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今日行くは火となり……   [仕事]

学校現場がおかしくなり始めている。橋本市長が推進するマネジメント優先の学校作り。教育改革という旗印の下では、もしかすると期間限定で必要なことかもしれない。しかし、教育は人間によって行われる。

どんなに時代が変わり技術が発達しても、子どもを豊かに育て能力を引き出すことができるのは教師と言う人間にかかっている。したがって、資質を持ち指導力を持つ教師が教育を左右する。

教師次第で教育の効果は激変する。ゆえに「教育は人なり」と言う。しかしシステムを、否、フレームを作ればそれですぐに効果的な指導ができると錯覚している病人が増殖し始めたと実感する。教育現場が確実に腐敗していくのは、不適格管理職の暴走、もしくは事なかれ主義の横行。

何もしなくなった子どもたち、主体性の欠如した子どもたち、我々大人、教師を鏡に映して見せているんだろうなと思う。教育は人なり。我は人となり得ているか。甚だ疑問である。

今日も、「忙しい」と言えるほど暇であった。
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1996-8-15

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ファイト! 66

コメント 4

muk

私も不適格管理職のひとりかも知れませんね。
現場の教師が公務員のという安定の元、事なかれ主義で、適当にものごとを済ませていると、それが子ども達に伝染します。
熱い教師が少なくなりました。
また部活動にだけ熱い教師も困りもの。わたしもそうだったかも。

学習指導、生活指導、道徳指導、どれかに手を抜くと、子ども達に「あ、先生はがんばれと言うけれど、やらなくてもいいんだ」と見抜かれてしまいます。
ついつい楽を選んでしまう弱い私たちを鼓舞するのが私の仕事だと思っています。

「教師という人間にかかっている」全く同感です。
by muk (2012-06-14 05:24) 

ちょんまげ侍金四郎

>今日も、「忙しい」と言えるほど暇であった。
素晴らしい表現ですね。
まさに、真に忙しければ、忙しいなどという考えすら浮かんでこない状態ですね。
by ちょんまげ侍金四郎 (2012-06-14 08:33) 

tommy88

muk 様
「この空間」を通過していく子どもたち。しかし、別にここでなくてもいいような学校なら、子どもは育っていないのだと思います。100年たってもやっぱりここが一番いいと言えるような、200年たってもここが最高と思えるような学校がなくなります。どこへ行っても同じ、コンビニのような学校チェーン店が作られています。そこに荷担したくはないと思い始めています。
by tommy88 (2012-06-15 06:24) 

tommy88

ちょんまげ侍金四郎 様
昔、黙々と働き続けている人のそばで、忙しい忙しいと連発していて、ある時ふと見るとその方は、やはりニコニコと仕事をやり続けている。文句などなく、激務に感謝するぐらいの笑顔で仕事をなさっていた。自分には忙しいと気づくほどの暇があり、その方には、忙しさに気づく時間がないことを理解しました。やられたなと思った瞬間です。
by tommy88 (2012-06-15 06:27) 

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