『顔に降りかかる雨』 [読書 本]
桐野夏生のエッセイが教科書に載っていたように思う。
そんなこともあり、彼の作品を読んでみようとふと思った。
選び方を間違えれば、損した気分になることが分かった。
『顔に降りかかる雨』 桐野夏生/講談社文庫 (1996年7月15日 第1刷発行)
p239
大事なのは変だと感じる感性と、何故だと考える想像力だ。
p369
私は気づかれないように、そっと物陰から彼女の写真を数枚撮った。それから、近所のカメラ量販店の「即日」という看板の出ているところで現像に出した。現像の上がるのは夕方。
私は、公衆電話を探した。
色褪せる物は必ずあって、「写真の現像」も、「公衆電話」も、今では見かけない代物になっている。いつかテレビでやっていたけれど、札幌駅前で親子をつかまえて10円を渡し、息子が公衆電話から電話をかけるのを父親がそばで見る、というものだった。受話器を持ち上げてから10円を入れるということに、なかなか気づかない息子。 見ていた父親が驚いていたのが印象的だった。
「江戸川乱歩賞受賞」作品は、考えてみれば、東野圭吾のそれも、まだまだ未熟というか、こねくり回した感じが抜けていない。出発点を読むのは、娯楽のためであれば、あれこれと突っ込みを入れたくなってしまうのも当たり前だった。だから、文句は言わない。
犬のように待つか。 ワンワン。
猫のようにさっさと寝てしまうか。 ニャーニャー。
オジサンはおのぼりさんだから、散歩しながら考える。 キョロ、キョロ。
ファイト!
2016-06-13 06:00
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コメント(5)
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昨日から降ってる雨・・・・
梅雨やからね〜
昔の作品はよく読んだよ。
桐野夏生。
今は映像でしか無理になったけど・・・
映画は楽しい!
秀作も駄作もみんな見る!(笑)
by hatumi30331 (2016-06-13 08:05)
そういえば公衆電話って受話器を持ち上げてから10円をいれるのでしたね。
公衆電話はもちろん使ったことがありますが、テレホンカードのことが多かったです。
by isoshijimi (2016-06-13 08:32)
うちの町には公衆電話幾つあるんだろう。
駅前と、市役所と、エーと ・・・
少なくなりましたね~
by dojita (2016-06-13 14:37)
公衆電話の使い方がわからない。
使ったコトも使っているところを見たコトもないのでしょう、たぶん。
マッチの使い方がわからない。
マッチを見たコトも使ったコトもないのでしょう、たぶん。
普通のこどもとして日常生活を送っていると、なかなかごえんのない代物たちです。
箸の使い方がおかしい。
こどもは基本的に箸の持ち方がおかしいもので、そこを矯正し修正し作法として教えていくのが普通だと思うのですが、親が満足に箸を使えないものですから、その子供も同じ道を歩きます。
どうしたもんじゃろのォ~です。
綺麗でなくてもいいから、せめて普通の箸使いくらいはなんとかしろよ、です。
中学生まで親に厳しく言われても直さなかった鉛筆握りの僕の箸使い、片想いの女の子に「箸の使い方のへんな子は嫌いやネン」との言葉に一念発起、純情男子(僕のコトです)の思いは強かったようです。
桐野夏生さんは僕にはグロテスクでアウトな作家です。
人間の心の底にうごめくドロドロと救いようのない部分をこれでもかと書くのですが、もっと徹底的に書くとど~んと突き抜けた作品が出来上がるはずなのになぁと、期待中です。
女性ならではの冷徹で残酷な視線、かなり気に入っています。
まったく関係ありませんが、桐野夏生さんはキリっとした顔のおばさんですので、「彼」というのはミスタイプだと勝手に判断です。
もしかしたら関川 夏央さんと混同して男性作家だとなんとなく勘違いなのかもと、これまた勝手な想像・空想でした。
まったく関係ありませんが、銀色夏生さん。
読んだコトありませんので、男だか女だわかりません。
高村 薫さんはオバサンで、庄司 薫さんはオジサンです。
性別が判断しにくい名前は困ったものです。
by あるいる (2016-06-13 15:38)
公衆電話の存在で解決に結びつた事件がありましたが、トンとお目に
かからなくなってしまいましたね。テレフォンカードが懐かしいです。
使うことがないから使い方が分からない、というのは筋が通っているよう
な錯覚を覚えますが、稲川淳二怪談のごとくじわりと恐怖めいたものが
沸いてきました。銀塩カメラとフィルムを渡して装填してみようなんて、
絶対無理でしょうね。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2016-06-13 22:11)