勝手に、時間を楽しんだ。
まあね、TVを追うのも恥ずかしい話だけど、浜松の美術館、行きたくなっている。
秋野不矩美術館、新幹線で行った方が良いのか、もう少し哲学してみる。
ファイト!