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『火花』 『スクラップ・アンド・ビルド』   [読書 本]




文藝春秋が格安に思える月があって、芥川賞発表の月と、正月の号である。

たとえば今年の九月号は、塩野七生の2ページ連載の「日本人へ」も148回目となり、「なぜ、ドイツ人は嫌われるのか」と相変わらず骨太である。東芝の不正連鎖を招いた真犯人追及記事は、やっと現実が追いついてきている所だし、ニトリ社長夫婦の対談も面白かった。

しかし、芥川賞発表号の嬉しさ、お得感は、「選評」が掲載されていることである。自分の中にある物差しを、ある意味で軌道修正する、もしくは、自信を深めるのが「選評」である。これらは読んでいて楽しいが、たとえば今号の『火花』の作者インタビューに、「芥川賞の選評が僕の物差しだった」と又吉が答えている。



文藝春秋 九月特別号 (2015年9月1日発行)
『火花』 又吉直樹
『スクラップ・アンド・ビルド』 羽田圭介

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小説なんてものは個人の好みだし、一刀両断で切り落とすわけにはいかないだろうが、『スクラップ・アンド・ビルド』に関しては、いかがなものかと思ってしまう。再読はあり得ないだろうし、筆の未熟は否めない。死にたがる爺さんの観察が、甘くはなかろうか。

『火花』に関しても、宮本輝が指摘するように、おそらく出版業界を盛り上げるための妥協の産物に思える。ただ、村上龍も指摘するように「長い」と思ったし、尻切れとんぼにならざるを得ないその落としどころが苦しいが、作者自身が言い訳しているとおりだと思う。そして、島田雅彦の指摘通り、次作が問題だと思った。

『火花』は、文学青年風味の味わいはあったし、思っていたほどひどくはなかった。ただ、高樹のぶ子の辛辣な選評も正しくて、彼女は言い出す勇気があった。井上靖が結局、村上春樹の芥川賞受賞を阻んでいたが、その井上を、坂口安吾は「作者は人間の見方や掴み方には深みも新しさもないが、俗才で人間を処理してゆく手際は巧妙で、なんといっても、大人である。『猟銃』はとらない。『闘牛』の方向にのびる方が、はるかに逞しい作品を書きうるだろう。」と、可能性まで読んでいる。

未来は判らない。それでも、一つの賞の選後評を、読後にチェックするのは、選者たちの真剣さがあるが故に、そこらの書評とはちがう面白さがある。又吉の次作は、読むかも知れないが、読みたいという意欲はない。ただ今回、青春小説を読みたいと、そういう飢えを持ったのは事実で、又吉に触発されたのかも知れない。


宮本 輝
・マスコミによって作られたような登場の仕方で、眉に唾のような先入観さえ抱いていた。

山田詠美
・『火花』。ウェル・ダン。これ以上寝かせたら、文学臭過多になるぎりぎりのところで抑えて、まさに読み頃。

高樹のぶ子
・話題の『火花』の優れたところは他の選者に譲る。私が最後まで×を付けたのは、破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだせいだ。火花は途中で消えた。作者は終わり方が判らなかったのではないか。

村上 龍
・好感を持ったが、積極的に推すことができなかった。「長すぎる」と思ったからだ。問題は作品の具体的な長さではない。読者の一人に「長すぎる」と思わせたこと、そのものである。(中略)新人作家だけが持つ「手がつけられない恐さ」「不思議な魅力を持つ過剰な欠落」がない。だが、それは、必然性のあるモチーフを発見し物語に織り込んでいくことが非常に困難なこの時代状況にあって、「致命的な欠点」とは言えないだろう。これだけ哀感に充ち、リアリティを感じさせる青春小説を書くのは簡単ではない。

島田雅彦
・漫才二十本分くらいのネタでディテールを埋め尽くしてゆけば、読み応えのある小説が一本仕上がることを又吉は証明したことになるが、今回の「楽屋落ち」は一回しか使えない。





RANCHO ELPASO (SINCE 1976/帯広)

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どろ豚のソーセージがぷにゅぷにゅで、非常に美味しい帯広の店である。
ワインもあり、じっくり友人と飲みながら、音楽を聴き、談笑したい店である。

壁に描かれた豚の鼻に触ると、「トントンびょうしに運がつきます」と書いてある。
小市民は、あやかりたいと、これでよしと、触るのである。
しかしよくよく考えてみると、「運が尽きます」ならどうしようと、不安が生まれるのだ。
小市民を惑わさないように、漢字で書いてくれ! 「トントン拍子」も普通は漢字だよ。



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コメント 4

旅爺さん

文藝春秋は親父が65年位前から読んでたので懐かしい本です。
トントンびょうしに運がつく豚の鼻に触ってみたいです。
by 旅爺さん (2015-11-08 09:11) 

讃岐人

「文芸春秋」に限らず、新聞等に載る書評や選評を読むたびに、自分の未熟さを思い知らされます。芥川賞・直木賞発表号はどんなに忙しくても買い逃さないようにしています。
by 讃岐人 (2015-11-08 11:20) 

marilyn

今年の芥川賞発表月の文芸春秋は購入しませんでした。
がっかりするものが続いたものですから。
けど、火花の選評は気になっていたので、ありがとうございます。
とっても納得する内容でした。
by marilyn (2015-11-08 20:23) 

あるいる

今年の芥川賞や直木賞の受賞作をまったく読んでいないのですが、選評を読むついでに受賞作も読める文芸春秋特別号、大阪市立図書館は27冊所蔵ただいま118人が待機中で、僕は36人目の順番待ちです。
選評を読みながら、選者への意識が微妙に変わって行くのも楽しみのひとつです。
そういえば、読んで楽しい面白い書評が姿を消して久しいですし、映画評も僕と波長の合う評論家がいなくなって久しいですね。
その昔週刊文春に掲載されていた「風」氏こと百目鬼恭三郎氏の書評は賛否あわせて読書欲を刺激してくれていました。
『トントンびょうしに運がつきます』とひらがなカタカナ表示なのは、こんなコトをホントは信じていないオトナ向けではなく、もしかしたらホントかもしれないと思ってしまう子供でも読めるようにした店側の配慮なのかもしれません。
フン、そんなコトほんとはあらへんとハナにもひっかけてくれないオトナがいるかもしれませんし、洒落を愉しませてもらおうと余裕でハナで笑ってしまうオトナがいるかもしれませんしね。
と、ちょっとだけブーたれました。

by あるいる (2015-11-09 04:02) 

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