『命売ります』 [読書 本]
三島由紀夫の作品を読むのは、大阪の高校時代以来、彼が市ヶ谷で自決して以降か。必要があってエッセイくらいは読んだかも知れないが、本腰を入れて作品は読んでいない。理由は簡単で、形容詞が多くて、どうもついていけなくなったからだと思う。
三島を読んでみようと思った理由は、辛坊治郎のメルマガによる。
タイトルは「命売ります」。どうやらこの本、三島が死ぬ数年前に週刊プレイボーイに連載していた作品らしく、20年近く前に文庫で出版されてから、なんと20万部を超えるベストセラーになっているようなんです。読んでびっくり、三島の作品だと知らなければ絶対に、星新一か筒井康隆の長編小説だと思いますよ。とにかく驚くほど通俗的で、しかもエンターテインメント路線まっしぐらなんです。週刊プレイボーイにこの作品が掲載されて数年後に三島の身に起きることを考えると、いろいろ深い想像力を働かせながら行間を読むことも出来るんでしょうけど、たぶんこの本を読んだほとんどの人の感想は「へー、三島ってこんな妙な小説も書いていたんだ」ってところでしょうね。 辛坊治郎メールマガジン第247号(11月27日発行)
『命売ります』三島由紀夫/筑摩書房(1998年2月24日 第一刷発行)
p134
「(前略)羽仁男君が命を鴻毛の軽きに比することのできる人間だということもわかったし・・・」「コーモーって何ですか」
と薫が小さな声できいた。
「コーモーって、つまりコーモーさ。そんなことも知らんのかねえ。このごろの高校生は。だから今の日本の教育はダメだというんだ。(攻略)」
「鴻毛の軽きに比する」を知る今の高校生は、いないと思う。しかし、昨日の「あさが来た」で「比翼連理」を使ったから、こういう懐古調も脳みそのために掘り起こすのは良いかも知れない。「このごろの高校生」は選挙権も手に入れるのだけど、全く鍛えられていない。
p159
それからA国大使に申し上げますが、これからはもう物事をあんまり複雑に考えるのは止しになさるんですね。人生も政治も案外単純浅薄なものですよ。もっとも、いつでも死ねる気でなくては、そういう心境にはなれませんがね。生きたいという欲が、すべて物事を複雑怪奇に見せてしまうんです。
死にたがる三島の考えは、さほど複雑怪奇ではなく、意外に単純な物だったのだろうなと思う。
p151
その腕の痛みさえ、戸外の春光の中ではきらきらしかった。
「きらきらし」は古語辞典にある。現代語としてはもう殆ど見なくなっている。三島は形容詞が好きで、しかし形容詞は時代と共に褪せていく。現代文学では、どう教えるのだろう。私が講座を持つ時、書き手になれば注視した描写にこだわり、形容句を排除して、観察描写を重ねろと教える。大学で、松本清張の作品分析を通して学んだことは、核心に迫る筆に形容句は無用と言うことだった。
p222
命を売っているときは何の恐怖も感じなかったのに、今では、まるで、猫を抱いて寝ているように、温かい毛だらけの恐怖が、彼の胸にすがりつき、しっかりと爪を立てていた。
p260
夜が羽仁男の胸に貼りついた。夜はべったり彼の顔に貼りついて窒息させるかのようだった。
作品の冒頭1ページは、村上春樹の短編のような、あるいは村上の不条理小説のような出だしで、おや、と思ったものである。比喩表現も多く、辛抱さんの言うエンターテインメント路線にしては、ブレーキが掛かりすぎた。
それでも、こういうデカダンスは好きで、ちょっと回りくどいセリフ回しも、石原裕次郎出演初期の日活映画を見ているような雰囲気はあり、無国籍風味が面白かった。・・・え? 三島がねぇ、という作品。ただ、絶賛はしないけれど、だんだん「死」に吸い込まれていきそうな時期の、彼の中の衰えが書かせたのだろうなと思う。
ふしぎな雪模様を見た
ずっと暴風雪警報の中にいた気はするが、全くそんな気配のない日日だった。それでも少しは雪が降ったりやんだりして、今後のための雪捨て場所を確保するために、昨日は少しばかり、庭で働いた。作業に専念していて見落としていたのだが、変わった雪の積もり方を見て、その面白さにシャッターを押した。
ファイト!
2016-01-22 08:45
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コメント(5)
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若かりし頃・・・・
読みあさっていた時があります。
これ雪!?って何度も見ちゃったよ!(笑)
by hatumi30331 (2016-01-22 09:25)
えっ、これ雪なんですか!
どうなっているのか、とても不思議です。
それこそ本の表紙にでもなりそうな感じがしました。
by isoshijimi (2016-01-22 14:19)
鴻毛という言葉を初めて知ったのは何年か前、民主党政権の時代に某大臣が総理大臣との原発についての考え方の違いに対しての発言をしたときだったと記憶しています。
どんな意味やねん?
それまではまったく知らない言葉でした。
「コーモー」と音で聞いてもわかりませんでしたが、「鴻毛」と漢字で書かれて初めてもしかしてと思い調べた記憶があります。
中国の昔の言葉はむつかしいです。
三島由紀夫が市ヶ谷で割腹したのは1970年ですからそれ以前に書かれた作品で、60年代は学生運動が過激な頃のはずで、このタイトルはいかにもプレイボーイの読者向けのような気がします。
この作品も知らなかったですし読んでもいませんので、作品の中身はまったくわかりませんが。
60年代のプレイボーイの読者はこの言葉を知っていたのか知らなかったのかもわかりません。
20代の頃に初期の作品は何冊か読み戯曲も読みましたがどうも過剰な美意識がちょっと苦手な作家になってしまいました。
この不思議な写真はなんでしょうか。
自動車のフロントかリアのガラスに積もったようにも見えますが、こんな積もり方をする風の吹き方と雪の降り方が不思議です。
世の中には不思議なコト知らないコトがたくさんあって、不思議な雪が降るようにこれからもどんどん知らないコトや不思議なコトが舞い降りてくるのでしょう。
そのほとんどを知らないままに放置しておくことは過去の実績が物語っている僕でした。
by あるいる (2016-01-22 16:38)
抽象的な図柄が」面白いです。私も三島由紀夫の文体にはなじめませんでした。
by JUNKO (2016-01-22 19:33)
三島は小説もエッセイも軽い内容のものがけっこうありますね。
わたしの好みは重い方です(笑)。三島の文学論もとてもおもしろい。
RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-01-23 01:29)