男子会無難 [むかし噺]
自分には何かあるように見える。
自分には何かあるように見せる。
何かあるとは、おそらくそれを才能と呼んでいいのかもしれない。
まだ形にならない、目に見えないもの。
でも何となく言葉にできるかもしれない雰囲気のようなもの。
そういうものを志と呼んでみる。
そいう形にならないもの。
それを単純に毎日繰り返すことで、それを人は鍛錬と呼び、あるいは習熟という。
出来なかったことが出来るようになり、そしてどこかへ辿り着いたりする。
例えば友人が中学以来初めて毛筆を手にしてでも、苦節10年。
今は興福寺で御朱印帳に文字を書き外国人からも絶賛されている。
何もなかったかに見えたが、それこそが才能である。
何かあるが見えなかったものも、時間経過とともに。
いわゆる努力というものかもしれないが、繰り返す。
繰り返しを積み重ねることで1つの才能という形で芽を開くこともある。
何か在る、あるいは何か在るように見える、あるいは何か在るように見せる。
その後の習熟の差によって違いは出るだろうが、そこに在る波長。
何か在る、に対する波長の適合が、いわゆる友情と呼べるものの本質なのかもしれない。
ボクたちは群れることをしなかったが、仲良しと呼んでいいだろう。
中学2年生という、ひとつの季節を共に過ごしただけだった。
音信不通から56年後も、わだかまりなく適合しているからボクらは仲良しなのだろう。
ファイト!
2024-12-05 00:00
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コメント(5)
苦節10年....が凡人には大変(>_<)(^_^;) うーん、仲良しですかぁ。親友さえも無かったかも(^_^;)
by yokomi (2024-12-05 00:18)
記事は記事で楽しく拝読しました。
このお写真のどの坊やが先生なんでしょう・・??
by 向日葵 (2024-12-05 03:15)
仲良しこよし、です。
by HOTCOOL (2024-12-05 03:43)
10年・・・大変な努力。
それをすることが好き、楽しいという気持ちもないと、
なかなか続かないですよね^^;。
by Inatimy (2024-12-05 18:07)
中学の友人とは、年賀状だけの付き合いになってしましました。
要の友人が、亡くなってから。
by ヨッシーパパ (2024-12-05 20:42)